第32話 映画館
「おかえり」
「ただいま」
名目を果たすため、コンビニで特に買う必要もなかったジュースやお菓子類をいくつか買い足して帰宅すると、玄関で加瀬宮が出迎えてくれた。ずっと待ってくれていたのだろうか。
「……お姉ちゃんと、なに話してたの?」
加瀬宮黒音が俺を連れ出していたことは、加瀬宮も何となく察していたらしい。
「加瀬宮の話」
「どんな?」
「……それは秘密」
正直、話の内容が内容なのでそう簡単に言っていいのか分からなかった。
少なくとも加瀬宮黒音本人は妹に話すことを望んでいないだろう。それでも話したのは――――俺なら話さないという、ある種の信用があったからか。
……まぁ、そうだろうな。その読みは当たっていると言わざるを得ない。
彼女の加瀬宮に対する愛情が歪んでいると分かっていても、俺はなぜか話す気になれなかった。……というか、下手に話せば俺もタダじゃ済まなさそうだし。
「…………ふーん」
「どうした」
「お姉ちゃん、綺麗だしね」
「ん? まぁ……そうだな」
確かに顔が加瀬宮に似ていて綺麗だった。とはいえ、今はそれ以上に恐ろしいという印象の方が上に来ているけど。
「…………」
「加瀬宮? どうした?」
「…………別に。なんでも」
どうしてか不機嫌そうにそっぽを向く加瀬宮。……やっぱり姉の方とは違うな。不機嫌そうにしている顔がこんなにも可愛いんだから。仮に加瀬宮黒音が不機嫌そうな顔をしてみろ。たぶん寒気が止まらなくなるだろう。
「あ、そうだ。加瀬宮、お姉さんが運んできてくれた荷物、もう整理したか?」
「まだリビングに置きっぱなしだけど」
「そっか。じゃあ、運ぶの手伝うから、服だけでも引っ張り出して着替えてくれ。そろそろ支度しないとだろ」
「えっ? それはいいけど、どっか行くの?」
「どっかって……」
どうやら家出のゴタゴタで頭から抜け落ちてしまっているらしい。仕方が無いか。
「今日は元々、一緒に映画を観に行く約束だっただろうが」
「あっ」
☆
加瀬宮がうっかり忘れていたことが判明してちょっとへこんだものの、とりあえず今日は予定通りに映画館に行くことにした。当初の予定では集合場所に集まってからの行動だったが、加瀬宮とはしばらく同じ家で過ごすことになった以上、待ち合わせも不要となって映画館へと直行することにした。
「待たせてごめん」
玄関で待っていると、二階から着替えを終えた加瀬宮が下りてきた。
涼しい色合いの、肩の部分があいたフリルトップスにショートパンツ。耳には上品なデザインのイヤリングが揺れていて、薄くではあるがメイクも施されている。
「ちょっと荷物の整理に手間取ってた……ほんとごめん」
「大丈夫だし、時間に余裕はあるから焦らなくていい。加瀬宮を待つのは楽しいし」
「……だから、そうやって甘やかすな」
照れているのか髪をいじりはじめた。照れたりした時とか、言いづらいことがあったりした時とか、困った時にしている加瀬宮の癖だ。
「その服、お姉さんが家から持ってきてくれたやつ?」
「持ってきてくれたっていうより、なんか、お姉ちゃんが新しく買ってくれたやつっぽい。サイズもピッタリだったし、いいかなって。…………この服がどうかした? どこかヘン?」
「似合ってる。綺麗だよ」
「……………………ありがと」
そっぽを向いてまた指先で髪をいじり始めた加瀬宮。
……そういえば琴水からちゃんと見た目を褒めろって言われてたっけ。そういうことを思い出す前に自然と言葉が出ていたけど。
「よし。そんじゃあ、行くか」
玄関で集合を果たした俺たちは、さっそく映画館へ向かうことにした。
「成海の家から一緒に出かけるのって、なんかヘンな感じ」
「俺も同じこと言おうと思ってた」
夏休み限定とはいえ、まさか一つ屋根の下で加瀬宮と一緒に暮らすことになるとは思わなかったし、同じ家から一緒に出掛けるとも思っていなかった。
「琴水ちゃんとは一緒に通学してないんだっけ」
「そうだな。家に居づらかった頃は敢えてずらしてた。状況によって俺が遅めに出たり、琴水が早めに出たり、その逆もあったり」
「家族と上手くいくようになってからはどうしてるの? 一緒に登校したりとか」
「一緒に登校はしてないな。俺の方が遅く出るし。……ま、俺は本来、ギリギリまで惰眠を貪ってたい主義だからな」
