第30話 幸せな家族

 加瀬宮は俺に話してくれた。

 母親に夏休みの間は家に居るように言われたこと。それを拒否したこと。家から出て行くように言われたこと。感情のままに家から飛び出してしまったこと。


「……なんか、自分が子供すぎて嫌になる」


「子供だろ。お互い」


「そうだけど、そうじゃなくて」


「分かってる」


 自己嫌悪したようにうずくまる加瀬宮。自分を嫌いにならないでほしいと願ってしまうのは、俺のワガママだろうか。


「分かってるから。俺の前では子供でいろよ。同じ子供なんだから」


「そういうこと言われると、ますます自分が子供っぽく感じて悔しい」


「大人になりたいのか?」


「そうかも。少なくとも、成海ぐらいには」


「俺は別に大人じゃねーぞ」


「私からはそう見える」


「どんなとこが?」


「こう……余裕な感じが」


「別に余裕なんか無いけどな。未だに、妹との接し方に悩むぐらいだ」


「そうは見えなかったけどね。さっきも『うちの妹がすまん』って自然に謝れてたし」


 言われてみればそうだ。あの時は自然と、そんな言葉がするりと出てきた。


「『お兄ちゃん』が板についてきたんじゃない?」


「おかげさまでな」


 加瀬宮が家族と向き合うきっかけをくれた。加瀬宮がいたから向き合えた。

 だから俺は決めている。どんなことがあったって、加瀬宮小白の味方になると。


「加瀬宮。お前、これからどうするんだ」


「……わかんない。まだ何にも決めてない」


「家に帰る気はあるか?」


「……帰りたくない」


「そうか。だったら、夏休み中はこの家で暮らせ」


「は?」


「父さんと母さんと琴水には俺から話しておく」


「いや待って。なんでそうなるの?」


「行くアテがないんだろ」


「ほ、ホテルとか探せばあるしっ」


「金かかるだろ」


「そ、それはそうだけど……」


「来門さんの家に泊るって選択肢もあるだろうけど、ずっと泊まらせてもらうってわけにもいかないんじゃないのか? その点、うちなら多少の無理は通る。というか、俺が通す」


