第69話 叶野さんとの飲み会1

※この話は、要視点になっています。



「要」


名を呼ばれて視線を上げると、待ち人の姿が見えた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様。待たせちゃった?」


「もうちょっと遅かったら、一人で勝手に始めちゃおうかと思ってました」


久々に飲みに行かない? と先日叶野さんから誘いがあって、予定を合わせて今日の定時後に飲みに行く約束をしていた。


2人とも酒飲みで質より量なので、2人での飲みは普通の居酒屋を使う。


今日の居酒屋は、会社よりも駅に近い店なので同僚に会う可能性も低く、しかもテーブルが仕切られているから2人で呑むには丁度いい場所で、叶野さんとの飲みではよく使う店だった。


「それでもいいけど、とりあえず生2つで」


注文を聞きに来た店員にビールを注文すると、叶野さんは向かいに座る。


今日は仕事帰りなので、叶野さんは紗来ちゃん絶賛の格好いい私服姿ではなく、女性もののスーツに身を包んでいる。それだけでしっかりしていて、仕事ができそうに見えるのだから、叶野さんは得だ。


わたしは、客先に行くとまずインフラ担当には見られなくて、初対面では営業に間違われる。外見でやれる仕事が決まるわけじゃないので、それはちょっと面倒くさいだけだけど、人って本当に見た目に左右されやすい。


「忙しいんですか?」


「うーん、ばたばたはしているかな」


「じゃあ、国仲さんはまだ残ってるんですね」


叶野さんはPMで国仲さんはPLで、わたしの知っている限りいつも一緒のプロジェクトだった。もちろんそれは叶野さんが国仲さんを手放さないからだけど、叶野さんがいなければ、国仲さんがいつもプロジェクトを仕切っているので、今日もそうなのだろう。


「でも、遅くならない内に帰るとは言っていたよ」


そこへビールとお通しが運ばれてきて、まずは乾杯をする。


「お疲れ様」


「お疲れ様です」


中ジョッキを軽く合わせてから喉を潤す。


仕事の後の1杯目はやっぱり美味しい。


「そういえば、都築さんもまだ残っていたよ?」


「最近、ちょっと残業が増えて来てますね。4月からのプロジェクトの準備で忙しくなってるみたいです」


叶野さんはわたしの恋人である紗来ちゃんと同じ作業場所で仕事をしているので、既に知っているだろうけど、わたしも把握しているという意味で理由を伝える。


「ちょっと大変かもしれないけど、きっと都築さんなら大丈夫だよ」


「叶野さんの大丈夫は、信頼できませんよ」


初めは仕事で知り合って、そのうちに時々飲みに誘われるようになって、叶野維花という人の人となりは多少なりとも理解はしている。


物事を大きな枠組みで把握するのが上手くて、その要所要所をきっちり押さえるのが国仲さんだった。だからこそ、叶野さんの大変かもしれないけど、は押さえるところは押さえないといけないので、大変だということを指している。


まあ、楽な仕事って早々ないものだろうけど。


「ちゃんとフォローしてくださいよ」


「一応立夏には4月からも週2くらいでは自社で作業をしてもらう予定だから、それで何とかなるはず」


いつものやつだ、と思いながら、後輩見のいい国仲さんがフォローしてくれるのなら少しは安心ができた。


わたしと紗来ちゃんは、先日から半同棲を始めた。ぎこちなくだけど、それ以前も行き来はあったので、まだ何とかなっているとは思っている。


それでも、社会人である以上、日常の大半は仕事で占められていて、何かあればプライベートも侵される。そういう意味で恋人の仕事の状況は常に気になった。


「でも、要がそんなことを言うようになるなんてね」


叶野さんの言葉は、わたしの過去の恋人との付き合いを知っているからだった。


わたしは紗来ちゃんと付き合う前は、顔や体が気に入ったらという理由だけで恋人を選んでいた。でも、生来の好きなことしかしないという性格もあってか、深い理由もなく付き合った相手と根気強く付き合えるわけもなく長続きはしなかった。


その考えを改めるきっかけになったのは、叶野さんと国仲さんの関係を知ってからだった。


叶野さんと国仲さんは、女性同士でも夫婦のように互いを支え合う関係に見えた。


わたしはどこかで女性同士なんて、刹那的にしか繋がれないのだと考えていたけれど、あまりにも自然な叶野さんと国仲さんの姿が羨ましくなった。


わたしも幸せになりたい、と初めて願ったのだ。


そんな中で知り合った紗来ちゃんは、初めは何でも一生懸命で可愛い子だった。どう見てもノーマルだったけど、この子とつきあったらどうなるんだろうと、ちょっかいを出してみた。


それを国仲さんは目敏く見つけて、巻き込むなと釘を刺されたけれど、その頃にはわたしはもう紗来ちゃんに惹かれ始めていた。


紗来ちゃんはわたしはこうあるべきだと押しつけることをしない。


かつて恋人に言われたことのある「美人なんだからこんなことはしないで」なんて、絶対言わない。


好きなことをしているわたしをわたしらしいと認めてくれる。


紗来ちゃんと時間を過ごせば過ごすほどわたしは紗来ちゃんから離れられなくなって、叶野さん相手にどうしようと随分絡んだ。


それでもわたしは自分を偽ることができなくて、半分国仲さんの反対を押し切って紗来ちゃんと付き合い始めたのだ。


まだ道は長いかもしれないけど、もう紗来ちゃんの手をわたしは離す気はない。


「わたしの大事なハニーなので」


「ワタシの予定では今頃、都築さんを泣かせたって要を呼び出しているはずだったんだけどな」


「ベッド以外では泣かせてませんからね」


「ワタシより10も下なのに、既に中年親父の域じゃない? 要って」


「紗来ちゃんにだけだからいいんです」


今のわたしは、目の前にどんなに魅力的な女性がいても紗来ちゃんがいい。だからこそ、性欲も全部紗来ちゃんに向いてしまうのは、仕方ないよね?


「エロいことは認めるんだ」


「叶野さんは達観してるような顔をしてますけど、家では国仲さんに絶対甘えまくってますよね?」


「ワタシのなんだからいいでしょう?」


「じゃあ、紗来ちゃんもわたしのなので、いいじゃないですか」


「まだ、嫁には出してないつもりだけど」


「半分一緒に住んでいる状態なので、もう遅いです」


叶野さんは紗来ちゃんを泣かせるなとは言うものの、国仲さん程過保護じゃないので、そこで引き下がってくれる。


でも、国仲さんは紗来ちゃんを妹みたいに大事にしてくれている分、わたしには厳しい。


初対面の時に、叶野さんの恋人だと知らずにうっかり口説こうとしてしまったことを今でも根に持っているのかもしれない。


今は紗来ちゃん一筋なのに。

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