第18話 かみさま

 

夏が頂点に達しようとしていた。

 いつなんどきも、喫茶店ではまず、選んだお鈴を一通り響かせてからコーヒーをいただく。その流れは同じだ。無尽蔵に思えるほど、次から次へとお鈴は棚に並び入れられていた。だから必然的にいつも違うお鈴カップを選ぶことになる。

「在庫は尽きないんですね」

「探しているからねー。おんなじ響きをねー」

「今まで鳴らした音は全て周波数を記録しているからねー」

 いつのまに、と思うがオジさんは時々分厚い日誌のようなものを書き溜めているからきっと本当だ。

「徹底的なんですね」

「徹底的よ。てっていてきーに手、あ、しっ。…て、知ってる?」

「知らないです。何かの歌ですか?」

 尋ねたけれど、オジさんは答えない。代わりに残念そうにつぶやく。

「やっぱり世代が違うのねえ…」

 槇さんがウサギおじさんになるのに時間はかからない。勝手口から入った槇さんがどこかでウサギを被る。カウンターに現れたらもうウサギさん。

「同じ音で神様を喜ばせる予定、でしたね」

「はいそうです。予定よ、予定です。神様を、というか、神様を信じている人を、というか」

「先生に頼んだらいいじゃないですか。わたしたちなんかより、音を探す能力に長けていると思いますよ」


「先生はダメ」

 頑なに拒むオジさんを困らせたくなる衝動に駆られる。

「呼んできましょうか」

「ダメダメ」


 けれど、ある暑い日。暑いを通り越してうだる。もう調べたから知っているけど、うだるは茹だる。茹で上がること。先生が茹で上がった。音楽堂で、倒れていた。

 見つけたのはボタンで、運んだのは杏と槇さん。搬送先は喫茶店。あんなに入ってはダメと言っていた喫茶店に、槇さんは先生を運んだ。

 冷たい水。きつい冷房。動脈を冷やせ、ああ足先は冷やすな。わきの下と足の付け根。槇さんは救急救命士でもあるのかもしれない。的確な指示はドラマの一場面のようだった。

 間もなく目覚めた先生は間もなくお鈴を見つけた。見つけるがまま、鳴らし始める。

「信じられません。素敵な音です。こんなにたくさん」

(でしょうね。そう来ると思っていました)

 また、すうっと一歩離れた場所で意地の悪い杏が心の中で言う。

それに、ウサギおじさんではなく、その場にいたのが槇さんだったからもう止められない。先生は他に誰もいないかのように、手にとるがまま鳴らし続ける。

「ああ、あれも、」「ああ、こんな音が」「はあ、いい音です」

 一区切りついたようだったので聞いてみた。棒読みする杏の声。

「先生。で、わかります?この中におんなじ響きのもの、ありますか?」


「ないです」


 即答だった。

「在りえません。お鈴、というのは、工業製品ではありませんから。ひとつとして、同じ音はないはずです」

 始めからわかっている、という口調だった。

「何か偶然に偶然が重なったら違うのかもしれませんが」

 先生はただ眠かっただけだからと、みんなに謝ってお礼を言って早々に喫茶店を後にした。コーヒーの一杯でも頂いたら、と槇さんは言わなかった。結局最後までウサギおじさんは現れなかった。

  確かに先生は知っていた。

  無意味なこと。今までしたきたことが全て無効なこと。

  価値を付けるために有名人が使用する。何か別の商品をいくつも使い続けてようやく購入の権利を得る。ひとつしかないという触れ込みでやっと手に入れたら、また次のひとつしかない、にバージョンアップ。

 唯一世界にふたつだけのお鈴だってそう。きっとそう。

 神様も、わたしと同じじゃん。なかなか手に入らないものがほしかったりする。わかる。あなたほんとうにかみさま?(スタンプ)

 メッセージそうしん。未読スルー。

 からっぽの空間は極上のぜいたく品。いくらでも捨ててまたいくらでも入れるための部屋。もう何と書き込んだか忘れてしまったいくつもの吹き出し。もちろん神様も持っている。わたしと同じなら持っている。そして忘れてもいる。

 疲れた。寝よう。寝れない。寝よう。ああもう。

 月明りのなかで長方形の灯りが杏の顔を照らす。スマホの画面に浮かぶ四角いひらがなを親指で打ち付け文章を作る。


…………………………………………………………………………………………………

【むかしむかし、海辺の村に毛皮の商売人がおりました。

 ウサギの毛皮は温かく貴重な生地でした。

 寒い冬がやってくると毛皮を求める人々が商売人から毛皮を求めました。

  一方で、ウサギから毛皮を剥ぎ取り売る仕事をみんな軽蔑しました。


「なんにも持たないおまえは、ウサギの持ってるあたたかい毛皮欲しさに、ウサギを殺す。そして今度は、食べ物欲しさに、毛皮を売って金にする。なんて汚いことだろう」


 けれどある年、一番の寒さがその町に訪れた翌朝、人々は寒さで死にました。

 死んでいないのは、ウサギの毛皮で温かくしていた人たちだけ。

 人々はみんな、毛皮売りを尊敬し手厚く扱いました。もう誰も毛皮売りをののしりません。

 ある寒い冬の日、海が荒れ狂い漁師たちの乗った船が戻りませんでした。彼らはウサギの毛皮を着ていました。

 村人たちは毛皮売りを責めました。


「神様がお怒りだ。ウサギから命を奪ったせいだ」


 けれど、責めた人々はみんな毛皮を脱ぎませんでした。

 人々に囲まれ黙ってうつむいていた毛皮売りは突然言いました。


「神さまがお怒りだ。どうしてわたしにはウサギの毛皮がないのか、とお怒りだ。だから海が荒れたのだ。だから漁師たちを陸に戻さなかったのだ」


 人々は黙りました。


「じゃあどうすればいい」


「神様も毛皮がほしいのだ」


  村人たちは毛皮売りの言うままに、小さな舟を造り、そこに毛皮売りの捕ったウサギを載せて沖へ流しました。

 それから、嘘のように海は穏やかでした。

 みんな、毛皮売りのことを神の使いと言って崇めました。

 それからというもの、毛皮売りは海で犠牲が出ると小さな舟を造り、そこにウサギを載せて海へ流す儀式を行いました。

 海は穏やかだったり、やはり荒れたままだったりしましたが、もう誰も堂々と毛皮売りを罵りませんでした。もう、ただの毛皮売りではありません。神の使いの毛皮売り、だからでした。】

…………………………………………………………………………………………………

 名前を付けて保存。

 保存先、「ラビットランド」フォルダー。



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