第8話 開幕恒例

 ニューヨークでシーズンが開幕する。

 対戦相手は、セントルイス。

 昨年はナ・リーグ中地区を制しており、その力は侮っていいものではない。

 だがこの初戦は、かなり安心して見ていられる。

 先発のピッチャーが武史であるからだ。


 直史が異常すぎることをしているため目立たないが、武史もまたMLBの歴史において、20勝以上していながら一度も負けのない、壊れた性能を持っている。

 これを言ってはなんだが、直史が去年のポストシーズンで負けているため、武史はMLBで20勝以上していながら、一度も負けていない唯一のピッチャーになっている。

 もちろんレギュラーシーズンに限れば、直史も記録は続いているが。

 連投で14回までを投げて、それで負けた。

 それはさすがに負けるだろう、と直史の実力を疑う者はいない。


 ニューヨークのMLBファンが待ち望んでいた開幕の日。

 市長であったり芸能人であったりが、始球式を行う。

「昔はうちの始球式で、日本と関係が悪化しそうになったこともあるんだよな」

「へえ」

 大介としては、別にどうでもいいことである。

 彼は政治的な人間ではない。明らかにノンポリだ。

 今年の始球式では、わずかに大介が顔見知りの相手が出てきた。

 アメリカ・ニューヨークを中心に長年の音楽活動をしていた、ジャズトランペッターのマイケル・オブライエン。

 最初に会ったのは、もう15年も前になるのか。


「スタジアムに来るとどうしても、楽しかった頃と同時に、深い悲しみを思い出す」

 そんなことを俺に言われてもな、と思う大介は、ロッカールームでマイケルと話している。

「カナダでの試合は、本当に楽しかった」

 イリヤとツインズが悪ノリして、盛り上げに盛り上げてしまったワールドカップだ。

 世界大会とは名ばかりの、ガラガラの客席を占領し、世界的なミュージシャンたちが観戦していた。

 そんな彼らにとってのヒーローは、間違いなく大介であったのだ。


 あの時の少年が、MLBの舞台にやってきた。

 イリヤと一緒にマイケルは、何度もニューヨークでの試合を見ていたのだ。

 彼女がいなくなってからは、あまり足を運ぶこともなくなった。

 だが直史に大介が抑えられ、そして二年連続となったワールドシリーズのカードは、ニューヨークの試合は全てチケットを取ったらしい。

 随分と無理も言ったそうだが。


 大介を打ち取れるようなピッチャーが、そうそういるなどとは信じられなかった。

 だがあのワールドカップ、クローザーの部門で最優秀選手を取ったのは、直史である。

 この二人が同じチームであったのが、高校時代。

 そして大介のプロ入り後から直史がプロに来るまでは、少しの時間があった。

 MLBにしても一年目は、存分に記録を更新しまくっていた。

 さらに上回る成績を残していた大介を、封じたのが直史である。


 どちらの方が強いのか。

 どちらの方が優れているのか。

 どうしても観客は、ホームランという華々しいものがありながら、打率ではピッチャーに負けるバッターを、応援してしまうものらしい。

 それに直史はアメリカ人に分かりやすい、パワーピッチャーではない。

 だが直史は、平気でノーヒットノーランもパーフェクトも量産する。

 そんなピッチャーは少なくとも、MLBの全ての歴史でもいなかったのだ。


 年間に40試合も、50試合も先発が投げていた時代があった。

 今となっては信じられないピッチャーの運用だが、直史がそれらのピッチャーを上回るのは、しごく単純な部分だ。

 それは勝率である。

 初年が30勝0敗で、次が32勝0敗。

 特に二年目は、32試合に先発し、全ての試合に勝利したのだ。

 これはおそらくもう、誰にも破られない記録であろう。

 また完投の記録や完封の記録も、誰にも破られないに決まっている。

 人間の理外にある存在である。


 とんでもないやつだなあ、と大介は全く自分のことを棚に置いて、そんなことを思った。

「イリヤの娘はどうかね?」

「ああ、まあ元気かなあ」

 大介の長女と同じ日に生まれたと言うか、母の遺体から取り出された赤子。

 実の娘のように大介は育てているが、五感の中でも視力や聴力に、なんだか不思議なものを持っている兆候は見える。

「出来れば私も楽器を教えてあげたいのだが」

 イリヤは一番がピアノで、二番がヴァイオリンであったが、他にも幾つかの楽器を演奏できた。

 だが自分で吹き鳴らすタイプの物は、病気になった時にもう使えなくなってしまったのだが。

「長生きして教えてやってくれよ」

「私ももう70歳をとおに過ぎているからなあ」

 それにイリヤはどう考えていたのかは知らないが、音楽とは習ったり学んだりするものではない。

 もちろん初歩的な技術はあるし、それはどんどんと発展していく。

 しかしその根本にあるのは、魂から湧き出る部分だ。


 大介は音楽の技術的なことは分からない。

 だがイリヤが指定したのは、クラシックから学ぶことであった。

 そして指名したのは、音楽家としては挫折し、自ら演奏するのではなく、指導者となった恵美理。

