第26話 状況確認

 絶対的な主砲が消えた。

 今年の大介の、これまでの成績に注目していた人間は、メトロズのファンではなくとも絶望した。

 大介自身の記録した、年間81本というホームラン記録。

 これをはるかに上回る速度で、ホームランを量産していた。

 それを更新することは、現実的に不可能になった。


 全治一ヵ月半の、復帰まで二ヶ月。

 ただし故障した場所が場所なので、後遺症はあまり残らないだろう。

 もっともその間に他の部分のトレーニング全体が出来ないので、体力自体も落ちているかもしれない。

 悪質なスライディングによる重大な事故は、これまでにも何人もの選手に怪我をさせてきた。

 特に今回は、怪我をさせた相手が悪かった。

 しかも大介はスライディング自体は回避しているのに、その落ちてきたところにさらに追撃をしているように見える。

 その二度目のところで避けていれば、過失にはならなかっただろう。

 とにかく悪質すぎるということで、罰金と出場停止にはなったが、まだまだ話は終わらなかった。

 なぜかここで、差別問題が出てくる。


 ランナーが白人で、大介がアジア人だということが悪かったのか。

 もしこれで怪我をしたのが黒人野手であったら、さらに問題は大きくなっていたのか。

 白人同士であれば事故は起こらず、黒人同士ならば個人の問題。

 そんな言説が出てきて、ネットでは散々に叩かれたりもした。


 当人である大介からすると、あれは意図的であったなとは思う。

 だがあの程度の悪質さならば、普段の自分なら回避出来たと思うのだ。

 問題になったのはやはり、これで試合が終わったという油断。

 それに本気ならむしろ、下敷きになった方に肘を入れるぐらいはしておくべきだった。

 少なくともビーンボールを投げてくるピッチャーには、確実にお返しをしているのだから。

 また、それを指示するような相手のベンチにも。


 以前に肋骨を折った時は、本当にわずかなひびが入った程度であった。

 しかし今回はかなりぽっきりと、単純骨折している。

 骨折した周辺が熱を持ち、一週間ほどは安静。

 なんだか家族で入院には縁があるな、と思ったりもした大介である。


 ただこの状況が発表されるにつれ、ニューヨークではデモが起こり、暴動に発展していった。

 なんでやねん、と大介はライガース仕込の関西弁で考えるが、大介が有色人種であることが問題であったのか。

 アメリカに来て四年目の大介であるが、この国の人種差別問題というのは、本当に病的であると思う。

 人種差別から発展して、様々な差別の排除という方向に話は持っていかれるのだが、そういう主張をするのは富裕者層だ。

 差別撤廃はファッションのように映り、大介としてもアジア人として、意味の分からない質問を受けたものだ。

 

 大介としてはああいうプレイは、人種によらず人格で、するやつがいるしされるやつがいる。

 昨今はまだしもMLBのみならず野球全体が、故障に対して敏感になっている。

 あんな無茶をするような選手は、味方のファンからでさえ非難される時代だ。

 もちろんそれはいいことだと思う。

 ただ当事者にだけはなりたくなかった。


「俺は怪我人のはずなんだけどな」

「あたしもそう思うけど、暴動の方は本当にどうにかしないといけないでしょ」

「アメリカって……」

 いくら日本で一番熱狂的なライガースファンでも、こんなことはしなかった。

 ……ずっと前には選手が襲われた事件というのはあったのだが。

 ただそれはNPBならば昭和の時代の話だ。

 少なくとも平成までに、そういった原始時代は終わったと思っていた。


 NPBでは乱闘など、年に一度も起こらない。

 ただMLBでは、まだそこそこ起こる。

 そして日本では暴動は起こらないが、アメリカではそれなりに起こる。

 よって大介はコメントを出して、事態の収拾を図らなければいけなかった。

 まだ呼吸をするだけで、痛みが走るのであるが。


「野球というスポーツをやっているのだから、そりゃあクロスプレイで怪我をしたりもするさ。ラフプレイにに走ることもおかしくない。闘争心がなければとてもプレイできないからね」

