9月22日(木)
ようやく本当に秋がきたのだろう。秋らしい日々の始まりだった。急激に涼しくなったから少し肌寒さを感じるが、あのサウナのような湿度モリモリの夏の日々に比べれば、なんと過ごしやすいことか。
とはいえ、寒暖差のおかげで自律神経がおかしい。昨日に引き続き、今日も眠い。春眠暁を覚えずという言葉があるが、これの秋版が欲しいところだ。春のところを秋にそっくり入れ替えてもいいだろうか?
とまぁ、そういうわけだから、今日も昼休みにいつもの場所でシエスタを貪っていた。そこへ、
「おらぁッ!」
威勢のいい女の声。それとは裏腹に、そっと俺の頬へ冷たい何かが押し当てられた。
「ぎゃーっ」
ヒヤッとする感覚に、俺は小さな悲鳴を上げつつ顔にかけていたハンカチを取って上体を起こした。そこにはやっぱりタツミ。ふふん、と不敵に腕を組んで仁王立ち。その手のビニール袋。腹のあたりで揺れていた。
「これは仕返しさ」
タツミが言った。はてさて、仕返しされるような何かを俺がしただろうか?
「仕返しってなんの?」
「これこれ」
タツミがビニール袋を差し出す。俺はそれを受け取り、中を見た。俺が貸した『夏への扉』だった。それで察した。
「おー、読んだのか。どうだ、面白かっただろう?」
「面白くはあったけど、全然内容が違うじゃん! 危険で凶暴で狡猾な殺人キャットの話はどこにいった!?」
俺は表面的にはとぼけつつも、内心でほくそ笑んだ。そうそう、俺はこういう反応が見たくて、あんな馬鹿げた嘘をついたんだ。まったくタツミってやつは可愛げのあるやつだぜ。
「あれ? 違ったかぁ? おっかしいなぁ~、同時期にいろんな本読んでたから、タイトルがごっちゃになってたかもしれないな。危険で凶暴で狡猾な殺人キャットの本はまた探しておくよ」
ま、おそらくそんな本はこの世に存在しないんですけどね。
「できるだけ早くお願い。私、それが気になって仕方ないんだから」
「おう、任せとけって。で、『夏への扉』はどうだった?」
「普通に面白かったよ。映画とかやってもいいよね、子供と一緒に楽しめるSF作品っていいと思うし」
「今年の春ごろやってたよ」
「えっ!? ほんと!?」
「ああ、ほんと」
「マツザキくんはもう観た?」
「いや、俺は観てない。俺も映画化を知ったのは公開からちょっと経ってからだったからなぁ。その頃には観られる映画館も少なくなってきてたんだ」
「じゃ、今度一緒に観ようよ!」
思わぬ突然のお誘い。僥倖とはこのことか。女の子と二人っきりで映画を見る、それは男子中学生が高校生になったらやりたいことのベストテンに入る一大イベントだ。しかもその相手がタツミときたら、いかに冷静沈着、それでいて諧謔滑稽を併せ持つ俺であっても、内心の天にも昇るような高揚感を禁じえない。
ただ、一つ問題があるとすれば、映画のタイトルだ。正直言って、映画版『夏への扉』にはこれっぽっちも興味がわかない。俺はあまり邦画を観ないタイプだし、この手の小説原作の実写化は悲惨な完成度となったものが山ほどある。それを思うと、どうも食指が動きにくい。いかにタツミという魅力的な女性とともに同じ時間と空間を過ごすためのものでしかなかったとしても、もうちょっとマシなものが観たい。いや、観てもいないうちから駄作と判断するのは間違っているのだが……。
「あれ? 私と映画みるの、イヤ?」
タツミが珍しく、弱々しく小首をかしげた。もちろん俺はイヤじゃないので、首を振った。
「もちろんイヤじゃない。空いてる日がいつだったか頭の中でスケジュール帳を開いていたんだ」
「そっか。じゃ、空いてる日があったら教えてね~。それじゃ、私はこれで」
「ん、そうか。じゃ、またな」
「また寝過ごしてサボったりするなよ~」
タツミは踵を返して小走りに去っていった。俺はその背中に手を振った。
タツミの忠告はありがたいが、もうサボる心配はない。俺もアホじゃない。ちゃんとスマホにアラームをセットしている。しかも三つも。これでサボれるやつがいたらそいつは真正のアホだ。そして俺は真正のアホではないので、もう一眠りできるというわけだ。
アラームは正常に作動した。時刻は午後の授業開始五分前。教室に戻って授業の準備を自席の上に広げる。ほどなくして授業が始まった。その直後、俺のスマホからけたたましいアラームが鳴った。どうやら間違って、授業中の時間にもアラームをセットしてしまっていたらしい。おかげで俺は授業終わりに教師にこっぴどく叱られた。俺はまた別種のアホだったのだ。あんまり笑えないタイプの。
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