 このあたりは彼女の、出生と成長に関係はしているのだろう。

 もっとも全ては、娘本人が決めることだ。

 大介もツインズも、彼女の親としては適切であった。

 感覚型の人間なのだ。これが直史であったらこうはいかない。また違った方法で、上手く育てたかもしれないが。




 マイケルが去った後には、大介の周りにチームメイトが集まったりもした。

 野球選手はだいたい、音楽を聞くにしてもポップスだのロックだのが多い。

 だがマイケルの場合は、ジャズの大御所として知られている。

 大介は野球しか興味がないような顔をしているが、そしてだいたいその通りなのだが、コネクションは普通に広くなっている。

 およそツインズのせいであるし、おかげである。


 そもそもMLBのスター選手などというのは、社会的な名士であるのだ。

 ただ大介はあまりパーティなどに顔を出す人間ではなく、自分でパーティを開くなどといったこともない。

 グラウンドの中では誰よりも派手だが、スタジアムを出ると目立たない。

 そんな大介でも、さすがにこの三年の活躍で、誰もが認めざるをえない存在になってきている。


 大統領は常にいるが、大介は今のこの時代にしかいない。

 芸術家はまだしもその作品を残すが、スポーツ選手のライブのプレイは、一度しか見る機会はないのだ。

 それにピッチャーはタイプこそ違うが、直史、武史、上杉と、傑出した三人が出てきていた。

 運の悪いことにと言うか、残念なことに、対決が成立しているのは直史と大介しかいないが。

 思えば不思議なもので、中学時代は出会いもしないし、存在すら知らなかった二人。

 それが高校では、投打の両輪として、全国制覇の原動力となった。

 二人の進路は別れて、二度と対決はないのかとも思った。

 しかしNPBでは一年だけしかなかった対決が、このMLBでは二年も連続でワールドシリーズでの対戦となっている。


 二人の対決のために、完全に同等の舞台が用意された、ということになるだろうか。

 NPBでの対決は、同じセ・リーグであったため、クライマックスシリーズでの対戦は、直史が有利になるものであった。

 思えば日本シリーズは、直史の一人舞台であった。

 四勝するピッチャーがいれば、日本シリーズは勝てるのであるから。

 大介との対決も、その後に試合が残っていたのだから、全力を出すことは出来なかった。

 そもそもあの時点では、まだ直史と大介の間には、実力差があったとも言える。


 NPBの打撃記録の、ほとんどを更新していた大介。

 その大介でも、直史を打てなかったのだ。

 もっともその差は、本当にわずかなものであった。

 直史はさらにそこから成長した。

 もちろん大介も成長している。

 MLBでは最初の年は直史が勝ち、二年目には大介が勝った。

 そうは言っても全体で見れば、大介は直史を相手とした試合で、まだ一度しか敗れていない。

 そして他に誰も、まだ直史を負かしてはいない。


 二人の実力が、他に比べて傑出しすぎている。

 そして他のプレーヤーがそれに追いつくよりも、二人が高めあっていくスピードの方が速い。

 何よりこの二人が対決する場面。

 去年もその前も、最後の最後に近い部分で、二人の最後の対決が回ってきた。


 明らかに野球の神様は、二人を中心に物語を紡いでいる。

 ならば直史を野球の世界に呼び戻したのも、全て野球の神様の力なのか。

 そうではないだろう。

 野球の神様はおそらく、野球に関することしか働きかけることはない。

 それもまた、誰も証明などしたことのないものではあるのだが。




 昨年のワールドチャンピオンの開幕戦。

 地元ニューヨークは、開幕のずっと前から、全てのチケットが売れてしまっている。

 それにこの試合、先発は武史。

 MLBの奪三振記録を、一気に大きく塗り替えた。

 先発ピッチャーの奪三振率を更新し、ほとんどのリリーフピッチャーにも負けない。

 フルイニング投げ続けて、20奪三振を何度となく記録している。


 野球の神様とは別に、奪三振の神様とは言えるのであろう。

 この年間500奪三振オーバーも、おそらく二度と破られない記録だ。

 年に50試合も60試合も投げていた時代でも、そんな記録はない。

 もっとも黎明期のMLBでは、記録の取られていない試合はあるのだが。


 開幕のセレモニーが終わって、セントルイスの攻撃で試合は始まる。

 ゆったりとした動作から投げて、武史のストレートはアウトローいっぱいへ。

 正直ほとんど見えていないであろう審判だが、コールはストライク。

 実際にそのコースはストライクである。


 坂本はこの打席、リードはアウトローの出し入れだけとした。

 変化球も使わず、魔球化する前のストレートを、本当にアウトローに出し入れするだけ。

 だがこれで最後は、ボール球を振らせることに成功。

 いったいなんのつもりなのかと、武史は不満顔である。

(まあまあ)

 二人目からは、しっかりとまともなリードをする。

 とりあえずこの審判の、ゾーン判定を見ておきたかったのだ。

 