「スライディングが悪質だとか、そういうことに対するペナルティを与えるのはMLBで、怪我をして怒るのは俺であって、俺が怪我をしたからといって暴動を起こす理由にはならない」

「俺が求めるのは今後こんなことがないように皆が注意してプレイすることと、誰もが怪我で悲しい思いをしないことだ」

「怒りを発散するぐらいなら、またスタジアムに見に来て欲しい。とびっきりのプレイを見せると約束する」


 被差別カーストのアジア人がこういうことを言うと、通常は甘く見られたりする。

 だが大介は一年目の時点で既に、当てにきたデッドボールを、普通に打ち返してしまったりしている。

 二年目の方が打点やホームランは多いが、それは一年目にイリヤ事件で出場しない試合が多かったため。

 もしもあの16試合に無事出場していれば、二年よりも優れた数字を残していたかもしれない。

 実際に復帰して以降の数字は、試合勘がやや鈍っていたのか、それまでよりも落としている。

 このあたりをもって、大介の全盛期はMLBの一年目と主張する、逆張りの人間もいたりするのだ。




 自分が離脱したメトロズについて、大介はしばらくあまり気を回せる余裕がなかった。

 自分の怪我でニューヨークで暴動が起きたなどというのは、いったいどういうことだと半笑いになったりもした。

 イリヤの死の時は、ニューヨークのあちこちで、全米のあちこちで黙祷が行われたものだが。

「これが人望の差か」

「違うと思う」

 現在ツインズは、自宅と病院を二人で交代している。

 主に病院にいるのは椿で、マンションの方が桜という分担だ。

 単純に子供の世話に、桜の方がむいているというだけだ。

 直史も上手く移動の合間を縫って、わずかだが面会に来た。


 骨折による痛みと発熱は、しばらく続いた。

 過去にあちこち痛めたことはあったが、この怪我が一番ひどい。

 そして直史との会話も思い出す。


 正直なところ、頭が完全には回っていなかった。

 ただ直史が確認したかったのは、果たしてワールドシリーズでの対決が実現するかということだ。

 大介としても自分の離脱が、メトロズの勢いを止めることにはなりかねないと思っている。

 最近はやっと安定してきたものの、メトロズは大量点でピッチャーを援護するチームだ。

 武史とジュニアはそれなりに安定しているが、リリーフの弱さは間違いがない。


 ただ幸いと言うべきか、メトロズは今年は諦めて、チーム再建には入らないであろうということだ。

 大介の契約が残っているし、シュミットとも大型契約を結んだ。ステベンソンも長期契約だ。

 連覇の可能性が残っている限り、フロントは諦めないだろう。

 そして実際に、まだまだ諦める時期ではない。


 復帰まで二ヶ月と言われたが、過去の経験から大介は、おそらく一ヶ月ほどで復帰出来るだろうとは思っている。

 疲労があっても故障をしても、すぐに回復してきたのが自分であるからだ。

 この体質だけは、確かに才能だな、とは思わないでもない。

 あとは完治するまでにやっておけることは、動体視力の維持だ。

 目の筋肉というのは、使わなければ衰えるし、なかなか鍛えるのも難しいと言われる。

 だいたいの大打者が引退するのは、この目がもうボールについていかないようになるからだ、と言われる。

