10月18日(火)

 昼飯は学食のカツカレー。学食のおばさんは俺が中学の頃の同級生のお母さんで、俺にだけカレーの量をこっそり増やしてくれる。ちなみに俺はその同級生とほとんど話したことはなく、同級生のお母さんだとわかったのも、あっちから話しかけてきたからだった。特に目立つわけでもない俺を同級生ならともかく、なぜその母親が知っているのかは、未だに謎である。


 ここのカレーは美味い。同級生のお母さんが作ってるだけあって、まさにおふくろの味だった。くせも際立った美点も見当たらないが、まろやかでごく一般的なただのカレーという究極的に普通なところが俺の好みにばっちり合っていた。都会の派手な美女もいいが、田舎の素朴な女性も素敵、に近いと思う。


 カツカレーを食べ終え、少し学食で一服してからトレーと皿を返却し、学食のおばさんにお礼を言って、俺はいつものベストプレイスへ向かった。


 先客があった。タツミとウンノがなぜか俺のベストプレイスにいた。二人は並んで座り、なにやら話し込んでいる。俺は反射的に隠れた。タツミとウンノ、その中に入っていくのはなんだか嫌な予感がして躊躇われた。なので、俺はこっそりとベストプレイス付近の茂みに身を伏せ、二人の様子を窺った。盗み聞きにはなるが、ウンノが相手の場合、用心に越したことはない。


 だが、ここからじゃ二人の会話は聞こえてこなかった。かすかに断片的に音が聞こえるだけで、意味や内容は全くわからなかった。悪い話とか、真面目な話ではなさそうだった。二人の様子はいたって平穏で、タツミが楽しげによく喋り、ウンノが相槌を打ち、ときおり笑うような感じだった。関係は良好そうに見える。


 別に出ていってもいいんじゃないか? そう思ったが、一度隠れてしまうと、なんとなく二人の前に姿を出しづらくなってしまった。盗み聞きの罪悪感ってやつかもしれない。


 なにやってんだろ、俺……。隠れたことをちょっぴり後悔し、現状のバカバカしさを思って、茂みの中でため息が止まらなかった。


 そんな二人の会話は昼休憩いっぱいまでたっぷり続いた。チャイムが鳴って二人が去った後、俺は茂みから身を起こし、落ち葉のついた身体を払ってから二人の後を追って教室に戻った。


 午後一発目の授業の後の休憩時間にトイレに行った。用を足したその後偶然に、トイレの出入り口の前でウンノとばったり遭遇した。ウンノもトイレ終わりだったらしい。


「あら、マツザキくん、いっぱい出た?」


 ウンノがいつもの微笑でとんでもないことを言った。


「いきなりなんだ? タツミと話してタツミが感染うつったか?」


「なんでマツザキくんが私とタツミさんが昼に話してたことを知ってるの?」


 ニヤリ、とウンノが笑った。


「そ、それは、昼休みにウンノとタツミが二人でいるところをたまたま偶然ばったりうっかり見てしまったからだ」


「ふぅん……」


 意味深な笑みを浮かべるウンノ。


「なんだよその顔……」


「べつに。トイレの前じゃ、なんだから……」


 俺たちは手洗場の横の給水器のところへ場所を移した。


「あなたたちっていつもあんな馬鹿話ばかりしてるの?」


「ん?」


「マツザキくんとタツミさんの会話内容はいつも、たけのこ派かきのこ派かとか、赤味噌派か白味噌派か、とかそんな馬鹿みたいな話しかしてないの? って聞いたの」


「そんなわけないだろ。ちなみに俺は穏健派だ。たけのこもきのこも美味い。両者ともに融和できるはずだ。できればきのこ主導で、ゆるやかにきのこに併合されることを俺は望むが」


「やっぱりそんな会話ばっかりしてるのね。ちなみに私はたけのこ原理主義者。きのこよ滅び給え」


 やはりこいつとは分かりあえなさそうだ。いずれ白黒つけるときが来るだろうが、今はそのときじゃない……。


「そんな会話ばっかりしてるから、タツミさんとの距離が縮まらないの」


「大きなお世話だ。そんなことウンノに心配されるいわれも必要もない。他人のことよりウンノは自分のことを心配したほうがいいんじゃないか? 特殊だろ? そっちは」


「何も特殊なことなんてないわ。だってただの男と女だもの。それに私たちは余計な言葉なんて交わさないもの。言葉で飾らなくても、肉体で充分伝わるのよ? マツザキくんにはまだ早いでしょうけど」


 ウンノは斜に構えたような上目遣いで俺を見た。挑戦的であり挑発的であり、扇情的だった。同じ高校生、同級生とは思えないほど色っぽい。ただの秋の昼下がりが、やけに暑く感じられた。


「勘弁してくれよ。俺はそこまで爛れられない。ウンノと違って、こっちはガキなんだ」


「私だって子供だよ? ただ恋してるだけ」


 そんなことをあっさりとこともなげに言ってのけるウンノの横顔は、やはり俺たちよりよっぽど大人びて、そしてかっこよく見えた。経験値の違いの為せる技だ。


「俺よりはよっぽど大人だよ」


「タツミさんと大人になれるといいね」


「どーゆー意味だよ」


「言葉通りの意味。でも、パパにはならないように気をつけね。まだ遊んでいたいでしょ? いろんな意味で」


「だから自分の心配しろって」


 ウンノ、やはり手強い女の子だ。だが、今日のウンノからはいろんなことを学んだ気がする。何をどう学んだかは上手く言語化できないが、大人の人と話したときのような、大人の世界に触れたような、そんな学びがあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る