第40話 サボり

「ま、汚ぇとこだが適当に座ってな」


 ほい、とクッションを謎鉱石の上に置くラヴ。

 やはりこれは座る場所だったのかと納得して、アルフェはおとなしくそこに座った。


「……べつにいいですけど」


 むゅと唇を尖らせながらも飲み物を用意してくれるミリオネア。

 ラヴは慣れた様子で彼女の椅子に座って、ミリオネアは当たり前のようにその太ももの間に収まる。


「……」

「へへ」

「…………はっ。まっ、ちがっ」


 慌てて離れようとする彼女は、だけどラヴに捕まってじたばたともがく。


「おうおう、センセはオレが大好きだからなぁ」

「これは巧妙なワナです! 足場がないから……ッ!」


 それは先生の自業自得なのでは?

 そんな言葉をお茶と一緒に飲み下したアルフェは努めてなにごともなかったかのように小首をかしげる。


「それでラヴ先生。どうしてこのような場を?」

「おー? サボり」

「いつものことですね」


 あっけらかんと言ってのけるラヴに、ミリオネアも呆れながらも受け入れの様子。

 どうやらいろいろあきらめたらしい。


「ですが生徒さんをさらってくるのはさすがに初めてですね。アルフェさんはこれから迷宮に?」

「ええ。その途中で」

「お休みの日に大変ですね」

「そんなにがっつかなくていいだろぉに」

「あなたが言うと含蓄がありますね。わたしの講義を二度も落第したのはいい思い出です。……無断欠席で」

「そいつは言わない約束じゃないですかセンセ」


 どうやらラヴは学生時代もこんな感じだったらしい。

 ふたりが思い出話に賑わうのを眺めつつ、アルフェはベルをなでながら茶をすする。


 そんな彼女に気が付くと、ミリオネアは慌ててアルフェに向き合った。


「あ、すみません。この子がくるとつい」

「いえ。親しそうでなによりでございます」

「ええまあ、学生時代をふくめると……十年近くになりますから」

「そうでしたか」


 アルフェはラヴを見つめる。

 この学園で、ベルの存在に一番最初に気が付いた彼女。

 なるほど精霊学の権威であるミリオネアの下で学んだというのなら―――あるいは学ぶ必要があるというのなら、ベルに気が付くのも納得できる。


「ラヴ先生は……もともと精霊を?」

「まな。だからセンセの下で教えを乞うてみようってな思ったわけだ」

「あなたがねだるのはいつもお休みだった気がしますけど」

「こう見えてセンセはスパルタなんだぜアルフェ」

「そうなのですか? お優しいミリオネア先生しか存じ上げませんので」

「あなたが課題をため込むからでしょう」

「そこはセンセ似ですねー」

「失礼な。わたしはするべきことはすぐに済ましますよ」


 むんっと胸を張って見せるミリオネアだが、この場所の猥雑さは言葉の説得力を消滅させて余りある。

 それはラヴも同じ考えらしくアルフェに向けてウィンクした。


「まあ、それで困るのは自分ですからね。サボってもだらけても、誰にも迷惑をかけないのなら―――」


 言葉の途中でわずかにラヴが反応したことに気が付いて、ミリオネアはじっとりとした視線で見上げる。


「……ラヴ? あなたまさか誰かとの予定をほっぽりだしてなんか」

「おっともうこんな時間だぜ。いやーセンセ名残惜しいけどまた誘ってください! そゆことで!」

「あちょっと! もう!」


 ミリオネアを椅子に置き去りにして颯爽と去っていくラヴ。足の踏み場もないように見えるこの部屋で、何も踏んづけたり蹴飛ばしたりしないというのだからすごい。


「あの子は全く変わりませんね」


 はふぅとひとつ吐息して居住まいを正すミリオネア。

 もちろん今更そんな風に取り繕ってみたところでさほど意味はなさそうだが。


 アルフェは使い捨てコップをく、と飲み干す。


「……私もそろそろお暇いたします」

「ああ、もう少しだけお付き合い願えますか?」

「はい?」


 首をかしげるアルフェだが、ミリオネアは問答無用で飲み物のお代わりを渡してくる。

 みっちり礼儀作法の練習を積み重ねているアルフェなので、受け取ってしまったからには一気飲みなどできるはずもなく。


 にこやかな笑みでカップに口をつける彼女に、ミリオネアはまっすぐに眼差しを向ける。


「あの子は見聞き知っての通りのだらしがない子ですが、とても気がつく子です。アルフェさん、あなたをここに連れてきたのには、だからなにか意味があると思うのです」


 だからもう少しお話ししましょう。

 そう言ってミリオネアは笑う。

 それからちらりと視線を向けられたベルは、アルフェに巻き付いてふしゅると鼻を鳴らした。


「……私には思い当たることはありませんが」

「ええ。そうかもしれません。ただサボり仲間を探していただけということもあります」

「そのほうが、どちらかといえば納得できますね」

「わたしもそう思います」


 真面目くさって言うミリオネア。

 ふたりは目を合わせてそっと笑った。


 ミリオネアはカップに口をつけて、またベルを見つめる。


「わたしはあなたのことを少しも知りません。ですがその子はあなたのことをよく知っている。あなたが思うよりも、きっと、ずっと」

「……はい」


 最も精霊を知る者の言葉だ。

 人間としての信頼に関係なく、ミリオネアの精霊知識については絶対的に信頼できるのだと知っている。


 だからアルフェは素直にうなずいた。


 ミリオネアは苦笑して、


「わたしがもっと頼りになる先生ならよかったですね」

「いえ。先ほども言った通り……ええ。なにも問題はないのです。だから、そう……もう少しだけサボったら、行きます」

「頑張ってください。また、いつでもどうぞ。あ、でもサボりもほどほどにしてくださいね」

「ふふ、どうでしょう。私は片づけが得意なほうなので」

「?」


 首をかしげるミリオネアにアルフェは笑った。

 じぃ、と見つめてくるベルを抱きしめてやると、べろべろと顔をなめられる。


 ミリオネアはほんのわずかだけ目元を歪めて、けれどにこにこと二人を見守った。


 そんな、なんでもない時間だった。

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