 完全な老化だ。これも体質によって、老化が早いか遅いかというのはある。


 かつて薬物が席巻していた時代、筋力の増強が主な目的であった。

 だが筋力は腕や足といった分かりやすいものではなく、眼球周りの筋肉までも収縮の速度を上げたという。

 バリー・ボンズが30代の後半でキャリアハイのホームランを打てたのは、このためだとも言われている。

 大介としては日本人に多い性質として、薬物利用には強い抵抗感がある。

 ただ治療のために禁止薬物に手を出す人間も多いというのは、理解できないわけでもない。

 この骨折が一週間で治るというなら、確かに薬物に手を出すかもしれない。

 もっともそれが、今は禁止されていないものであれば、という注意書きは付くが。


 とりあえずニューヨークの暴動は収まったが、今度はSNSなどで、無責任に報復しろとの発言があふれている。

 ただこれは報復死球の文化があるので、アメリカ人にとっては常識の範囲内なのだ。

 これに関しても大介は、後でチームメイトや首脳陣に、その必要はないと伝える手間をかけることになった。

 そもそもデッドボールの報復なら、屈辱的な凡退を続けさせるべきだという、直史の方がよほどスマートだ。

 もっとも直史の場合、普通に打たれただけでも、やられたらやり返すの精神で、相手のプライドを徹底的に叩き潰すが。

 受けた恩は忘れないが、同時に恨みも忘れない。

 直史の性格は、それなりに日本人らしい粘着性を持っている。




 トローリーズとの試合の次は、メトロズはピッツバーグと対戦する。

 勝率稼ぎにもってこいのチームであるが、第一戦はグリーンが先発。

 確実に勝てるピッチャーではない。

 打線の援護が必要となるが、大介が抜けたことで、どういった打線が一番いいのか、数試合は試行錯誤が必要となる。

 とりあえずシュミットがそのまま、一つ前の二番に入った。

 確かにつなぐ力も強いバッターなので、悪い配置ではないと思う。

 そして三番には、五番の坂本を持ってきた。

 坂本は打率はやや低めだが、出塁率は高い。

 なので四番のグラントに、つなげる役目を果たしてもらうのだ。

 だが結局、この試合は3-6でピッツバーグの勝利。

 メトロズは第二戦、武史のピッチングに期待することになる。


 武史は数少ない、今年が直史のラストシーズンと知っている人間の一人である。

 アナハイムもメトロズも、ここ最近はどうにか勝率を上げてきていた。

 そんなところで大介の怪我で、味方の得点力は落ちている。

「まあ、二点もあればいいがか」

 試合前の軽いキャッチボールで、坂本はそんなことを言う。

 武史は今年、防御率が1を切っている。

 なので平均的に見れば、味方の打線が二点取ってくれれば、勝ち投手になれる。

 だが実際の試合では、数字には偏りが見られるものだ。

 四点を取られて負けた試合もあるし、二点取られた試合もある。

 大介がいないことによって、内野の守備も弱くなっている。


 守備力の問題に関して言えば、武史にはあまり関係がない。

 アウトの半分以上を三振で取っていれば、影響も少ないのだ。

 打たれるときもフライが多いため、内野のエラーとはなりにくい。

 実際に他のピッチャーの場合、一試合で一つか二つぐらいは、ヒット性の当たりをアウトにしている。

 

