第15話・過信
こういう場所で出会う人間は、大抵が人外だ。ホラーゲームではそのように相場が決まっているものである。ただ、獄夢の性質上、生きた人間に遭遇することもあるので必ずしも人外だと言い切れないのがややこしいところだが。
「まりこ、ちゃん?」
さっきのは恐らく名前だろう。エミシが聞き返すと、少女はこくりと頷いた。
「何で君はそこにいるのかな?君は人間なのかな?」
多分敵ではなさそうだが、人間だという確証もない。とりあえず怖がられることがないよう、しゃがみこんで彼女に目線をあわせる。
元々は玩具メーカーで仕事をしていただけのことはあり(本来ならば営業職なのだが、アピールのための広告や宣伝をつくるためにクリエイティブな仕事も多少はやっていたのだ)、子供と実際に接する機会も多かったエミシだ。イベントでは子供達と交流することもある。子供と話すのはわりと得意な方だと言ってよかった。
「わかんない」
少女は首を横に振った。人間かどうか、という質問の答えだろう。
「何で君はここにいるの?名字は何かな?」
「わかんない」
「このお屋敷から出る方法、何か知ってるかい?」
「わかんない」
「何で庭の外に出たら見つかっちゃうのか、教えてもらってもいい?」
「……怪物がいるから」
ようやく、わかんない、以外の答えが出てきた。
「怖い怪物がいて、お庭を見張ってる。あるじがいる時は出てこないけど、あるじがいないと出てくる。門にちかづくと襲ってきて吠えるからあるじに見つかるし、見つからなくても怪物に殺される」
怪物。番犬でもいるのかもしれない。もう一度ちらりと窓の向こうを見るが、残念ながらやはり草が生い茂るばかりで庭の全容を伺うことは難しそうだった。これは、上の方の階から見下ろしたほうが良いだろう、
とにかく、今庭に出るのは得策ではないということだけわかった。同時に。
――何かに庭を見張らせているということは、あの庭から脱出できる可能性もあるってことだな。獲物に逃げられたくないから守らせてる。……ゲームの王道展開だ。
裏を返せば、化け物を何とかすることがクリア条件になっている可能性がある。眠らせる、倒す、引き付ける。屋敷の中にそのヒントはあるのだろうか。
「!」
その時、バタバタと走ってくる足音がした。あの黒い人影か!?と思って身構えたが様子がおかしい。かなり焦っているようだ。
――ひょっとして、獄夢に囚われたけどまだ捕まっていない生存者か!?
うまくいけば合流できるかもしれない。意を決して、そちらに向かって見ることにしようと決める。どんな人物かわからないが、同じ悪夢から逃げ出そうとしている者同士、協力し合えるに越したことはない。
「まりこちゃん、ありがとう!俺は……」
振り返って声をかけようとした時、エミシは息を呑むことになった。さっきまですぐそこにいたはずの少女の姿がどこにもない。まるで、闇に飲み込まれて消えてしまったかのように。
――い、いない。やっぱり、人外だったのか?
深く考えるのは後だ。エミシは足音が聞こえる方へと走り出したのだった。
***
怖い動画を見るのは好きだった。特に、怖いおまじないとか、ノロイのお話。理由は単純明快、そういうのを人に見せて怖がるさまを見るのが楽しいから。
いつもツン、と澄ましてる忌々しいクラスメートが、ホラー映画とかを見る時だけは顔を強張らせるのである。それを見るたび、
彼女が自分たちのグループに入ってきたせいで、仲良し扱いされてしまったのが本当に解せない。自分はオトナだから仕方なく仲間に入れてやったが、そもそも四年生の時から彼女のことは大嫌いだった。クラスで一番の成績、一番の運動神経、一番の美人。自分こそがクラスの中心――そう思っていた芽亜里にとって、四年生で転校してきた寧々は目の上のたんこぶに他ならなかったからである。
おとなしい文学少女、学校どころか、名門の進学塾でも常にトップで名前が張り出されるような娘。加えて子役にいそうな可愛らしい顔たちともなれば、ちやほやされるのも無理からぬ事ではあるだろう。特に、頭がからっぽの男子たちはすぐに寧々に夢中になった。それまでは、芽亜里の言うことは何でも聞くちょうどいい下僕だったはずなのに。
けして、芽亜里がやることに反抗してくるわけではない。そもそも芽亜里とて、表向きは優等生の仮面を被ってイイコにしているのだからそうそう方針がぶつかることなどないのだ。
ただ、存在そのものが目障りだった。
自分が何もかも一番、そうであるべき世界に彼女は突然降って湧いた異物に他ならなかったのだから。
――あああ最悪!マジ最悪!あいつ、ほんと眼の前から消えてくれないかな!!
