11月18日(金)

 うちの両親は仲が良すぎる。


「今夜、お父さんとデートだから、晩ごはんは一人で食べなさいね。一応今日中に帰ってくるつもりだけど、盛り上がっちゃったら明日になるかも?」


 母はそんなこと言って、化粧とお洒落をばっちりキメて鼻歌交じりに家を出た。


 仲が良いことは息子としても喜ばしいことだ。仲が悪いよりは全然良い。だが、明らかに『仲良し』した後のベタベタした密接な距離感を息子の前で恥ずかしげもなく見せつけるのだけはやめて欲しい。絶対に教育上良くないだろ。常識的に考えて。


 誰でもそうだと思うが、親のそういうのはあまり見たくないし、知りたくもない。といっても、俺が中学に入るまでは狭いアパートで暮らしていたので、そういうときの声も音もそこそこ聞こえていたので、もう慣れてしまってはいるのだが。


 とにかくそんなわけで、今晩俺は一人。ちょっぴりテンションが上がる。親がいない夜ほど、楽しいものはないのだ。今夜は自由気ままな一人暮らし気分が味わえそうだ。


 自由気ままな一人暮らしの第一歩として、親から貰った晩飯代を片手に、スーパーで麻婆豆腐の材料一色と、食後のお楽しみとして、コーラとポテチ、そしてアイスを買ってきた。自由気ままな暴飲暴食も、一人暮らしならではだ。


 ちゃっちゃと麻婆豆腐を作って食した。食べ終わって午後七時。洗い物を済ましてもまだ午後七時五分。それから風呂を洗い、風呂を入れてもまだ七時半。風呂を上がってようやく八時。まだまだ夜は長い。


 食後に楽しみにしておいたおやつも、いつもの癖で食べるのをうっかり忘れてしまっていたので、風呂上がりに食べることにした。風呂上がりのおやつも悪くない。コーラを氷たっぷりのコップに注ぎ、ポテチを開封、アイスはまだ冷凍庫に眠らせておく。リビングのテレビのスイッチを入れ、お気に入りのお笑いDVDをプレイヤーにセット。完璧過ぎる。この優雅さ、素晴らしいの一言に尽きる。


 ネタが始まった。俺はコーラを飲み、ポテチをつまむ。


 と、そのとき、スマホが鳴った。

 見てみるとタツミからのメッセージだった。


『やぁやぁ我こそは暇するものなり!(ザリガニの絵文字) 遠からんものは音に聞け、近く場よって目にも見よ!(カブトムシの絵文字)』


 意訳すれば『暇だ、相手をしろ』ということだろう。優雅な男としては、相手をするのにやぶさかではない。レディが困っているなら、それを助けるのがジェントルのつとめ。


『よろしい。相手になってやろう』


 そう送った。すぐに返事が来た。


『今何してんの?(拳の絵文字)』


『親がいないからフィーバータイムを満喫してる。ははは、苦しゅうない』


『乗るしかねぇ! このビッグウエーブに!(イルカの絵文字)』


『季節外れの波乗りタツミ』


 これを最後に、一分が経ち、二分が経っても返事がなかった。タツミにしては珍しいことだった。ま、こっちは絶賛優雅タイムなので別に気にしない。俺は止めていたお笑いDVDを再生した。ポチッとな。東北出身、太っちょ二人組の面白おかしい掛け合いが始まった。


「あはは、みやすのんきか!」


 俺がテレビに向かって、金髪の方の太っちょと同じツッコミを入れていると、


 ピンポーン!