 立ち上がりから103マイル。

 普段は初回から、球速自体は105マイルが出せるのだ。

 だが坂本の今日の注文は細かかった。

 八分の力で上手く投げよう、というものであったのだ。


 去年はシーズン中、直史との投げあいで、延長までずっと投げるという試合があった。

 もちろんあんなものは例外的なのだが、武史の潜在能力であれば、ある程度の省エネさえ可能なら、18回までフルで投げられるのではないか。

 さすがにレギュラーシーズン中は、ベンチの首脳陣もそんな采配は取らないだろう。

 だがまさかとは思うが、去年と同じような事態になったら。

 そうでなくても出来るだけ、消耗を少なくして投げることは磨いていった方がいい。

 武史の技術自体は、リーグでもトップクラスだ。

 だがその技術を活かすための、投球術はまだまだ兄には及ばない。

 それどころかほとんど、ベンチとキャッチャーに任せている。

 そこがいいところでもあるのだが。


 元ピッチャーの坂本は、バッターの気配というのが分かる。

 実際に対峙した、バッターとの間に感じるものだ。

 読みとはまた違う、直感的なもの。

 それを伸ばしていったなら、武史はもっと上のレベルに達することが出来る。

 そしてそれを伸ばしてやれるキャッチャーというのは、それほど多くないだろう。


 高めの球を、空振りした。

 そして最後には、ようやく完成に近づいてきたスプリット。

 二者連続の三振である。

 武史の落ちる球は、高速チェンジアップがある。

 高速なのにチェンジアップとは、という疑問が浮かばないでもないが、140km/h出ていても、武史にとってはチェンジアップなのだ。

 タイミングを狂わせるのには、重要な球種ではある。

 だが見抜かれた時には、ファストボールよりは打たれやすい。

 なのであまり使用頻度は高くないし、基本的にはボールゾーンに外れる球なのだ。


 スプリットは武史が投げると100マイルを超える。

 スプリットは正式には、スプリット・フィンガー・ファストボールなのである。

 なおフォークはアメリカにおいては、スプリットと表現される。

 チェンジアップという球種もない。もちろん実際には存在するが、呼ばれ方が違う。

 さてこのような、100マイルオーバーのスプリット。

 ストレートよりは遅いと思ってスイングしたバッターは、打つ途中でボールが消えたように見えた。




 セントルイスとしては、今年のメトロズの補強の本気度合いに、呆れる想いである。

 ペレスとシュレンプというクリーンナップを、再契約しなかった。

 確かに二人とも、ここから大きく成長するとは、思えない年齢ではある。

 だからこそ逆に、そこまで新しい契約も高騰しなかったはずなのだ。


 しかしメトロズの選手層を見ると、大介の契約があと三年、武史の契約が四年残っている。

 投打の軸となる選手が、それだけの期間いるのだ。

 特に武史は、活躍度合いからすると、格安の契約でメトロズは所持していられる。

 メトロズはシュミットとの大型契約を結んでいる。

 それに加えて、ステベンソンという外野のユーティリティな好打者を得た。

 大介のあと三年の間に、全てワールドチャンピオンを獲得しようというぐらいの、ものすごい補強だ。

 ただそれにしては、クローザーに穴があるのだが。


 三者連続三振で、武史は素晴らしいスタートを切った。

 あえて打ちにいったのは、立ち上がりからちゃんとコントロールに優れる武史であっても、中盤以降の球威に比べれば、まだ序盤はマシだと分析されているからだ。

 アウトローの出し入れは、そのコントロールを見せつけるようなものであった。

 そしてスプリットを本格的に決め球に使ってきた。

 フォーシームストレートとしか思えないスピードの、スプリット。

 こんなものを打てるバッターが、果たして何人いるのだろうか。


 いや、確実に一人はいるのだろうが。

「さて、と」

 本日も二番打者であるので、ネクストバッターズサークルで大介は出番を待つ。

 先頭打者のステベンソンは、おおよそ首脳陣を満足させるような結果を出している。

 出塁率が四割を軽く超えているのだ。

 それも初回ともなれば、五割に達している。


 自分に求められているのが、どういったものなのか分かっている。

 キューバ出身で身体能力に優れたステベンソンだが、同時にケースバッティングでの役割も上手く果たす。