 大介の離脱した一戦目で、メトロズは敗北した。

 ピッツバーグは強いチームではないが、メトロズも今年はピッチャーが弱い。

 打線にしても急な変更だったので、得点力は落ちていた。

 だがそれでも無得点には終わらないであろうし、本日は武史が投げる。 

 問題なく勝てるだろうと、武史も坂本も思っている。

 出来れば問題なくではなく、苦労なく勝ちたいものだが。


 ホームでの試合なので、当然ながらピッツバーグの攻撃から始まる。

 武史は序盤から、アウトローにボールを集めるピッチングをする。

 基本的にはある程度球数が増えるため、アイドリングの状態だ。

 そしてそんなアウトローのボールは、ゴロを打たれてしまうことがある。

 内野の間を抜けていくゴロで、初回にピッツバーグは一点を先取。

 武史としても満足のいかないピッチングであった。




 ジャイアントキリングはそうそう起こるものではない。

 メトロズは確かに得点力が落ちたが、それでも打てるバッターは揃っている。

 序盤ですぐに追いつき、そして追い越した。

 あとは気にするべきは、リリーフ陣を使うかどうかということ。

 アービングが安定してクローザーを務めるようになってから、リリーフ全体の数字もよくなっている。

 すると打線も安心して、のびのびと打っていける。

 好循環がチームの中で作られているのだ。


 大介の離脱の影響は、確かに純粋に戦力的にも、そして精神的にも大きなものである。

 だが今のメトロズは、打線陣を大介に頼りきっているわけではない。

 ステベンソンは貧困層出身で、金に対する執着が凄まじく、それだけにハングリー精神も強い。

 またシュミットはいつでも冷静なケースバッティングが出来るし、グラントはベテランの経験がある。

 坂本は言うまでもない。


 今は五番を打っているラッセルは、長打率に優れている。

 強打のメトロズと言っても、下位打線ではさすがに得点力が落ちるので、一発を狙えるラッセルを五番に置くのは合っているだろう。

 武史は結局、序盤の一失点だけで、四回以降はランナーさえ出さなかった。

 六月の登板はこれで終わりで、既に現時点で14勝。

 あと五試合ほども投げれば規定投球回に到達し、そしてナ・リーグのサイ・ヤング賞にも選ばれるだろう。

 一人の選手がタイトルを取り続けるというのは、果たしていいのか悪いのか。

 ただそれは武史の責任ではなく、武史を上回る実績を残せない、他のピッチャーのせいだ。


 ピッツバーグ相手には、次のジュニアも勝利。

 二勝一敗と勝ち越して、ホームゲームは終わる。

 この次は遠征が開始され、まずはマイアミとの対戦となる。

 三連戦のうちの二戦が終わったところで、六月も終了。

 メトロズは丁度、81試合を消化することになる。


 その遠征の前に、武史は大介の見舞いにやってきた。

 マイアミにトロントと、遠征は続く。

 だがまたすぐに戻ってきて、今度はタンパベイとの試合になる。 

 豪華な病室を訪れた武史は、普通にここに住めるな、とも思ったものだ。

「気分はどう?」

「とりあえず熱は下がった」

 早すぎるよ。


 骨折はその部分の組織も断裂させてしまうため、普通に熱をもって体中に回る。

 大介が骨折してから四日後、既にその状態は脱していた。

 たださすがに、まだ呼吸をしたりするだけで、痛みは走る。

 ぽっきりと折れてしまうと、さすがに三日では治らない。


 ただ熱が引くというのも、平均的な人間と比べると早すぎた。

 いくら治癒速度が早くても、大切なのは治りかけだ。

 まだ治りかけでもない、というツッコミはさておく。

「ピッツバーグの次はマイアミってところが、運がいいと言うべきか」

 大介としては、出来るだけ多くのピッチャーと対決したい。

 試合から遠ざかっていると、それだけ感覚が鈍る。

 だが今は、さすがに出来ることがほとんどない。

 なので球団の分析したデータや映像を見たりして、暇を潰すわけだが。


 今年のオールスターも出られそうにない。

 ちなみに武史は、普通に出場予定である。

 NPBと違ってMLBでは、オールスターは本当に名誉だけしか手に入らない。

 NPBの場合はだいたい、MVPなどになったりすると、賞金や商品があったりするのだが。

