第33話 告白③
あたしが、もうだいぶとーさんと変わらない体格になった頃、尋ねたことがあるの。なぜミミを助けたのか。父は言ったの。大層な理由があるわけじゃない。生まれた時から虚弱だったので実験対象から外れただけだ。仕事の帰り、処分用のゲージの中の仔ウサギと『目が合って』しまったんだ。なんだかその目がおまえに似てて。職場ではウサギの目を見ないようにしていた。もちろん『眼』を対象にした実験も多かった。けれど実験対象として見る『眼』と違う見方をしてしまった。そして思わず言ってしまった。『聞こえたぞ。』と」
キコエタゾ
「それは、父が、職場で言うと決めたセリフ以外の言葉だった」
チーん、チーーン。ずォォーン。夏の終わりにふさわしい響きを、ふいにオジさんは奏でる。
「あたしはね、旅館にあった鳴らしきれないお鈴の堆積を少しずつ崩していった。女将さんの手に負えない仕事。亡き者をさがし求めて呻くひとの声をなだめる仕事。夜じゅうお鈴を鳴らし続ける仕事。けれどね、ちょうどよかった、と言ってはいけないけれど、お客の質がここ十年で全く変わってしまった。旅に求めるものが変わっていったということなのか、そんな鎮魂の旅をするような悠長なことをしていられないということなのか。次第にそういう『目的』を持った宿泊客は減っていった。もうお鈴はだんだんと鳴らされなくなった。おかみさんはお鈴から『離れる』必要があったし、時が満ちた、と思ったの。同じお鈴を探さなければ、という強迫的な思いでおかみさんがおかしいくらい弱くなっていくのが見ていてわかった。わたしには耐えられなかった。旦那さんが亡くなって四女さんの保護責任者は自分だという思いがそうさせていたのか、どうかはわからない。おかみさんはそんなに語らない人だから。でもね。ひとつひとつのお鈴は重い。おかみさんの細い両腕でこれを抱えて打ち鳴らして歩きまわることはもうできない。それだけは、わたし、わかったの。
…あたしはできるときにひとつずつ、日の出とともにお鈴を打ち鳴らしながら砂浜を伝い林を上りこの喫茶ウミナリへとお鈴を運んだのよ」
オジさんの手で握りしめられたバチはもう、オジさんの手そのものに成り変わる。
「同じ音のお鈴なんてない。お鈴について調べればそんなのないことくらい、おかみさんだってわかっていたはずよ」
杏が女将さんを訪ねた台風の次の日、例えばウサギおじさんが、会話の途中にアイスクリームを味見しに来てくれたらよかった。『台風、ひどかったわね。いいわよ。一日女将、引き受けるわ』とでも言って、割烹着を着てくれたらよかった。
でも、それは叶わない。つぎつぎと明日はやってくる。
女将さんの様子がおかしいとわかって、お盆にも帰って来なかった長男さんが、台風襲来の五日後、急いで帰ってきた。お客が増えているのに旅館の経営はもうだいぶ前から悪化していたという。女将さんは、周りが思っていたよりずっと深刻な精神状態で、長男さんが島から連れ出し大きな病院へ入院したらしい。あれよあれよという間に旅館は売りにだされた。買い手は大手ホテルチェーンの経営者だった。いずれ近いうちに改装工事が始まるとのことで、灯旅館の看板は外され、ひとつの歴史がこの夏ひっそりと幕を閉じた。
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