 この場合は、エースが三者三振で終わらせた、開幕戦の一回の裏ということだ。

 大介に任せれば、ホームランを含む長打のどれかを打ってくれるだろう。

 そして自分の足なら、ホームに帰ってくることが出来る。

 もっとも大介の打席であると、外野がとても深く守るため、三塁でストップという可能性もあるが。


 とにかくその意図をもって、ステベンソンはフォアボールを選んだ。

 出塁はヒットと同じ価値を持つ。

 現代のMLBにおいては、これでまず一安打。

 実際のところは単打を打つよりも、フォアボールで出塁する方が価値は高い。

 ピッチャーに球数を投げさせるというのもあるが、ボールを打ってセーフかアウトになる過程を経ずに、そのまま一塁に進めるからだ。

 もっとも打てるボールなら、打ってしまえという乱暴なバッターもいる。

 大介がそれである。




 ゆらりと立ち上がった大介であるが、その肉体からは気配が消えている。

 強者に特有の威圧感が、まるで感じられないのだ。

 それはセントルイスのバッテリーにとって、とても不思議なものであった。

 地区は違うがリーグは同じなので、特にキャッチャーは大介の雰囲気を憶えている。

 もっと好戦的な、勝負を楽しむような雰囲気だったはずだ。

 オープン戦でもそれは変わっていなかったと思う。

 ただもう少しだけ、何かを試すような揺らぎを、感じたことはあったが。


 打ち気を消している。

 なぜそんなことをするかと言えば、当然ながらバッテリーを油断させるためであろう。

 だがバッターボックスに入った大介は、ぴたりと構えるとそこから全く動かない。

 バッターはタイミングを測ったり、リズムを取ったりと、体を動かす選手が多い。

 一方のピッチャーは、下手にそんなことをすればボークである。


 大介はステベンソンの打席で、ピッチャーの投げるフォームを見ていた。

 幸いにもフォアボールで歩いたので、数球を見ることが出来た。

 オープン戦でも見たし、去年でも数度は対戦している。

 だがこうやって目の前で見ると、その深淵までが見て取れるような気がした。


 初球は外に外された。

 大介であれば、打とうと思えば打てたであろう。

 だがバッターボックスの中で、全く動かなかった。

 スイングのトップを作ろうとさえ思わなかったのだ。


 完全に見に徹したその初球。

 大介はピッチャーの動きを、全てベクトルで見ている。

(やっぱりオープン戦とは違うな)

 容赦なく打っていた大介であるが、それは相手のピッチャーも同じことだ。

 ベンチの当落線上のピッチャーなどは、また話は別であったろう。

 だが完全に主力として考えられるピッチャーにとっては、オープン戦はあくまで練習なのだ。


 本気になっているのが分かる。

 体のボールに伝わる力に、緩みが感じられない。

 だがそれは大介にとっては、分かりやすいピッチングだ。

(なるほど、レベルが上がってる)

 大介としては、感覚的な能力の上昇だ。

 それにやはり、オープン戦では感じなかったものだ。


 MLBのレギュラーシーズン、その地元開幕戦。

 そういった高揚感も、大介には作用しているのだろう。

 セレモニーや始球式、またオープニングによってスタンドは盛り上がっていた。

 それに引き寄せられていた大介の気持ちが、今はまたピッチャーに集中している。

(見えるなあ)

 この感覚は、ずっと続くものではないのだろう。

 だがほとんど超能力的に、大介はこの領域に達している。


 ゾーンの一種ではあるのだろう。

 だがそれを極めていけば、こういうことになるのか。

 ピッチャーの投げるボールが、セットポジションに入る前から分かる。

 予想、あるいは予感が収束していき、大介には確信が芽生える。

 二球目は、別に打ってもよかった。

 だがわずかに足を引いて、インローのボール球を回避した。


 当ててくると分かったわけではない。

 当ててこようとはしていなかったからだ。

 外して、そして外しすぎるのが分かっていた。

 だからこそ大介は、余裕たっぷりにそれを回避してみせた。


 体に当たるようなボール球でも、バットで弾き返してしまうのが大介である。

 だがさすがに足元のボールは、ホームランにするのは難しかった。

 あるいは先にスイングを考えていれば、打てていたのかもしれない。

 しかし大介は基本的に、ホームランを打つならゾーンから外寄りと考えている。


 三球目はどうするか。

(ああ、また外か)