「成海、朝弱いんだ」
「弱いってほどじゃないけど、頭が動くまでちょっと時間がかかる感じ。加瀬宮は?」
「強い方だと思う。寝坊とかしたことないし、寝起きもよくて、すっきり目覚めてる感じ…………寝る場所によっては、二度寝しそうになるけど」
「寝坊したことないとか尊敬するわ。俺、小中高と皆勤賞を逃し続けてるからさ」
ちなみに、小中高と揃って原因は夏樹と徹夜でゲームしたり遊んだりしたことだったりする。なので夏樹も皆勤賞は逃し続けているのだ。
「小学校と中学校はともかく高校って……まだ二年の夏休みだけど」
「『まだ』二年とは意識が足りてないんじゃないか。『もう』二年だ。来年は受験だぞ」
「う……やめて。二年生の夏休みとか、一番遊べる時期なのに。てか、成海はそういうこと言うキャラじゃないでしょ」
「……受験のことは確かにそうだが、『もう』二年って思ってるのは本当」
「……意外と意識高い?」
「そうじゃなくてさ。加瀬宮と一緒に過ごせる高校生活だぞ。ぜんぜん足りないなって考えちゃうだろ」
「………………」
せめてもう一年早く友達になっていたら、とか考えてしまう。
仮にそうなっていたとしても、やっぱり残りの時間を惜しんでいただろう。
「加瀬宮? 駅はこっちの道だぞ」
「…………待って。ちょっと。今。落ち着かせるから」
「疲れたのか? なら、ちょっと店でも見つけて休んでくか。時間的にはまだ余裕あるし」
「大丈夫。……うん。大丈夫。いこ」
ぺしぺしと頬を軽く叩く加瀬宮。軽く叩いたように見えて、実は力を込めていたのだろうか、それとも夏の暑さのせいか。加瀬宮の頬はほんのりと赤く染まっている。
そんなこともありながら、電車を乗り継いで目的の映画館に到着。上映開始まではまだ余裕がある。映画館内にあるカフェで時間を潰すことにした。
「俺はチケットを発券してくるから、加瀬宮は席を確保しててくれ」
「わかった。成海は何か飲む?」
「じゃあ……レモンソーダ」
「メロンソーダじゃないんだ」
「上のカフェじゃ置いてないんだよ」
スマホに表示されたQRコードを発券機に読み込ませ、発券機が吐き出したチケット二枚をとって、そのまま二階にあるカフェスペースへと急ぐ。加瀬宮を探そうとスペースの全体を見渡してみると、多くの客の視線がある一ヶ所に集中していることに気づいた。
「なぁ、見ろよあの子。めちゃくちゃ可愛くね?」
「すっげぇ……あんなカワイイ子、テレビの中ぐらいしか見たことないぞ」
「もしかしてモデルかアイドルとか?」
「俺、声かけてみようかなぁ」
「やめとけって。さっき顔の良い男が声かけてたけど、物凄い冷たい眼で追い払ってたから」
視線の中心にいたのはテーブルで二人分の席を確保し、アイスティーを飲みながら客のいない方向を眺めている加瀬宮小白。確かめる前から分かり切っていたことだけど。
(加瀬宮も大変だな)
ここが学園の外だからか、加瀬宮のことを知る人はいない。
それでも学園の中に居るのと同じようにこうして周りからの注目を集めてしまう。あいつが周りの視線を気にせずゆっくりすることができるのは、家の中ぐらいなのかもしれない。
「お待たせ。席ありがとな。これ、チケット」
「ありがと」
視線で構成された渦の中心部に突撃。カフェスペースに突如として舞い降りた女神に、どこの馬の骨とも知れない男が近寄ってくるのだから「なんだアイツと」視線が蠢くのは当然だ。
「……悪い。俺が考えなしだった」
「なんで急に謝ってんの」
「声かけられたんだろ」
「そうだけど」
「加瀬宮を一人にしたらそういうやつが近づいてくるって、ちょっと考えたら分かることだった。一緒に行動しとくべきだった」
「流石に大袈裟。てか、こういうの慣れてるし」
「お前がこういうのに慣れてるからって、俺が勝手に心配しちゃいけないなんてことはないだろ。心配ぐらいさせろよ――――」
「…………ん。そ、そっか。ありがと……心配、してくれて」
「――――友達なんだから」
「………………………………ま、そーだよね」
加瀬宮の目から光が消えたかと思ったら、アイスティーを無言で飲み始めた。
「加瀬宮?」
「なんでもない。……あ、人増えてきたね」