 一泊や二泊ならともかく夏休み中ともなると父さんと母さんの反応は読めない。

 大丈夫だろうと踏んではいるが、仮に断られても、どんな手を使ってでも説得するつもりだ。


「……なんでそこまでしてくれるの」


「加瀬宮の味方になるって決めてるから」


「…………本当は私が悪いかもしれないじゃん。ママにワガママ言って家を出て、成海を騙して、困らせてるだけかもよ」


「本当はお前が悪かろうが、俺を騙していようが、なんだろうが構わない。前にも言ったろ。たとえお前が世界を滅ぼす魔王になったって、俺は加瀬宮小白の味方だって」


「………………あぁ、もう……」


 加瀬宮は椅子から立ち上がるとそのまま俺が腰を下ろしていることも構わずベッドに倒れこみ、俺から顔を隠すように布団を被る。


「だから、そんな風に甘やかさないでよ」


「だから、甘えろって言ってんだよ」


 布団で顔を隠しつつも、加瀬宮はようやく目だけは合わせてくれた。


「……ホントに甘えてもいい?」


「いいぞ」


「……いっぱい甘えるかも」


「受け止める」


「……甘やかされ過ぎて、ダメな子になるかも」


「加瀬宮はそれぐらいが丁度いい」


「……ワガママ言うかも」


「なんでも言えよ。叶えてやる」


「…………」


 言いたいことは言い切ったのだろうか。加瀬宮は布団にくるまったまま動かない。


「……じゃあ、さっそく一つ言ってもいい?」


「どうぞ」


「今日は成海のベッドで寝させて。今日だけでいから」


「わかった」


 むしろワガママとしては可愛らしいぐらいだ。


「おやすみ、加瀬宮」


「…………おやすみ」


 部屋の明かりを消して、扉を閉める。きっと愛らしいであろう寝顔を誰にも見せないように、大切に箱に仕舞うように。


 その後、俺は父さんと母さんに加瀬宮を夏休みの間、家に泊めてくれないか頼んでみた。

 流石に即OKというわけにもいかなかったが、加瀬宮の様子がおかしかったことや、俺がここまで強く頼んだことがなかったこと、そして――――


「わたしからもお願いします」


 琴水が一緒に頭を下げてくれたこともあって、加瀬宮の親に連絡を入れておくことを条件に許しを得た。


「ありがとな琴水。助かった」


「わたしたちが家族になれたのは、加瀬宮先輩が兄さんにきっかけをくれたおかげですから。その分の恩を返すためなら協力は惜しみません」


「生徒会の一員が家出少女の肩を持ってもいいのか?」


「内申点目当ての生徒会役員ですから。そこまで使命感はないのでお気になさらず」


 品行方正な妹から出てきた言葉に思わず面食らっていると、琴水は悪戯が成功した幼子のような顔で、人差し指を自分の口元に添える。


「ナイショですよ。これ、お父さんやお母さんにも言ってないんですから」


「墓まで持っていくよ」


「そうしてください」


 最後におやすみなさい、とだけ付け足して、妹は自分の部屋に戻っていった。

 辻川琴水という妹は、俺が思っていたよりも強かなのかもしれない。


「…………ほんと。妹って、わかんねぇや」


     ☆


 朝起きる時、布団の中はいつも冷たい。

 春でも夏でも。秋でも冬でも。どれだけ暖房をつけて温かくしていても、ずっとそうだ。人けのない家。何も聞こえてこない家。その寂しい静寂は冷たい風のように、するりと布団の隙間から入ってくる。


 起きて居間に行くと、やっぱり誰もいなくて。

 薄暗い部屋に灯りをつけるところから、私の朝は始まる。


「温かい…………」


 今日は違った。温かい。瞼がまた落ちそうになるぐらいに温かくて安心できる。

 私を包んでいるこの温かいものはなんだろう。考えて、その正体はすぐに分かった。


「…………成海の匂いだ」


 この布団から。私が着ている服から。成海の匂いがする。それが私を安心させてくれる。抱きしめてくれている気がする。気持ちいい。心地いい。

 それに、冷たくない。寒くない。この家には人の気配がある。温かい。

 てかやばい。二度寝しそうになる。でも起きないと。だって私、泊めてもらってるわけだし。二度寝するのはさすがに……。


「ん…………」


 気力を振り絞って体を起こす。大変だった。好きな人の匂いに包まれて眠ることがこんなにも心地良いなんて思わなかった。どうしよう。これから成海と一緒に寝るなんてことがあったら、きっと寝坊しちゃう……。


「……って、なに考えてんだ私っ」


 頭の中に浮かんできた妄想を振り払うために、ぱちっと自分で頬を叩く。うん。ついでに眠気覚まし完了。このままリビングに直行……するのはやめよう。顔洗いたい。成海の……好きな男子の家にいるわけだし。寝起きのままはちょっと気持ち的に嫌だ。


「……ははっ。私、ほんとなに考えてるんだろ」


 家出してるのに。ママにあんなこと言われてからまだ一晩しか経ってないのに。

 好きな男子のこと考えて、顔洗いたいとか、寝起きのままは嫌だとか。

 そんなことを気にする余裕が出てきている。恋ってすごいなぁって思うし、まだまだ子供だなぁって思う。でも嫌じゃない。昨日みたいに自分が子供過ぎて嫌だなって思うことはない。


 その後、私は洗面所で顔を洗って身だしなみも可能な範囲で整えてから、リビングに向かった。廊下を歩いてるだけで分かる。この家は私の家とは全く違う。テレビの音が聴こえてくる。誰かの足音が聴こえてくる。甘い卵の匂いがする。私以外の誰かがいる空間。気配。私の家には、どこをどう探したってないものだ。


