第36話 階層境界を越えて

 『石の森』距離235―――階層境界


 上層との交通点から離れ、階層の脅威が本格始動する目安となる境界線。

 学生にやさしい学園迷宮とはいえ、特に目印のようなものがあるわけではない。


《んむ》


 けれどベルはなにかを感じ取ったようで、ぴくぴくと鼻を動かしている。

 それにアルフェも感じるものはあった。

 知識としてあれば、感知するのは難しいことではない。


「これが階層境界の向こう……なるほど」


 空間中の魔力密度の急激な上昇を肌で感じる。

 無意識でも、きっと違和感や威圧感として感じることができただろう。


「気を引き締めていきましょうか」

《げはは、全力で暴れてやるぜ》


 気合を入れなおし、ふたりは樹の合間を歩いていく。

 ぢゃぷ、と湿り気の沈殿した苔は踏みしめるたびににじむ。心なしか苔の厚さも増しているようだ。


 のほほん、とお散歩しているくらいの軽い足取りで歩いているふたりは、見るからに無警戒、まるで街中でも歩いているようだ。


―――けれど迷宮は油断できるような場所ではない。


 不意に頭上にさす影。

 見上げる先には霧の向こうから飛び降りる異形。


 苔を身体に張り付けた、ずんぐりむっくりな体型をした三頭身くらいの小鬼だ。

 樹上に潜んでいた彼らは、無警戒にも通りがかった哀れな獲物を強襲する―――


《……げはは》


 息もしてないのにてしっと両前足で口を塞いでいたベルがギラリと笑う。


 そのとたん強襲者たちは慌て始めるがもう遅い。


 ベルの前腕に巻き付く呪文。

 精霊であるベルは、つまり術域のようなもので、だから魔術と同じような性質を持つ。


 不定形の彼女は呪文によって部分的に現実した。


 そして―――


 ザンッ!


 ほんの腕の一振りが霧もろともに襲撃者たちを引き裂いた。六体の人型が一息に肉片と変わり、降り落ちる死体の雨の中でベルに守られたアルフェは穢れひとつなく立っていた。


《あ゛ぁん? もっと気合い入れやがれクソが》


 ぺっ、と吐き捨てるベル。

 ようやく暴れられると思ったら一撃決着だ、まったく物足りない。


「けれどうまくいきましたね」

《げはは、アイツらがバカだっただけだろ》


 なにせベルの気配で逃げ出すような魔物を討伐するためにわざわざ一生懸命威圧感を殺していたのだ。

 お散歩気分も、先ほどの小鬼―――ゴブリン一点張りのためである。


 ゴブリン。

 多くの迷宮で生息を確認される人型知的生命体な魔物。中には魔術を扱ったり特殊な能力を持っていたりする個体もある。


 魔物たちの中ではかなり知性が高い彼らは、奇襲の際に声を上げないていどには真っ当にこざかしい。

 だから常に奇襲を狙うし、そのうえで油断していそうな少人数の相手を狙ってくる。さりとて強者の気配に敏感であるというわけでもないが、警戒心が強いのは確かだ。


 そんな彼らに襲われるくらいなのだから、アルフェたちの気配断ちはそれなりにうまくいっているということなのだろう。


 講義で触れたようなモルフォ類並みの察知能力でもなければなんとかかんとか騙せそうなので、ベルの探知圏内ギリギリから全速力で強襲を仕掛けにいくような無理のある討伐をしないで済みそうである。


《にしてもこいつバラバラにしちまったけどいいのか?》

「ええ。討伐証明部位は角ですから」


 ゴブリンの頭に、1~3本くらい生えている小さな角。角というには丸みを帯びていて物々しさが足りない。

 それを頭蓋骨からへし折ってちぎり取ってやる。

 記念すべき階層境界越えひとつめの獲物だ。

 