カフェスペースから一つ下の階の様子をうかがってみると、俺たちが来た時よりも混雑している。上映時間が近づいてきたということもあるだろうが……。
「今日はいつもより人多いな」
「みんな、私たちと同じやつ観に来てんだろうね」
俺たちが今日観る予定の映画はシリーズ物の大作であり、元から話題性や期待値の高い映画だ。しかも今回は主題歌をあのkuon――――加瀬宮のお姉さんである加瀬宮黒音が担当し、映画本編にも出演。その抜群の歌唱力と演技力が各所で話題を呼んでおり、公開初日から観客動員数が右肩上がりし続けているのだとか。
「やっぱすごいよね。私のお姉ちゃん」
「今日観る映画、ホントにこれでよかったのか?」
「いいよ。元々、一人でも観に行くつもりだったし。このシリーズ、私も好きだし」
映画に対して期待を膨らませる観客たちを眺める加瀬宮。
「お姉ちゃんに対してはね。正直、嫉妬してる。コンプレックスだって抱えてる。恨みだってある。お姉ちゃんさえいなくなればって、考えることは何度もある。……でもね。どうしても嫌いになれないんだ」
その目には、姉に対する尊敬の色が滲んでいた。
「昔っから天才で、なんでもできたけど。それでも努力しないわけじゃないんだよね。むしろその逆。たとえば今日観る映画に出るって決まった時も、めちゃくちゃ演技の勉強してたんだよ。部屋中に本とかDVDとか、演技に必要な資料で埋まってるぐらい。忙しいスケジュールの中でも時間を作って自主練もしてたし、身体作りもしてさ……天才だし、才能にも恵まれてるのは確かだけど、才能以上に努力家なんだよ」
世間的にkuonは万能の天才と持て囃されている。歌手も演技もスポーツも何でもできる、欠点のない天才だと。
「いっそ嫌いになれればよかったんだけどね……無理。嫌いになんてなれない。嫌いになれるわけがない。お姉ちゃん、私には優しくて、いっぱい愛してくれてる。尊敬してるし、みんなに自慢できる、大好きなお姉ちゃん。…………眩しいよね。お姉ちゃんに嫉妬しちゃう自分が、嫌になるぐらいに、眩しい」
加瀬宮が家に居づらい理由は勿論、母親のこともある。だけどそれ以上に家に居づらいと感じていた理由は、大好きな姉に対して嫉妬してしまう自分が嫌だったから。あまりにも眩しく、優しく輝いている姉を直視することができなかったから。
「加瀬宮は、もう少し自分に優しくしたらどうだ」
「えっ?」
「お前は、お姉さんを嫌いになるぐらいなら、自分を嫌いになった方がいいって思ってる。それってつまり、誰かを傷つけるぐらいなら、自分を傷つけた方がいいってのと同じだ」
「…………そっちの方がいいじゃん」
「よくないだろ。それで加瀬宮がしんどい思いしてるなら」
「私は平気だから」
「俺が平気じゃない」
加瀬宮はいつもそうだ。
自分の家の事情だって抱えてるくせに、俺の背中を押してくれた。俺が家族と向き合えるように協力してくれた。自分の家族は上手くいっていないのに、俺だけ上手くいって。それは加瀬宮からすれば辛いことでもあったはずだ。
「加瀬宮が自分を傷つけるのは、俺が嫌なんだよ。自分のためにできないなら、俺のためにやってくれ。俺を安心させるために、自分に優しくしてくれ」
「…………ずるいよ。そんな言い方」
「ずるくてもいい。加瀬宮が少しでも楽になれるなら、俺がお前の理由になるよ」
加瀬宮が俺にしてくれたこと。それを少しでも返したい。
「…………」
「…………」
俺も加瀬宮も無言のまま時間だけが流れていく。だがしばらくして、どちらからともなく、ふっと肩の力を抜いて笑い合う。
「映画館に来てるのに、なんかいつもと変わんないね。私たち」
「言われてみればそうだな」
このカフェがいつものファミレスだと言われても違和感がないぐらいだ。
どうやら加瀬宮も同じことを考えていたらしい。また二人で笑い合っていると、チケットに書かれてある番号のスクリーンへの入場を知らせるアナウンスが流れてきた。
「……行くか」
「うん」
二人でカフェスペースから出て、チケットの指定された席へと向かう。耳を赤くした加瀬宮は映画が始まるまでずっと俺と目を合わせてくれなかったが、映画が終わる頃にはいつもの加瀬宮に戻っていた。
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