第14話・少女

 平静を装ってはいたが。実際、エミシも今回の件に関してはかなり危機感を感じつつあった。

 生まれて初めての怪奇現象を体験してみたい。多少炎上するリスクがあったとしても、危険なオカルト系に手を出してみたい。そういう気持ちから、拷問屋敷について調べて動画化する選択をした。まあ、調べた当初は“今回もどうせ外れなんだろうな、本当に怖い夢なんか見ないだろうな”とタカをくくっていたのは事実なのだが。


――あれは、本当にまずいもんだ。


 最初の夜。遭遇してしまった、あの黒い人影。特に霊能力だの超能力だのといったものは持っていないエミシだったが、直感に関してはかなり鋭い方だという自負がある。目にした途端、自分の認識の甘さを悟った。うまく言葉にできないが、こいつは“絶対に捕まってはならないやつ”だと本能的に悟ったのである。自分はそれほどまでに危ない奴を呼びだしてしまったのだと。

 否、そいつはずっと前から獄夢の世界に存在していて、獲物が落ちてくるのを待っていただけの存在なのかもしれない。エミシが呼びだしたのではない。ただ、その空間に通じる穴を開けてしまった一人なのではないかと。


――本気でまずい。……しかも、悪霊じゃないと言ってきた。生きた人間が犯人の方が、よっぽど悪質じゃねえか。


 しかも、霊能力のプロが“自分達では解呪できない”ということを口を揃えている。何か、特別な条件があるか、あるいは単純な呪いではないのかもしれない。いずれにせよ、悪霊に憑りつかれているのでそれを浄化すればはいオシマイ!なんて簡単な話ではなかったというわけだ。答えは、調査の中で見つけるしかあるまい。それも、現実と夢の中、両方の調査でだ。

 覚悟を決めて眠った夜。気づけばそこは、トイレの中だった。そうだ、あの黒い影から逃げて一端トイレに身を潜めたところで最初の夜が終わったのだ、と思い出す。


――とりあえず、今夜を乗り切る。山梨県みぞる村について調べられることは調べた。明日、アールさんのご友人の記者さんと一緒に現地調査ができる。それで、何かわかることもあるはずだ。


 そのためには、何が何でも今夜を生き残らなくては。そして生き残るのみならず、この屋敷について少しでも情報を得なければいけない。

 例えば、構造。

 何階建ての建物で、部屋はどれだけの数があるか。そして、あの黒い影が出現する条件はどうなっているのか。庭に出ることはできるのか、屋上はあるのか。同時に、何か特別なアイテムなどが夢の中に存在するのかどうか。

 これでも伊達にユーチューバーはやっていないのだ。ホラーゲーム実況なんかもしょっちゅうやっている。こういうダンジョンのマッピング能力には自信があった。構造やギミックを把握できれば、生存率は著しく上昇するはずである。特に、袋小路に逃げ込んでしまうのは避けなければいけない。こういうバケモノ系は、実際に手を握られたらそうそう振りほどくことができなかったり、何かの術で昏倒させられてしまうこともしばしばある。なるべく一定距離に近づくのも避けた方が良いだろう。


――外に、気配はないな?


 なんだか、クトゥルフ神話TRPGでもやっている気分だ。ドアに耳をつけ、外の気配を探る。足音も、それ以外の音も何も聞こえない。風の音さえ聞こえないのは不気味だったが、ひとまず外に出ても問題はないと信じよう。


――原安江からの情報提供にもあるように……一か所に閉じこもっているのは、この屋敷の中では危険と見る。ある程度体力が回復したら、絶え間なく移動し続けた方が良い。幸い、奴は足音もするし、気配もある。近づけば、まったく察知できないということはないはずだ。


 やらなければいけないことが多い。特に今、自分は屋敷の一階にいるはずである。扉が開くかどうかの確認はしておいた方が良いだろう。庭に出て逃げることができるなら行動の選択肢が広がるはずだ。同時に、外からこの屋敷の状態を確認することもできるだろう。

 もう一つ確かめたいのは、原安江を救出する方法がないかどうかである。彼女は、自分がいた地下の部屋に監禁されていた。部屋の上部に出口があり、そこから担がれて部屋の中に投げ落とされ、拘束されたという話であったはずである。ということは、普通に考えるなら一階あたりに彼女が入ってきた出入り口が存在しているはずだ。無論、鍵がかかっている可能性が高いが、その場所さえわかれば手の打ちようもあるというものである。


――ざっと確認して回ったら、敵の気配がないうちに上の階へ移動する。あまり長く、アールさんを待たせるわけにはいかない。


 目立ちたい、お金を稼ぎたい、自分が楽しいことで生活がしたい。何年も勤めた会社を人間関係の悩みでやめた後、病みかけたエミシが思ったのはそれだった。ユーチューバーをやろうと思ったきっかけなんて、そんな程度のことである。ホラーが大好きだから、ホラーに関する話をまとめた動画をアップしよう。ゲームが好きだからゲーム実況をしよう。まあ、動機なんてそんなものだ。

 まあ、他にできそうな仕事が思いつかなかったというのもあるけれど。長らく営業で仕事をしてきて、コミュニケーション能力やお喋りには自信があった。しかし、会社での“大人のいじめ”を目の当たりにして、完全に人間不信に陥ってしまいどうしようもなくなったのである。今更、一般企業に再チャレンジする勇気はまったくなかった。それでも、長らく溜めた貯金を食いつぶして生活していくには限界がある。なんせ、両親はもう老齢だし、兄弟もいない。友人に頼るのもしのびない。一人前の大人として、どんな形であれ生きていける姿を示さなければカッコがつかないではないか、と。