「では次は少しだけ強めに」

《おーう》


 アルフェの指示に従って、ベルはちょっとだけ意識的に気配をおもらしする。

 じぅ、とにじむくらい。

 ゴブリンはギリ避けるか……? といった程度。

 口はふさがないが、わざわざ伏せをしてぬるぬると地面を滑る。


 その状態でふたりは再度歩き出す。


 しばらく歩いているとベルが気配をとらえ、近づいていけば向こうの気配もまたふたりを補足したらしい、数体の魔物がかなりの速度で駆けてくる。


「やはり来ますか」

《……げはは》


 ギラリと戦意をにじませるベル。

 そのとたん向こうの気配は速度を緩め、やべ、と彼女はとっさに口をふさぐ。


「ッ」


 アルフェは即座に足に呪文を巻き付け、ひとっ飛びに樹上へと―――そして見下ろせば傘のようにも見える石の森の上を高速で駆け抜ける。


 もはやこの際しかたがないとベルは戦意をたぎらせ、アルフェはまた彼女の一部だけを呪文で記述する。

 やがてアルフェは目的地へと到達し、固まって警戒する魔物たちへと落下した。


「ガルァアアアアッ!!!」


 咆哮上げるはオオカミのような獣。

 四肢と頭部をむき出しの骨格で覆ったティースという名の魔物だ。

 中でもひときわ図体の大きな個体の号咆に応じて、 落下するベルを避けるように彼らは散開する―――


「無駄です」


 その瞬間、アルフェが手中に展開していた呪文が魔術を成した。

 創造するは拘束。

ぎちぎちに絡まった紐のようなものが爆発するように勢い良く伸びティースたちを襲う!


「ガゥッ!」


 反応できたのは大型の一体のみ。

 しかしその大ティースは逃げるでも避けるでもまして襲うでもなく、傍らにいた一体へと思い切り体当たりをした。


「キャインッ!?」


 吹き飛ばされる個体の代わりに大ティースへと巻き付く拘束。


 ほかの個体も同じように捕らえた紐が、すべてをアルフェたちへと引き寄せた。


 ザンッ!


