第34話 悪魔の憂鬱

「どうしてこうなった……」

 全ての事象に絡んで、全てを己の利益に誘導しながらも、そう呟かざるをえない。

 セイバーはわしわしと頭皮を揉む。

 疲労を感じてエステを予約し、そのまま直行する。

 その間にも車の中では、現在の株価の市場を見ている。


 資産運用は分散して行うべし。

 これはセイバーだけではなく、運用だけで食っていく人間にとっては、当たり前の鉄則である。

 そして長期的に持つ資産、短期的な取引をする資産、色々なものがある。

 たとえばアメリカにおいては、セイバーは株式の配当だけで、下手なメジャーリーガーよりもよほど稼いでいる。

 ただ美味しそうな話を見つけては、投資をしてまた違った儲け方をする。

 他には日本なら、貴金属の現物売買なども一応はやったものだ。

 株価が乱高下するなら、むしろそれは儲けるチャンス。

 だが低迷してしまったり、一方的に上げ基調になってしまうと、今度は下手に動けなくなる。

 誰もが買うようになってから買っては遅いのだ。


 そんなセイバーが完全に趣味として、儲けようとしているもの。

 それがプロ野球である。

 以前にはMLBにはオーナーとして入り込む余地がなかったが、日本で上手く資産を増やすことが出来た。

 そしてアメリカに戻り、いよいよ話を詰めようとしている。

 現在はアナハイムにいるが、ここの株式はほとんどが、モートンの持っているものだ。

 それでも全てというわけではなく、セイバーは個人として1%ほどの株式を所有している。


 そのアナハイムに関しては、球団自体はそれほど困っていない。

 だがほぼ独占的なオーナーであるモートンは、かなり困っていた。

 ロスアンゼルス大都市圏を中心に、観光やエンタメ事業で巨大な富を築いたモートン。

 しかし今回の選手の放出、特に直史がいなくなったことで、想像以上に彼の持つ全ての分野の資産が目減りしている。

 これは別に、直史一人を出したからではない。

 そもそも今年で契約が終わり、しかもポストシーズンが絶望的となれば、放出するのは当然の話なのだ。

 だから本来は批難されるべきものでもないのだが、直史の記録には全米レベルで注目が集まっていたのだ。


 違うリーグの、しかも先発で使わないチームに、直史を放出したこと。

 これによって世紀の大記録は、達成されることは不可能となった。

 それに対するマイナスのイメージが、モートンはおろかセイバーにとってさえ、予想以上のものであったのだ。

 もちろん本気でこの状況を危惧しているのはモートンだけで、セイバーにとっては自分の資産のごく一部でしかない。

 むしろ今こそ、セイバーの目的を果たすチャンスなのだ。


 そもそもいずれは、という話はメトロズのコールからあったのだ。

 コールは高齢であり、ほとんど道楽でMLBのオーナーをやっている。

 その後釜を狙っているのがセイバーであり、大介をメトロズに連れて行ったのもそれが理由の一つであったのだ。

 大介がいる間に、一度ぐらいはワールドチャンピオンになれるだろう。

 そう思っていたら一年目から軽く達成していまって、計画が狂ってしまったのだ。

 修正するためには絶対的な対抗馬が必要となり、それをアナハイムと認めた。

 同じくオーナー一人の権限が大きいのが、セイバーにとっては好都合だったのだ。


 セイバーにとってプレイヤーとして見た場合、信頼できるのは直史か大介か。

 それはもちろん直史であるのだ。

 しかし選手としての華は、大介の方が上回る。

 ただアメリカに来た直史は直史で、メトロズの連覇を阻んでしまった。

 翌年にはアナハイムとメトロズの、絶対的な本命同士の対決。

 そこまでは本当に良かったのだ。


 セイバーにとっての不都合は、最初から分かっていたことだが、直史が契約の延長を結ばなかったこと。

 そして開幕前のターナーの故障である。

 さらには樋口も今季絶望となり、モートンはチーム解体に踏み切った。

 この当たり前の事情において、直史をア・リーグのワールドシリーズが狙えるチームに放出出来なかったのが、最大の誤算であった。


 セイバーはGMではない。

 ただ代理人のような立場で、色々と交渉したり材料をまとめたりはする。

 わずかな時間のタイミングの悪さで、ボストンやラッキーズはピッチャーを手に入れていた。

 そして直史がワールドシリーズを狙えそうで、しかもセイバーの話の通るのが、もうメトロズしか残っていなかったのだ。


 純粋に、あの二人をずっと見てきたセイバーとしては、この最後の年を一緒のチームで送るのも、いいのではと思っている。

 ただ心配なのは、お互いと対決する機会が失われ、二人がモチベーションを失わないか、というものであったが。

 特に大介は、その情熱がプレイに反映される。

 怪我から復帰して、とんでもないペースでホームランを量産している。

 キャリアハイは絶望と思われてから、それを取り戻すペースだ。

 打率はかなり落ちたが、それでもシーズン前半の貯金がある。 

 おそらく今年も三冠王は取れるのではないか。


 二人は、一緒にいるのがいいのか、それとも対決させた方がいいのか。

 同じチームにいても、またはワールドシリーズで対決しても、どちらも見たい光景であろう。

 うんうんとうなるセイバーは、こればかりを考えてもいられない。

 今はアナハイムの今後について、色々と考えなければいけないからだ。




 ロスアンゼルス大都市圏の経済活動が、やや低下してきている。

 まさか全てが直史の放出の影響というわけではないだろう。

 だがアナハイムの球団資産価値は、球速に低下している。

 直史が投げる以外では、ほとんど勝てなかったのがここのところのアナハイムだ。

 その直史を放出してしまった。


 シーズンチケットについても、払い戻しが多く発生している。