学校の裏掲示板に悪口を書き込みまくり、ツイッターなどでも匿名で愚痴を吐き連ねた。自分の今までの地位や評価を守るためには、表立って彼女を排除できないのが腹立たしくてしょうがなかった。せめて、それとなく彼女が苦手なホラー映画鑑賞会に誘い、怖がる顔を楽しんでやるしかやれることがない。それも“寧々にもこの面白さに気づいてほしいから!”とあくまで寧々のために薦めているフリをして、だ。
エミシの動画をみんなで見たのも同じ理由だった。残念ながら、タイトルに反して対して怖くもなければグロくもない動画だったが。
――エミシもエミシよ、大人のくせになんであんな動画なの!もっと挑戦的に、ちょーグロかったり刺激的だったりエロかったりするやつでも見せればいいのに!
小学生だが、様々なSNSを二十歳と偽って登録している芽亜里である。R指定の入った小説や動画、イラスト、映画を見るくらい普通にやっていることだった。グロもいいが、エロも好きだ。特にゴーカンものなんて最高である。そういうものを見せると、寧々は露骨に顔を歪めて嫌そうにするから尚更に。
そして毎回言うのだ、小学生がこんなもの見ちゃいけないよ、とか。年齢誤魔化して登録しちゃ駄目だよ、とか。まったく、これだからイイコちゃんは。今時の小学生ならみんなこっそりヤッていることではないか。なんで自分だけ叱られなければいけないのだろう?そもそも、エロやグロを見せたくないなんて大人のエゴではないか。子供は大人が思っているよりずっと賢くて、いろんなことを知っているというのに。
――せめて、寧々のやつが獄夢とやらに誘われて拷問されたらちょー面白かったのに!苦しむところを見てこっそり笑ってやれたのに!なんで、屋敷に呼ばれるのがあのクソ女じゃなくて私なのよ!?
ああ、腹が立つ腹立つ腹立つ!
ここに来るべきは自分じゃない。こんなところで長々とサイコパスと鬼ごっこしてやる趣味はないのだ。寧々は階段を駆け下りると、そのまま廊下をつっきった。ここが一階なのはわかっている。ならば、どこかに庭に出る扉か何かがあるはずだ。というか、なくては困る。窓はどれも開きそうになかったからだ。
「あった!」
芽亜里は目を輝かせて、黒光りする扉に飛びついた。ライオンを象った取っ手がついている立派な扉である。内側からは押して開ける仕組みのようだ。鍵はかかっていない。というか、内側からなのだから開いていて然りだろう。案の定、少し力を込めれば簡単に扉は開いた。
「待て!」
どこかで声がしたような気がしたが、無視である。ひょっとしたら他にも生存者とやらはいるかもしれないが、構っていられない。自分はこの夢をさっさと一人で脱出するのだ。他の奴らがどうなろうが、知ったことではないのである。
「うっげ」
芽亜里は思わず呻く。
玄関ポーチの向こうには、石畳の道があった。それが、奥の巨大な黒々とした門扉に続いているようなのだが――いかんせん、石畳の道が随分と汚らしいのである。コケだらけ、雑草だらけ。なんとか歩けなくはないが、手入れなど一切されていないのは明白である。
屋敷の中の方は比較的綺麗だったのに、この屋敷の主は庭の景観に頓着がなさすぎるのではないか。あるいは、手入れのための手間とお金をケチっているのか?とつい呆れてしまった。戦後に設けまくった成金男の屋敷、という話であったはずなのに。
――まあ、どうでもいいか。幽霊の趣味なんかにキョーミないし。
石畳の道の周辺は、さらに茫々の草が生えた無法地帯と化している。到底、足を踏み入れられるものではない。芽亜里はサンダルだったから尚更である。夢の中でも虫に刺されるなんてゴメンなのだ。
さっさと門から出て、こんな屋敷とはおさらばしようと決める。その向こうには黒い森が広がっているが、こういう類のホラーな夢は屋敷から出ればクリアになることも少なくないのだ。その時点で目が覚める可能性も充分にある。どうせ夢だ、多少チャレンジしてみてもいいだろう。
「よし」
周囲を見回し、自分に危害を加えそうなものや敵がいないことを確認。扉を閉めると、芽亜里は早足で門の方へと歩き出したのだった。
それが、最大の過ちとは気付かずに。
「んー……」
黒い門扉に手をかけ、がたがたと揺さぶってみる。大抵こういう扉は、内側からは簡単に鍵が開けられるようになっているはず。ところが、いくら押しても揺さぶっても扉が開く気配はなかった。何か仕掛けがあるのかと思ってみれば、何やら重たい南京錠のようなものがひっかかっているではないか。
どうやらこれを開けないことには、扉を開くことは叶わないらしい。しかし当然ながらただの女子小学生である芽亜里に、鍵を力任せに壊すほどのパワーはない。そして、特に小道具も手元にはない。鍵を開けるのも壊すのも、自分には無理そうであった。
「まあ、しょうがないか」
特に絶望はしなかった。鉄の門は、蛇が絡み合ったような奇妙な形状をしている。足をかける場所は充分にあった。運動神経バツグンの自分なら、これくらいの門を乗り越えるのは朝飯前である。
よし、と一つ息を吐いて芽亜里は門に足をかけて登ろうとした。しかし、その直後。
ウウウウウウウ――。
奇妙なうめき声が、すぐ近くの叢から聞こえてきたのである。
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