 現在のMLBでは、むしろオールスター前のホームランダービーの方が、盛り上がったりする。

 実際にこちらは、優勝したら賞金が出る。


「こうやって休んでると、つまらんことも考えるんだよな」

「つまらんこと?」

「たとえば将来、引退したら何をすればいいのかなって」

「いやいや、やることは色々とあるでしょ」

「あることはあるけど、やりたいことじゃないだろうしな」

 大介の生活は、野球を中心に成り立っている。

 ずっと昔からそうで、それでここまで到達したのだから、文句を言うのは筋違いだ。

 だが引退してからのビジョンが、はっきりしないのは確かだ。

 大介ぐらいの実績があれば、コーチなどの声はすぐにかかるだろうが。


 ただNPBとMLBの常識の違いを、大介はつくづく感じる。

 NPBの監督やコーチとなると、引退した選手が必ず選ばれる。

 プロにまで到達しなかった人間は、せいぜいがトレーナーどまりだ。

 トレーナーというのも、もちろん重要な役割ではある。

 だがアメリカでは、優れたプレイヤーが優れた指導者になるとは限らないと、もっと明確に考えられている。

 そしてそれは野球だけではなく、他のスポーツでも同じことだ。


 考えてみれば当たり前のことで、天才が自分にできたことを教えても、凡人がそれを真似できるはずもない。

 もっともプロに入ってきた時点で、誰もが野球のモンスターであることは変わらないのだが。

 ただその中でも大介は、肉体のスペックが飛びぬけすぎている。

 それを前提としたプレイなど、他の者には出来ないのだ。


 そのあたりの思考は、武史も分からないでもない。

 スピードは才能なので、これを誰かに教えることなど出来ない。

 そもそも武史の経歴は、高校野球から始まっていると言ってもいい。

 小学生の頃は、児童野球をやっていたものだが。

 引退した後に、明確にやることが決まっている直史などは、例外的な存在なのだ。

 ただおそらく武史も、引退した後の方が人生は長い。

 プロスポーツの選手が引退する頃は、他の職業の人間にとっては働き盛り。

「大介さんの場合は、もう働かなくても良さそうだけどね」

「いや、働くとかじゃなくて、したいことがないのがなあ」

 さすがにずっと、遊んで暮らすわけにはいかない。

 そのあたり大介も、小市民的で現実的だ。


 大介ぐらいの実績があれば、おそらくMLBの方でポストを用意するだろう。

 だがそれは現場には出ない仕事になる。

 それに大介としては、プロの世界で野球に関わっても、自分がプレイするのとは違うのだ。

 もしMLBでは通用しないところまで衰えても、日本に戻るなり、他のレベルの落ちるリーグでプレイしたりと、そちらの方を選びたい。

 あとはNPB時代には、子供たちへの野球教室というのもあった。

 大介は去年2000本安打を達成したので、名球会への入会資格も持っている。

 日本での野球の普及に、色々と働いてみるべきか。


 単純に金銭的なことを言うなら、よほどの奢侈をしない限りは、死ぬまで何もせずに生きていける。

 だが単に消費するだけの人間には、大介はなりたくない。

「庶民だとそうなるよなあ」

 武史もそれには同意した。


 怪我などで満足に動けないと、大介でも気弱になってしまうらしい。

 ただ治ったら何をするか、それを考えれば少しは前向きになれる。

(俺の場合も、肩なんか壊したらそれで終わりだしなあ)

 悲観が伝染していくのは、どうしようもないことであった。




 そんな大介は病院に置いておいて、当たり前だがメトロズのシーズンは進行する。

 マイアミに行って、ここで三連戦。

 初戦は勝ったのだが、二戦目は落としてしまった。

 勝ちパターンのリリーフが連投であったため、他のリリーフを使った結果である。

 大介がいないと、どうしても打線の爆発力が落ちてしまう。

 取られた以上に点を取れば、野球というスポーツは負けないのだ。


 この第二戦が終わった時点で、六月の試合は終わりだ。

 もっとも一日の間もなく第三戦があるので、あまりキリがいいわけでもない。

 この一ヶ月、メトロズは16勝10敗であった。

 なんだかんだ言いながら、四月から一度も、負け越した月というものはない。

 全体としては48勝33敗。

 勝率はほぼ六割で、東地区ではある程度、アトランタとの差をつけることが出来た。

 