 またアナハイムの球団として展開していた事業も、スポンサーがどんどんと下りている。

 それはそうだろうとセイバーは思っていたのだが、モートンにとっては予想外だったようだ。

 セイバーは完全に、金融投資によって己の財産を管理している。

 だがモートンの資産の鍵は、エンタメ事業を含めたサービス業と言っていい。


 セイバーのやっていることは、正直なところ虚業だ。

 金を右から左に移して、そしてそれで儲けている。

 モートンのやっているエンターテイメントやサービス業も、かなり虚業の部分はある。

 だが歴史的に見れば金融の方が、当然ながら古くからある。

 そしてリスクもコストも投資関連の方が安い。

 世間一般から見られると、セイバーは何も生み出さずに儲けているように見えるだろう。

 実際には金が必要で、金さえあれば新しく何かを生み出すというところに、金をかけるのはとても大切なことだ。

 また失敗したら投資分がそのままおじゃんになるというのはある。


 そんなセイバーは、市場のチャートだけを見ていた方が、単純に儲ける手段としては簡単だ。

 彼女にはそういった、まさに才能と呼ぶべきものがあるのだ。

 だがあまりにも簡単なものであれば、人は飽きるものである。

 彼女は既に学生時代に、そうったものには飽きていた。

 利確と損切り、市場において儲けるのは、究極的にはその二つだけでいい。

 そんな中で彼女が関わったのが、まさに虚業とも言える分野であった。


 エンターテイメントというのは、果たして虚業と言うべきだろうか。

 本当に虚業であるなら、どうして先進国でこうも儲かるものなのか。

 プラットフォームを作り出した企業は、完全に世界の覇権を握っている。

 そしてそのプラットフォームに流すコンテンツが、今は重要になっている。


 セイバーはプロスポーツの世界で、いくつか状況を比較したことがある。

 アメリカの四大スポーツに、世界的なスポーツであるサッカーだ。

 この中で一番、衰退の可能性が高いのはサッカーと判断した。

 市場規模を考えれば、それはないだろうと思えるものなのに。

 またNFLは最も資産価値の高いチームが多く存在しているが、彼女の好みに合わなかった。

 年間試合数などを考えると、振れ幅が小さいと感じたのだ。


 実を言うと大きく動かせるのは、NBAの方ではないかとも思ったのだ。

 MLBに比べるとNBAは、アメリカの中では伝統という意味では、まだ新規参入の余地が大きい。

 ただそこでもセイバーが微妙だと感じたのは、スタープレイヤーの移籍による戦力の上下が、MLBよりも大きいと感じたからである。

 それにNBAはその市場が、日本からの参入が比較的少ない。

 第二の故郷である日本にある、プロ野球の市場。

 ここにはMLBにおいて、活躍できる逸材があふれていると思ったのだ。

 実際に確認してみれば、そんなに甘いものでもなかったのだが。




 資産の目減りしているモートンに対して、セイバーはアナハイムの権利の一部売却を求めた。

 セイバーの資産状況から、アナハイムに関する権利をある程度買い取ることは、充分に可能であったのだ。

 もちろんオーナーとしての権限が、一番つよいのはモートンのまま。

 ただセイバーはストップ安を続けているアナハイムのチームが、来年にはすぐに回復すると見ていた。

 なぜなら理由が、故障者が出たことだと分かっているからだ。


 これからさらにシーズンの終了に向けて、アナハイムの資産価値は目減りしていくだろう。

 それをセイバーが買い取るというのは、分からないでもない。

 彼女は日本に太いパイプを持っていて、多くの選手の移籍に関わってきた。

 今後数年の間に、またMLBにスタープレイヤーを呼び込むつもりであるのか。

 ともあれモートンは、アナハイムの権利を30%までセイバーに売却した。

 全く意見を無視することは出来ないが、それでも権利の筆頭者はモートン。

 悪くはない状況である。


 今から見れば直史も、他の選手も放出しない方がよかったのだ。

 主力選手たちに対する、ファンの固定人気が予想よりもはるかに巨大なものであったのだから。

 それに直史を残しておけば、その記録に関してのニュースで、アナハイムという都市の経済全体に、影響は波及していたであろう。

 契約の切れる選手は放出するという、本来なら当然のトレード。

 今回はそれが、完全にマイナスの方向に働いた。


 ファンは確かに、地元ということでチームを愛することがある。

 しかし本物のスターがいることが、ファンをひきつける要素なのだ。

 モートンとしてもそもそもは、野球を好きでオーナーを始めたはずだ。

 それがこんな単純なことを忘れているとは。

 GMに指示した以上、これはモートンが背負うペナルティである。

 もっとも挽回の手段がないわけではない。


 ターナーが復帰すること、樋口が復帰すること。

 そしてリリーフ陣を整備すれば、またポストシーズンは狙えるようになるのだ。

 アナハイムというチームだけを見れば、今年の放出でぜいたく税が、一度消滅したことは大きなことだ。

 これで来年は、それなりの金額で補強を出来る。

 放出した選手で、プロスペクトも獲得しているのだし。


 この時点でのモートンは、おおよそセイバーの洞察の通りの思考にあった。

 そしてセイバーは、ここからさらに動いていくのを、もちろんモートンに言ったりはしない。

(ほしいのはアナハイム全て。そしてここからはかなりの賭けにもなる)

 セイバーがモートンに優るのは、まさに情報の部分。

 来季のアナハイムのことを考えて、セイバーは女性初のMLBの独占オーナーとなることを狙っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る