第44話 国仲さんからの誘い
月曜日の朝に見た要さんからのメッセージは、まだ帰れなさそう、だった。
それでも仕事には行かないといけなくて、集中力がないままで1日を過ごす。
私は要さんとのことを後悔したくないのに、後悔してしまいそうな自分がいる。
「都築さん」
定時前にトイレですれ違った国仲さんに声を掛けられる。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。楠見さんと何かあった?」
国仲さんの言葉に目を見張る。いつものように仕事をしていたつもりなのに、集中してなさが国仲さんに分かってしまったんだろうか。
「何かあったら、話を聞くからね」
その言葉があまりにも優しくて、私は国仲さんに抱きついてしまう。
「都築さん!? 泣いてる? どうしたの? 本当に楠見さんと何かあったの?」
返答しようとしても言葉にならず、首だけを横に振る。
国仲さんは私が泣き止むまで背を摩りながら待ってくれて、何とか涙を止めて国仲さんから離れる。
「すみません……」
「気にしなくていいよ。都築さんって、今日は定時後空いてる?」
それには小声で頷きを返す。
「じゃあ、ちょっと時間くれない?」
何をするんだろう、と思いながらも国仲さんを疑うなんて当然なかったし、この誘いには首を縦に振った。
定時後、国仲さんに急かされるように私はPCを片づけて、国仲さんと一緒にビルを出る。
「電車での移動になるけどいい?」
「大丈夫です」
どこに行くのか分からないまま、国仲さんに付いて電車に乗り込んで、見知らぬ駅で降りる。迷いもなく国仲さんは改札に向かっていて、私もそれに続いた。
駅前はそれなりに賑やかだけど、それには見向きもせずに国仲さんは歩き続ける。
マンションやコンビニが並ぶ通りは普通の住宅街で、国仲さんは10階建てくらいのマンションに躊躇いもなしに入って行く。
その段階になって、もしかしてここが国仲さんの家なんだろうか、と思い当たる。
「緊張しなくても大丈夫。ちょっと散らかっているかもしれないけど上がって」
まだ築年数が浅いマンションなのか、エントランスもエレベータも綺麗で、国仲さんはエレベータを降りてすぐの部屋の鍵を開ける。
玄関に足を踏み入れると、左手にはシューズクロークらしき扉があって、まっすぐに廊下が延びている。
1Rよりも広い間取りであることはそれで分かって、叶野さんと住んでいるのだから当然か、と思い当たる。
「ソファー座ってて、コーヒーと紅茶どっちがいい?」
廊下を突っ切るとそこはキッチンらしき場所で、キッチンカウンターに横付けされたダイニングセットの椅子に国仲さんは荷物とコートを掛けて、キッチンに立つ。
ソファーと言われて視線を流すと、その奥にファブリック地のソファーが置かれているのが目に入った。
2人がけのソファーは両サイドに木の肘掛けが弧を描く形で付いていて可愛い。
「大丈夫です。国仲さんにそんな手間掛けさせられません」
「ブレイクした方が落ち着くでしょ? どっちでもいいならワタシの好きな方にするよ」
「それでかまいません」
ここが叶野さんと国仲さんが住んでいる部屋なんだ、とあちこちを見回してしまう。木の色と緑系に統一された部屋は落ち着いていて、すっきりしている。
この部屋が国仲さんの部屋なんだと、納得してしまえるものがあった。
観察を終えてからコートを脱いで、ソファーに座って国仲さんを待つ。
キッチンカウンター越しに国仲さんが見えて、キッチンに立つ姿も似合うなあ、とそんなことを考えていた。
お湯が沸騰する音に、お湯を注ぐ音を聞きながら、ちょっとだけ深呼吸をする。
「お待たせ」
トレーを手にした国仲さんが、私の前のローテーブルにティーカップを並べてから、私の隣に座った。
「ミルクいる?」
「大丈夫です」
折角国仲さんが淹れてくれた紅茶なので、まずは口をつける。
外は寒かったこともあって、温もりで全身が緩むのを感じた。
「美味しいです」
「普通のティーバッグだから腕も何もないよ」
「そんなことないです。その……さっきはすみませんでした」
「びっくりしたけど、何かあったんだよね? 外では言いづらいことかなって、強引に家に連れてきちゃってごめんね」
私の話を聞くために国仲さんはわざわざ人のいない自宅に招いてくれたことを知る。
「叶野さんもここに住まれているんですよね?」
「もちろん。隣の部屋見る? 叶野さんのキャンプ用品だらけだよ」
呆れたように言う国仲さんの強さが羨ましくなる。
国仲さんならきっと私のように迷うことなんかないだろう。
「……楠見さんは出張でいなかったこともあって、週末に友人と会ったんです」
「楠見さん、今出張中なんだ」
「はい。先週金曜日の予定までだったんですけど、トラブルがあったらしくて、まだ帰ってきていません」
「インフラって、インフラのトラブルだけじゃなくて、アプリ側のトラブルにも巻き込まれることあるからね。ほら、原因が分かるまではどっちかって区別つかないでしょ?」
「そうですね」
「その友人と何かあったの?」
「LGBTは存在としては認めるけど、身近にはいて欲しくないって言われたんです。楠見さんとのことを打ち明けたわけじゃなくて、話の流れでそんなことを言われただけですけど、私もLかBには入りますよね?」
自覚はない。ただ、私は要さんが好きで一緒にいたいだけだった。
でも外部から見ればレズビアンだと見なされるだろう。
「それで悩んでいたんだ。だから、楠見さんにちゃんと守ってって言ったのにな」
「えっ……?」
「楠見さんは自分のセクシャリティを自認していて、もう受け入れているでしょう? 職場でも言っちゃえるくらいなのはすごいけどね。
でも、都築さんは恋愛に関してはまだリアリティを持てていない状態だったでしょう? 付き合うになったら、楠見さんにとってはいつもと変わらないお付き合いかもしれないけど、都築さんには初めてのことだらけで、それでいっぱいいっぱいになるだろうなって思ってたんだ。
女性と付き合うことに対しての悩みも出てくるだろうから、ちゃんと一緒に考えてあげてって言ったのに、タイミング悪いなぁ」
「国仲さん……ありがとうございます」
そこまで私のことを考えて要さんに口を挟んでいたとは思っていなくて、感謝の言葉しかでない。
「ただのお節介だから気にしないで。それで、楠見さんと別れたくなった?」
「分からなくなっています。楠見さんを前にしたら、やっぱり好きで別れられないって感じるのかもしれないですけど、今は楠見さんの前に立つ自信もないです」
「都築さんはじゃあ、それを自分の中で整理をしたいんだ」
「そう、なのかもしれません」
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