「あら、おはよう。小白ちゃん」


「お、おはようございます……」


 リビングに入ると、成海ママが優しく迎えてくれた。


「おはよう、加瀬宮さん」


「おはようございます。加瀬宮先輩」


「お、おはよう……」


 おはよう。ただの挨拶。何の変哲もない、ありふれたコトバ。

 でも私はその挨拶を口にするのに慣れていない。だって、家の中で『おはよう』なんて。もうずっと言ってない。ママにもお姉ちゃんにも。


「おはよう、加瀬宮」


「…………おはよ」


 成海の匂いに包まれてベッドから起きて、こうしてリビングで『おはよう』なんて言われて。……ああ、もうっ。また余計な妄想みたいなこと考えてる。新婚みたいだな、とか。そんな能天気でバカなこと。


「昨日はよく眠れた?」


「は、はい。おかげさまで。ありがとうございます」


「そう。よかったわ。ささ、座ってちょうだい。一緒に食べましょう」


「朝食はいつも琴水が作ってくれるんだ。美味しいよ」


「ただのフレンチトーストですよ」


「いや、俺が作るやつより美味いぞ」


「そうですか? 兄さんが作るフレンチトーストの方がわたしは好きですが」


 テーブルの上に、ふかふかでほかほかのフレンチトーストが五つ。

 成海ママと、成海パパと、琴水ちゃんと、成海と……私の、ぶん。

 それが当然のように食卓の上に並べられている。当たり前のように並んでいる朝食に、思わず泣きそうになった。自分でも分からない。意味が分からない。ただ、ここで急に泣きだすのはあまりにも恥ずかしくて、堪えるので必死だった。


「どうした加瀬宮。早く座れよ」


「もしかして、フレンチトーストは苦手でしたか……?」


「違うっ。違くて。えっと、好きだよ。フレンチトースト。あんまり美味しそうだから、びっくりしちゃっただけ。ありがと、琴水ちゃん」


 促されるままに空いている場所に座る。それを見届けると、成海家(じゃなくて辻川家だっけ)の人たちは手を合わせる。


「「「「いただきます」」」」


「い、いただきます」


 遅れて私も手を合わせて、まだ温かいフレンチトーストを口に運ぶ。


「……美味しい」


 ふわふわのパンの触感に、甘く蕩けた卵が口の中で広がる。

 優しい味だ。家族のことを考えてた、琴水ちゃんらしい味。


「そうですか。よかったです」


「そっけないなぁ……」


「違うよ紅太くん。そっけないように見えるけど、琴水は照れてるんだ」


「あんた鈍いわねぇ。あたしでも分かったわよ」


「母親が板についてきたようで何よりだ」


「…………照れてませんから。別に」


 ――――ああ、いいなぁ。


 素直にそう思えた。とても少し前まで崩壊寸前だった家族とは思えないぐらいに、幸せそうで。


「どうした加瀬宮。なんか笑ってるけど」


「いい家族だな、って。そう思っただけ」


 心からの言葉だ。たぶんこれは、羨ましい気持ちも混じっているかもしれないけれど。


「みんなで食卓を囲って、笑い合ってて、幸せそうで。私は他の家のことは知らないけど、良い家族だと思う」


 素直な感想を口にすると、辻川家の人たちは嬉しそうに、照れたように笑った。

 本当に羨ましい。私の家族は、きっとこんな風になれないから。


(……ママは今頃、お姉ちゃんと朝ごはんを食べてるのかな)


 ふと、そんなことを考えてしまう。分かり切ってることなのに。


 ――――ピンポーン。


「? こんな朝から誰でしょうか」


「俺が出るよ」


 突然のインターホン。どうやら誰にも心当たりがないらしい。

 成海が来客の顔を確認しようと壁につけられている玄関用の画面をつける。


『朝からすみません。あたし、加瀬宮黒音と申します』


 リビングにも聞こえてきたその声は、今ちょうどテレビから流れているものと同じ声をしていた。


『そちらのお宅にいますよね? あたしの世界一可愛い妹の小白ちゃんが』


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