 六月は三連敗と二連敗が一度ずつあったが、それよりもずっとバランスよく勝ち越してきたのが大きい。

 大介が離脱してからも、三勝二敗と変に崩れていることはない。

 もっとも平均得点は、確かに下がっている。

 打線が変更されたので、これは仕方がないことである。


 ピッチャーでは武史とジュニアが、二人共に五戦五勝。

 二人で10勝したということになる。

 ただ完投能力のある武史に比べれば、ジュニアはリリーフに恵まれたと言ってもいい。

 ただジュニアも防御率は二点台と、相当の数字を残している。


 打線においては五試合も離脱しながらも、大介は二桁のホームランを打っていた。

 盗塁の数も二桁で、無事であれば果たして、どれだけの数字が伸びていただろうか。

 六月が終わった時点で、ホームランが41本、103打点、54盗塁。

 打点はともかく他の数字は、シーズン通算で一位になってもおかしくない数字だ。

 特にホームランは、単純に倍にしても82本となる。


 二年目の大介が、81本を打ったのだ。

 それを上回る可能性は、かなり残っていた。

 そして何よりおかしいのが、この時点での打率である。

 0.460

 MLBでのシーズン打率の最高を、大きく上回る数字だ。

 ただしこのままフィニッシュしても、これは記録にはならない。

 規定打席に到達していないからだ。


 MLBの規定打席は、505打席。

 現時点での大介は、379打席だけである。

 五打席目が回ってくることが、大介はとても多い。

 それでもさすがに、六月の終わった時点で、規定打席に到達しているということはない。

 これがまだ479打席とかであるなら、規定打席との差を全て凡退と計算し、それで打率を出すという計算もある。

 しかしさすがに126打席も凡退と計算すれば、ほぼ三割にまで大きく落ちる。

 なんとかあと30試合ぐらいは試合に出て、規定打席に到達しなければいけない。

 ただ離脱期間で感覚は鈍るだろうから、四割も打てるとは思えない。

 あのラフプレイで潰してしまった未来というのは、それだけ大きなものであったのだ。

 ニューヨーカーのみならず、MLBファン全体から非難されるのも無理はない。


 でもそれを言うならな、と大介は考える。

 MLBの初年度は、イリヤの事件があった。

 あれがなければ大介は、どこまで打っていたのだろうか。

 去年にしても、桜の出産で二試合を休んでいた。

 それがなければ敬遠の数は、200を突破していただろう。


 大介が考えるにバッティングというものは、一日何もしなければ、それだけ技術は落ちていく。

 この強制的な休養によって、技術はどんどんと錆付いていくだろう。

 完治してすぐ復帰しても、おそらく当て勘は鈍っている。

 バッターボックスに立っても、打率が下がっていることは間違いないだろう。

 ただし大介は、何試合の間にどれだけ打ったか、という記録はほとんど更新している。

 アメリカ人はそういう、数字をまとめるのが大好きなのだ。


 大介としてはデビューから続いている、毎年の50本ホームランの記録は続けたいな、と思っている。

 そして実は現時点で既に、トリプルスリーは達成している。

 規定打席までの残り、全てを凡退したと計算しても、三割の打率には到達するのだ。

 30ホームランと30盗塁は、六月の時点で達成済みだ。

 復帰してからはヒットを打てば打つだけ、どんどんと最終的な打率は高くなっていくだろう。

 この中間時点での記録をネタに、大介がいかに化け物であるか、アメリカのスポーツチャンネルは放送している。


 記録を完全に、無視するわけではない。

 数字は評価をしてもらうために、重要な要素であるのは確かだ。

 だが大介が本当に必要なのは、青空の下で全力でプレイすること。

 いやいや今はナイターが多いよ、というツッコミは別の話である。


 あるいは復帰して少し、マイナーで慣らしてからメジャーに戻ってくるべきか。

 八月の半ばまでに戻れば、規定打席には到達する。

 そのあたりを相談する相手は、ツインズになってくる。

 MLBでは建前として、個人の記録よりもチームの勝利が優先される。

 だが実際のところ、大介ぐらいの記録になってくると、これはもう一つのチームの枠を超えた問題となるのだ。

 今年の場合はア・リーグで、直史が無失点記録を続けている。

 脅威の防御率0が、果たしてどこまで続いていくのか。

 これに注目しているのは、アナハイムのファンだけではない。


 そして野球ファンのほとんどは、また両者の対決を見たいと思っているだろう。

 その実現は、大介が離脱したことで、また難しくなってきているのだが。

「しかし入院中でも働かせられるとは」

 文句を言いながら、大介は色々な物にサインをしていく。

 確かに手を動かすのは問題ないので、こういったものを求められても仕方がない。


 自分が休んでいる間にも、チームの試合は進んでいく。

 そしてあのラフプレイに対する問題は、あちこりで議論の的となっている。

 大介だから最初のスライディングは避けられたわけで、もしもあれがそのままだったらどうなっていたか。

 コリジョンルールがしっかりと定められたように、MLBのみならず野球は、怪我についてはかなり神経質になってきている。

 野球からプロレス要素を除外して、もっとスマートな競技にしたいというのは、有識者の多くが思っていることだ。

 老害は乱闘さえも正当化するが、さすがにそういった人間は減ってきている。


 シーズンの行方に、全く手を出すことが出来ない。

 大介にとっては焦燥感に包まれる、珍しい時が流れていく。

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