 まあ、実際にユーチューバーをやりますなんて正直に話したら、両親も友人も間違いなく反対しただろうが。


――運が良かったんだ、俺は。会社にいた頃に学んだ動画編集スキルとトークスキルだけで、大した取材もなしにここまでやってこれたんだから。


 ファンとの交流は楽しかった。生まれて初めて、本当の自分を評価してくれる居場所を作ることができたと、そう思ったものだ。

 そんな彼等を楽しませるものをもっともっと作りたい。そして稼ぎたい。彼等が楽しくて自分も楽しくて、それで稼げるならウィンウィンじゃないかと思っていた。同時に、いつか念願の“本物の幽霊”に遭遇できたらきっと楽しいに違いない、と。

 だから。今回も、リクエストを受けて動画を作ろうと思ったところまでは、間違っていなかったと思うのだ。ただ――それを、本当にアップしていいものかどうか、皆をどれほど危険に巻き込むことになるかどうか、少々考えが浅かったというだけで。


――リクエストがあったってことは、俺が動画にしなくたって徐々に拷問屋敷の話は拡散して被害者は増えてった可能性はある。けど、被害の規模を広げたのは俺の動画に違いない。だったら……その責任は、俺が取らないといけねえ。


 名誉欲がゼロになったわけではない。自分はそんな綺麗なニンゲンではないのだから。それでも、今動画をアップしたままにしているのは、せっかく回った動画を非公開するのが惜しいというわけではないのだ。

 霊能者の証言からしても、今回の件の黒幕には生きた人間が存在する。

 自分が動画を公開し続けていれば、そいつが自ら反応をよこしてくる可能性はゼロではない。それこそエミシの拡散力を見込んで、もっと被害の規模を広げるための情報を自ら寄越してくることもあるだろう。

 今は少しでも情報が欲しい。どうせ、今非公開にしたところであっちこっちに転載されまくっているのは知っている。むしろ下手に非公開にしたら余計な注目を集めるのも透けているのだ。


――もっと言えば、本当にあの動画の情報だけで獄夢の条件を満たしたかどうかもはっきりしていない。……とにかく今は、多少リスクがあってもやれることはなんでもやらねえと。


 廊下に出たところで、昨晩自分が逃げてきたルートを確認する。相変わらず人気はない。ふと、この屋敷で現在“捕まっていない人間”は自分以外に何人いるのかと考えた。本来ならば、捕まるまである程度時間があってしかるべきであるはず。しかし自分も、原安江も、それから連絡を取り合ったアールも、自分以外に逃げている人間を見かけてはいないという。

 原安江と会話ができたあたり、それぞれが別次元に隔離されているという説はないだろうが。


――確か、左から来たんだったな、俺は。


 周囲を警戒しつつ、そろりそろりと廊下を左手に進んでいく。階段を通り過ぎたところで、そういえば窓の外をちゃんと見ていなかったと気が付いた。

 柱の陰に隠れて、そっと窓の外を観察してみる。幸い、窓の外にうっかりあの黒い人影が立っていて、ということもないようだった。が、完全にいないと言い切るのは難しい。というのも外は背の高い草が茫々に生えっぱなしになっていたからだ。手入れがされていない夏の空地ってこんなかんじ、とまさに想像したままである。

 窓の半分は、その茫々の草に覆われてしまって外を窺い知ることはできなくなってしまっている。辛うじて見える夜空には、巨大な満月がぽっかりと浮かんでいた。明かりが消えているのに廊下を進むのに支障がないのは、この青白い月明かりのおかげである。


――あれだけ草が生えまくってるなら、庭に身を隠すってこともできそうか?……でも、逆に考えたら庭に誰かが隠れていてもそうそう気づかないってことだろうな。


 うっかり草叢の中から足を引っ張られる、なんて想像するだけでも恐ろしい。


――これじゃ、庭の広さもはっきりわからねえ。……かなり広そうだが……。


 目を凝らしてみると、茫々の草叢の奥には巨大な塀があるように見える。そして、少し向こうには黒々とそ聳えたつ門扉が。

 いざとなったら、あの門は登れないだろうか、と思案する。足をかける場所はありそうだ。まさか、門に電流が流れていて触ったらショック死、なんてことはないだろう。

 戦後すぐに存在した屋敷という設定ならば、まさか防犯カメラがあるというオチもないのだろうし――。


「やめた方が良いよ」

「!?」


 突然、後ろから声をかけられた。ぎょっとして振り向いたエミシは、そこに小さな少女が立っていることに気づく。

 少女は、おかっぱ頭に、赤いワンピースを着ていた。目がくりくりとしており、頬がふっくらしていて可愛らしい少女ではあるが――なんとなく、服装も髪型も古風な印象を受ける。そう、例えるならば一昔前に流行した“トイレの花子さん”を想像させるような見た目と言えばいいだろうか。


「やめた方が良いよ、おじさん」


 八歳くらいに見えるその少女は、可愛らしい声でそう告げた。


「お庭には、できれば出ない方が良いよ。特に、門には近づかない方が良いよ。あいつに見つかるよ」

「あいつって……」


 自分と同じように、獄夢に囚われた人間なのか。それとも、彼女はこの屋敷の“特別な住人”なのか?

 敵ではなそうだ。そう見なして、エミシは声かける。


「あいつって、この屋敷の主のことかい?君はいったい誰なんだ?」


 少女は表情を変えることなく、ぽつりと言ったのだった。


「まりこ」


 と。

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