《げははははは!》


 あっさりと獲物たちを引き裂くベルの爪。

 周囲を取り囲むティースたちは瞬きふたつの間には死体と化す。大ティースとて例外ではない。


「ガルゥ……ッ!」


 たった一体残った個体は憎らし気に唸り、しかしすぐに逃げ出そうとしたが、飛来したナイフが後ろ脚に突き刺さったところをベルにつぶされて死んだ。


《くぅぅ……! ぶっ潰すのは気持ちいいぜ!》


 上機嫌にばうわうと笑うベル。

 アルフェは最後に死んだ個体の頭を持ち上げ、まじまじと観察した。


 ティースは群れで活動する獰猛な魔物だ。

 生理的なまでの嫌悪感を催さない程度に控えられたベルの気配に惹かれるくらいには比較的好戦的で、危険度の高い魔物として知られている。


 ティースの顔を覆う骨格はまるでマスクのようになっていて個体ごとに形が違うが、なかでもひときわ美しい骨面を持つ個体は群れのリーダーの寵愛を受けることがあるという。


 どうやらこの個体はそんな美獣さんだったらしい。

 人間にはあまりピンとこない感性だが、シンメトリーでかつ輪郭が丸っこいものがモテるらしい。


《んー。オマエのほうがいい面してるぜ》


 傍らにやってきたベルがアルフェの頬にふさっと顔を引っ付ける。

 アルフェは笑って、引き抜いたナイフでゴリゴリとティースの骨面をはがした。


 生物の顔面を引き剥がすのは探検者にとっても少々気が引ける行為だが、アルフェはさして気にした様子もなく作業を終える。


 ティースの討伐証明部位はこの骨面だ。

 いい具合に加工された骨面は一部界隈では人気のある仮面らしい。美獣さんの骨面となればひとしおだろう。


「さて―――」

《んぉ。またきた》

「また……?」


 ぴんと尻尾を立てたベルの視線の先を振り向く。


 なにもないその場所に、渦巻き集い始める霧。

 つい最近見覚えのあるその現象にアルフェは瞬いた。


「この程度の迷宮ではあまり発生しないはずですが……運がいいですね。それとももしかすると貴女の影響でしょうか」

《さーな! どーでもいーぜ!》


 げはは! と笑うベル。 

 その瞬間吹き飛んでくる霧の塊をあっさりと前足で消し飛ばす。散った霧が空中で針のようになって襲い掛かるのをまたベルが弾き散らした。

 そうすると霧はアルフェの頭上にぎゅるると集まり、ぎゅぽん、とその中央に暗く光る瞳を灯す。


 霧の魔物ミスト。

 見ての通りの不定形。霧そのものが意思を持ったような存在である。突発的に発生しては、まるで迷宮の守護者とでも言わんばかりに侵入者に敵対する。


 前回遭遇したように氷漬けにすることでも倒すことはできるが、討伐証明部位を得るにはやや特別な対処が必要だった。


 なにせ霧を瓶詰するわけにもいかない。


《この間はよくもまあコイツに触れやがったよなぁクソケムリが……ッ!》


 ギラリと牙を剥くベルへと応じるように霧は渦巻き、これまで以上に濃密な槍へと変ずるなり降り注いだがベルはあっさりとぶちかます。

 どれだけ集まろうとも霧は霧、ベルにとっては敵ではない。今すぐにでも蹴散らしてやりたいところだったが、その後襲い掛かってくるミストを彼女は振り払うばかり。


《ケッ。めんどっちぃぜ》

「もうしばらくかと思いますよ」

《むぅ……》


 降り注ぎ、薙ぎ払い、爆ぜるミストの攻撃。

 ベルはそれをべっちべっちと一蹴し、アルフェに一筋さえも触れさせない。


 やがてしびれを切らしたミストはアルフェたちから距離を取り、ぎゅるるるると壮絶に渦巻いていく。

 それはみるみる小さく小さく凝縮され、それに伴って周囲の霧がミストを中心にうごめき集まる。


 ヴォオオオオオ―――ッッッ!!!!


 周囲一帯の霧を吸い込み不自然に拓けたドーム状の空間、その真ん中で霧の異形は咆哮をかき鳴らす。

 腕の生えた山みたいなそれの奥に、ぼやけた瞳がふたりを見据えた。


「今なら大丈夫でしょう」

《っしゃおら》


 アルフェの許しが出た瞬間、ベルの前腕が霧の胴体をぶち抜き貫通する。

 ずず、と引き寄せた手中には、まるで霧を凝固させたような不思議な模様の浮かぶいびつな球体の石があって、アルフェは速やかに布でくるんだ。


 そのとたん霧は霧散し、まるでなにごともなかったかのように視界は霧で満たされる。


《ケッ。けっきょくぶちのめせないってんだからムカつくぜ》

「これはやや特殊ですから」


 アルフェは布でくるんだ石をしまう。


 その石は凝縮されたミストとでも呼ぶべきものだ。

 どんな攻撃も通用しないと判断したミストはさらなる力を得ようとして周囲の霧を自分に取り込み始める。その過程で本体である霧は凝縮し、核となることで大規模な霧を支配できるらしい。


 その核が今ベルの抜き出したものであり、ミストの討伐証明部位でもある石だった。


 石というよりは凝固した水分でできた氷のようなものでひんやりしているが、不思議なことに溶けたりはしない。


「次からは好きにしてかまいませんよ」

《っしゃ、跡形もなく消し飛ばしてやるぜ》


 ぶるるると気合を入れるベル。

 ミストは物理攻撃を無効するとまで言われるような存在だが、ベルであれば問題はないだろうとアルフェは予想している。


 なにせベルなので。


 さておき幸先のいいことにミストまで討伐できたので、今日中にもう数体討伐しておきたいところだった。

 普遍的な魔物くらいはコンプしておきたい。


「次は……とりあえずまた潜めていきましょう」

《おうよー》


 律儀に口をふさぐベルにアルフェは微笑み、ふたりはまた獲物を求めて歩き出すのだった。

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