第50話 新しい世界

その週の週末、要さんの誘いで私は生まれて初めてバーに行くことになる。


「MIXバーでもいいかなって思ったんだけど、多分紗来ちゃんにはまだ刺激が強すぎる気がするから、今日はビアンバーね」


「MIXバーって、何がMIXなんですか?」


混在している状態を意味していることは分かったものの、そもそも知識がなさ過ぎて想像もつかなかった。


「ジェンダーフリーってこと」


それで何となくイメージは湧いたものの、絶対に一人では行けなさそうな場所だとも思う。


「私はビアンバーに行く資格があるんでしょうか?」


「わたしの恋人だって言えばみんな納得するよ。でも声掛けられても相手に合わせちゃ駄目だからね。みんな下心あると思っておいて。本当は連れて行きたくないけど、紗来ちゃんの社会勉強のためだから」


「ずっと傍にいてくださいね」


バーそのものが行ったことがない上に、女性同士が出会いを求める場だということくらいは分かっている。どんな人たちがいるのか想像がつかなさすぎて、要さんにずっとくっついていることが容易に推測できた。


「それは安心して。ビアンバーなら多少いちゃいちゃしても大丈夫だしね」


「家でもしてますよね、それ」


今週はなんだかんだ理由をつけて、プライベートな時間は要さんと一緒にいることが多かった。要さんに資格取得の対策を教えてもらう目的もあったけど、約束がなくても要さんがふらっと来るので、まだ心配されていることは分かった。


「わたしのだってアピールは必要でしょ」


必要に迫られてなのか、要さんの単なる望みなのかわからないけれど、限度はありますからね、と釘は刺しておく。


「要さんの過去の恋人は、そういうところで見つけたんですか?」


「そうな場合もあるし、そうじゃない場合もあるよ。でも、同業者も、同じ会社だっていうのも紗来ちゃんが初めてだからね」


「以前、見上くんが要さんがレズビアンだっていうのは、インフラチームでは知れ渡ってるって言ってましたけど、もしかしてわざと自分に近寄らせないために言ってたんですか?」


「男性からの告白が面倒だったのと、女性も仕事上の付き合いの人は線引きをしようと思っていたからね」


「……じゃあ、何で私だけ??」


「そんなのに拘っていられないくらい紗来ちゃんが好きになったからに決まってるじゃない」


どう答えていいか分からずにスルーすると、要さんに引き寄せられる。


「紗来ちゃん、そういうのずるくない?」


「要さんが答えに困るようなことを言うからです」





出がけに想定外にいちゃいちゃしてしまったけど、21時前には家を出る。要さんにくっついて電車に乗って、大きめの駅で降りて、ネオンの煌めく一角に足を踏み入れる。場所としては知っていたけど、昼間にだって私は行ったことはなかった。


古びた雑居ビルに入って、真っ直ぐな長い通路を歩いて、曲がって、更に曲がった先が目的地のようだった。


要さんは迷いもせずに扉を開いて中に入っていって、私もそれに続いた。


店内はカウンターが10席足らずで、逆側に丸型のテーブルがいくつかと、それを囲うように長い足のイスが置かれている。


要さんによると、友人に声を掛けているとのことなので、丸テーブルに横並びでイスを並べて腰を掛けた。


せっかくバーに来たんだし、カクテルを飲んでみようかと思ったものの、カクテルの知識はほぼない。甘いのがいいです、と要さんにリクエストすると、細長いグラスにオレンジ色のカクテルが運ばれてくる。


色のイメージ通りそれはオレンジベースのカクテルのようで、口当たりが良くて私でも飲めた。


「紗来ちゃんって、甘いお酒しか飲めないけど、美味しそうに飲むよね?」


「甘いお酒は美味しいです。要さんはいつもどれだけ飲んでも顔色変わらないのがすごいなって思ってます」


「自分の酒量は流石にもう分かってるから」


要さんのカクテルは透明で泡が浮かんでいるのは分かるけど、名前は分からない。でも、きっと辛いお酒なんだろう。


「それが分かるくらい飲んできたってことですよね?」


「一時期、こういうバーにもよく通っていたから、お酒に呑まれたら意味ないでしょ?」


「出会いを求めてるからってことですよね?」


「そう。学校とか職場ではビアンであることを初めは隠していたから、こういう場所でしか自分の居場所を確かめられなかったんだよね」


要さんだって初めから強かったわけではないだろう。国仲さんもだけど、何かあって、それで人は強くなるものだと未熟な私も少しは理解できるようになった。


強いなんて言葉は、努力の結果で、それを羨ましがるなんて失礼でしかない。私も要さんのような強さを持てるだろうか。


「私は要さんの居場所になれてますか?」


「紗来ちゃんって、無自覚でそういうホテルに連れ込みたくなるこというんだから」


「……要さんっっ」


本気なのか冗談なのか探っている内に「要」と声が掛かる。


視線を向けるとそこには2人の女性が立っていて、一人はショートカットで、もう一人はセミロングの髪型だったけど、どちらも美人だった。年齢的には要さんと同じくらいかな。


類は友を呼ぶって言うけど、席についた2人を含めて卓を囲む4人の中で、私だけが目に留まらないような平凡さだ。

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