ウサギおじさんの過去

第31話 告白①


 ウサギの被り物の首筋に、埋め込まれていたファスナーが、全く見えなくなっていた。


 気が付いたのは夏休み最後に訪れた喫茶ウミナリだった。


「ああ、そうなのよー。もうホンモノのウサギおじさんよ。やっとあたしも落ち着けるわあ」

 出会った頃は丁寧語だったのが、もうずいぶん打ち解けていた。


「もうすぐ学校が始まります。しばらくここには来れないかもしれません」

 杏は無感情を心掛けてそう言った。お鈴を磨きながら、ウサギおじさんははっとするような寂しい顔をした。被り物なのに。


「そうなの」


 オジさんはうつむき、ピカピカのお鈴の表面をさらにきゅっきゅと擦る。


「あたしね、小さな頃にウサギを飼っていたのよ」


 オジさんは手を止めて布巾を丁寧に折りたたみカウンターの隅に置く。そしておもむろにコーヒーの準備をし始める。

「そのウサギさんは、小さな自分なんかよりもーっと小さな、真っ白い、ミミちゃん」

仔ウサギを包んでいるように、オジさんは両手を丸めて微笑んでみせる。

「おとーさんがミミちゃんを連れて帰ってきて、それからずーっと一緒。男の子なのに、って思うかもしれないけど、そんなの関係なかった。気持ちが通じ合ったのがたまたま男の子とウサギだっていうだけよ」

 オジさんは自分のなかでただうなずく。


「ミミのこと、もっと話してもいい?」


 珍しく、オジさんも自分用にコーヒーを淹れてゆったりと腰かける。


「ミミはね、父親が職場から連れ帰った仔ウサギだったの。あたしの父親はラビットランドっていうところで働いていたの」

 杏は持ち上げたお鈴カップを宙で止めた。

「ラビットランドなんて言ってるけど、ほんとはどういう場所だったか、知ってる?」

「いえ、」

「動物実験場よ」

「え、」


「化粧品や薬や、色々な化学物質の性質をウサギの体で試すのよ。目の中に毒性のある物質を毎日塗り続けたら、その目はどうなるか。とか。あなたの家にいるウサギさんたちはそこのウサギの末裔ね」


 クーラーのモーター音が自動的に一段階弱まり室内が冷えすぎていることを伝える。どんなに密閉しても、どこにだって秋が入り込む。


「実はわたしも、とーさんの仕事が何なのかずっと知らなかった。ラビットランドに連れていってほしいってずっと思っていたもの。どんな楽しい場所なのかなあって」


 ウサギおじさんの話は、槇さんの話だった。槇さんが「おじさん」になるまでのストーリーだった。まず、槇さんが「小さなぼく」だった頃は想像し難かった。だけどそれをウサギおじさんが代理で話すと、不思議とすんなり入ってくるのだ。



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