 チャイムが鳴った。


「はいはーい」


 インターホンのカメラを確認すると、そこにはタツミ。


「我が名はアシタツ! 東の果てからやってきた! 押し通る!」


 自分をアシタカだと思っている異常者がドアをがちゃがちゃやりはじめた俺は慌てて玄関に向かい、ドアを開けた。


「よっす」


 手に大きな袋を下げたタツミがニコッと笑って言った。


「よっす、じゃねぇよ。急になんだよ。あと、いい歳してドアをがちゃがちゃするなよ」


「え? 行くって送ったじゃん?」


「そうだったか……?」


 覚えがなかった。


「お邪魔しまーす。邪魔はしないし邪魔なものかー」


 タツミはわけのわからんことを言いながら、ずかずかと家に上がり込んできた。とりあえずタツミをリビングに案内してから、俺はテーブルに置いてたスマホを確認した。


『乗るしかねぇ! このビッグウエーブに!(イルカの絵文字)』としか書いてない。ビッグウエーブに乗る=家に行くという意味だったらしい。波に乗るのと家に乗り込むのを掛けているのか? いや、そんなことどーでもいーや。


 タツミにコーラを出した。


「ありがと。これはおみやげ」


 タツミの持ってきた袋にはお菓子がたくさん入っていた。ありがたい。早速使わせてもらった。タツミのお菓子をテーブルの上に広げた。


「あ、サンド見てたの!? 最初っからみていい!?」


「いいよ……」


 金曜日の夜、仲の良い女の子と一緒にお笑いのDVDを観る。至高の優雅タイムのはずなのだが、俺の内心は優雅と程遠かった。俺の心はざわついていた。夜、親のいない家で女の子と二人、なにかの予感に胸が高鳴り荒れ狂うのは仕方ないことではないでしょうか!?


 そんな人の気も知らずに、タツミは太っちょ二人組の面白おかしい掛け合いでゲラゲラ笑っている。俺がそんなタツミにクラクラしているのにも気付かずに。


 何度も観たお笑いDVDの内容なんて今はどうでもよかった。俺の意識はやけに、どうしようもないほどタツミに注がれてしまっていた。


 グラスに触れ、お菓子を摘む指、咀嚼する口、上下する喉、唇をペロッと舐める舌、全てが艶かしく見えてしまう。


 誘ってるのかタツミさん!? いや、そんなわけない。タツミは普段どおりのはず。おかしいのは俺だ。そんなことはわかりすぎていた。この状況が俺をおかしくしてしまっていた。


 しかしタツミよ、君は一体どういうつもりでここへやってきたんだ? ただ遊びに来ただけなのか? 親がいないことを知りながら、ただいつも通りに遊ぶつもりなのか? それとも、それなりの遊びを覚悟してきたのか?


 ああ、ダメだ、なんか頭がフワフワしてきた。タツミの横顔が眩しく見えた。いつものリビングの明かりが、今日はやけに輝いている。タツミと夜とコーラのカフェインの組み合わせは精神の健康にあまりよろしくないのかもしれない。


 笑うタツミの横顔を眺めながらひたすら考えた。俺はどうするべきか。生きるべきか死ぬべきか? イクべきかイカぬべきか? それが問題だった。気分はもうハムレット。


 そういえばハムレットは親の不義の疑惑がことの発端だった。俺の場合は親の仲が良すぎるのが発端か。そのうち親の生霊かなんかが出てきてアドバイスでもしてくれのかな? いや、女の子とのことを親がいちいちアドバイスしてきたらキモいな……。


 そんな馬鹿なことを考えているうちにDVDが終わってしまった。


「あー楽しかった! じゃ、今日はもう遅いから帰るね! まったね~、バイビ~(死語)」


 タツミとの時間も終わってしまった。「ちょ待てよっ」とキムタク風にタツミを止めることも、バイビ~に突っ込むことすらもできず、俺はタツミを見送ってしまった。


 優雅な夜になるはずが、なんとも煮え切らない結果となってしまった。何も出来ないどころか、自分の心の中にモヤモヤを抱えるだけになってしまった。俺が大人なら、もう少し上手くやれたのだろうか……。


 大人でもなく子供でもない、それが高校生。そんな中途半端な時期なんだから上手く出来なくて当然だ。きっと皆、そうやって大人になるに違いない。そう考えると、むしろこれで良かったとも思う。下手にことが運びすぎると、コウノトリまでが祝いの品を運んできかねないし。


 うんうん、そうだそうだ。それでいいのだ。金曜日の長い夜、俺は自分を無理矢理納得させた。

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