 気配がする。そしてボールの軌道が、線のように見える。

 コントロールが甘い。外と言うには充分にゾーンの中であり、それも高さも少し浮いている。

 失投だ。

 そろそろ変化球を投げてきてもよかったと思うのだが、ストレートばかりで勝負してきている。

(遅いカーブを打つ練習をしたかったんだけどな)

 この三球目を見逃せば、おそらく五球目に、それが来るのではないか。

 予知能力と、正しく言ってしまってもいいだろう。

 もちろんこんなものが、常に働くわけはないのだが。


 やや甘いボールを、大介は普通にフルスイングした。

 トップを取ってからのスイングは、本当に一瞬でトップスピードに乗るものであった。

 センター寄りのライト方向に、ボールは飛んで行く。

 そしてそれはスタンドの最上段を越えて、スクリーンの根元の部分に当たって跳ね返った。

 上手く間を通れば、場外になっていたかもしれない。


 開幕一打席目はホームラン。

 お約束のように、大介は普通に打っていった。

 時系列的には後のことであるが、この同じ日には西海岸のオークランドで、アナハイムの二番打者樋口も、第一打席でホームランを打っている。

 なんとも奇妙な符号である。




 メトロズは勝利した。

 三打数三安打の2ホームラン。

 打点は三点の大介である。

 むしろ敬遠を二打席で済ませた、セントルイスを褒めるべきであろうか。

 ランナーのいる状態では、とても大介とは勝負出来ない。

 ホームランにならなかった一打も、フェンス直撃のツーベース。

 もう外野は、フェンスに背中をくっつけて守ったほうがいいのかもしれない。


 試合の最終打席には、もうあの感覚は消えていた。

 メトロズの勝利が確定するぐらいの点差になってから、徐々に消えていったあの感覚。

 やはり追い詰められた時や、勝負どころだと判断しなければ、出てこない感覚なのか。

 おかげで一本、ホームランを損してしまった。


 13-0という圧倒的なスコア。

 序盤で大介は一つ盗塁をしていたが、点差がつきすぎてからは、アンリトンルールに従って走っていない。

 実のところこの打線の並びだと、ステベンソンは上手く自分の前に、ランナーとして出ようとしている。

 彼はヒットは一本しか打たなかったが、フォアボールを二つ選んでいる。

 つまり打率は二割であったが、出塁率は六割。

 まさに今、メトロズが必要としている、リードオフマンだと言えよう。

 もっとも下手に一塁を空けるのは大介を歩かせることになるので、せっかくの足を盗塁で見せることは出来なかったが。


 ランナーがいて一塁が空いていれば、必ず大介は歩かされる。

 その前提を、メトロズ首脳陣は持っている。

 それでも勝負してくるようなのは、直史ぐらいしかいない。

 もっとも直史としても、試合の要になるところ以外では、歩かせてもいいのではないかと思ってきているのだが。

 それが去年、自分の判断で打たれてしまったピッチャーの義務である。


 ともあれメトロズの打線は、上手く機能している。

 六番に入っているラッセルなどは、五打数で二打点となっていた。

 ソロホームランが一本に、犠牲フライが一つ。

 とにかく去年とはクリーンナップが違うのに、破壊力はまた凄まじい。

 上位打線はケースバッティングが出来るバッターが、上手く得点している。

 そして下位打線にも、危険な一発を打てる選手がいる。

 かくしてメトロズは、恐るべき打撃力を見せ付けて、開幕戦を勝利した。

 完璧と言ってもいい勝利であった。


 ちなみに武史は16奪三振での完投完封。

 ただし一本だけ、ポテンヒットでノーヒットノーランを逃していた。

 119球でフォアボールも一つもなし。

 惜しいと言えば惜しいのであろうが、武史らしいと言えば武史らしい。

 ともあれ今年も、メトロズは圧倒的に強い。

 この開幕戦を見て、勘違いした者はとっても多かったと言われる。

 それが間違いであると思い知らされるのには、それほどの時間はかからなかった。

 もっとも予想している者にとっては、とても分かりやすい事実になるのだが。

 メトロズは開幕戦、リリーフピッチャーを必要としなかったのだから。

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