#04 Who are you?

 床から滲み出るように現れる肉塊。

 狼の皮を被った肉塊は、体が崩れないようにゆっくりと立ち上がる。立派な牙の下には、白い頭部の骨が見えた。狼の皮は喉を鳴らす。「ガルルルルル……」

 空気に充満する、生ごみやチーズなどが腐ったような異臭。チカゲは片手で口を覆うが、悪臭は目も刺激した。


「何これ。凄く臭いし、目も痛い」

「オージンの刺客だ。ジジイの加護を得たウールブヘジンっていう名前の戦士なんだが……理性を無視して、命令通りに動く人形みたいなもんだな」


 ヴェルザンディは片眉を寄せ、せせら笑った。「に獣の皮をかぶせるとは傑作すぎるだろ」


「どうしてオージン様の刺客が俺のアパートに?」


 ロキは困惑するチカゲを一瞥いちべつすると、首や肩を回しながら面倒臭そうに立ちあがる。


「ヴェルちゃん、まだインクちゃんに話してないわけ? 神々の黄昏ラグナロクが近いって」

「いいやァ。オタ活が忙しくてな」


「レンきゅんはここで待ってて」ヴェルザンディは持っていたぬいぐるみをダイニングテーブルのイスに座らせる。

 そんな彼女を横目に、ロキは眉間に皺を寄せ、チカゲに視線を戻した。


「インクちゃん。ヴェルちゃんオタバカ、殴ってもいいよ。ボクが許す」

「女性に手を上げるのはちょっと……」


 すぐにロキは表情を引き締めた。


「簡単に言えば、オージンは計画を阻止しようとするヴェルちゃんを邪魔したいのさ。なおかつインクちゃんの血が欲しい」

「……全く意味がわからないんですが」


 レンのセッティングが終わり、ヴェルザンディはチカゲの前に立った。

 手首を掴んで天に掲げ、固まった身体をぐっと伸ばす。体をよくほぐすと、卑しむような目つきでウールブヘジンを見据えた。


「そうだな。オージンクソジジイの目的をきちんと説明しよう」


 ヴェルザンディの青い双眸から黒い霧を漏らし、指を鳴らした。



   ■



 元々国は九つあったが、には七つの国がある。

 神族の国アースガルズ妖精の国アールヴヘイム巨人族の国ヨトゥンヘイム人間族の国ミズガルズ火の国ムスペルヘイム霧の国ニヴルヘイム冥府ヘルヘイムだ。

 最近まで小人族の国スヴァルトアールヴヘイムもあったが、小人族は滅亡し、残った土地は神族が管理している。

 最も重要なのが、地下から天上を貫くように国々を支えている世界樹ユグドラシルだ。

 その根のすぐ下にある泉で、ヴェルザンディは運命の三姉妹の次女として生まれた。



 生まれた直後のヴェルザンディが、ウルズの泉にまだ足を浸していた時だった。

 心地よい風が吹き、葉が擦れる。

 青々とした葉をつけた大樹の影から、背が低い、隻眼の老人が現れた。

 皮膚は垂れ、深いシワのある顔。その顔を隠すように、頭には唾の広い群青色の帽子をかぶっている。

 左の碧眼はヴェルザンディを直視した。吟味ぎんみするようにたくわえた灰色の髭をゆっくりと撫でる。


『我が名は最高神オージン。現在と必然を司るヴェルザンディよ、おはよう。良い夢は見られたかね?』


 そう言って差し出される手。


『……は?』


 まるで蛇のように伸びる腕に、ヴェルザンディは狼狽ろうばいした。あきらかに体に対して腕が長く、青年のように筋肉質な腕である。一方、体と脚は十歳くらいの子どものようだ。

 体のパーツによって年齢は不揃いで、ヴェルザンディはそのアンバランスな容姿に吐き気を覚えた。


『何だこれ……』


 青い瞳から黒い霧が漏れる。

 その眼は彼の姿だけでなく、その奥にある魂も映した。歪んだ魂は大きくひび割れ、虹色が散らばるガラス玉のよう。


『神の魂に人間族の器では、我の言語すら理解できないか』


 オージンは顔を近づける。青緑色の眼の中にある瞳孔が広がった。


『うーん。なら、これは廃棄だのぅ(神々の楽園グラズヘイムに、利用価値のないこれは不必要じゃな)』


 ヴェルザンディの海のような青い両眼が、じんわりと光る。

 目の前にいるオージンの思考がえた。口から発せられる言葉ではなく、心の声を文章として視覚化したのだ。

 そして扉を開くように、思考の奥側にある白黒の映像が見えた。

 オージンは、繰り返された神々の黄昏ラグナロクを次で最後になるように、原典を書き換える。世界が崩壊する日、オージンに選ばれた神々以外は、転生なく永遠に滅びる内容だった。

 選ばれた神々が住まう神々の楽園グラズヘイムの中に、ヴェルザンディの姿はない。

 ヴェルザンディの胸奥きょうおうにある〝魂の欠片〟が映像の意味を教え、彼女は顔を俯いた。


『現在を司る女神に予知なんていう魔法はない……はオマエの計画か』


 真っ赤な唇の両端が歪む。漏れそうになる笑いを噛み殺した。

 ヴェルザンディが見た白黒の映像は、過去でも未来でもなく、視界に映る者の思考を読み取ったもの。現在進行形の魔法だ。

 潮が引くように表情が消え、舌打ちをした。


『……くだらねえ』

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