第21話 成海紅太は破壊する
「そうか、今日は加瀬宮さんが来てたのか」
珍しく(珍しいのは主に俺のせいなのだが)家族全員が揃った夕食の席で、明弘さんは心なしか残念そうに言った。
「そうなのよ。先月の金曜日に、紅太が急に家を飛び出した時があったでしょう? 加瀬宮さん、自分のために来てくれたんです、ってわざわざ謝りに来てくれて。『グリアンド』のケーキやシュークリームまでいただいちゃったの」
「律儀にケーキまで。しっかりした子なんだね」
「見た目は派手だけど、結構しっかりしたやつなんです。勉強だってちゃんとやってますし、この前の中間テストだって成績上位だったんですよ」
食卓の空気が変わるのが分かる。主に母さん辺りが顕著だ。テストの順位はこの家にとって、特に母さんにとってはタブーだろう。
「ま、まあいいじゃない。テストの順位なんて、何位でも」
「よくないだろ。順位は大事だ」
「そうだけど……でも、紅太は気にしなくていいわ。順位とか、成績とか、そんなこと……気にする必要ないから」
「――――もう、うんざりなんだよ」
俺の一言で空気が凍り付くのが分かった。それでも構わず続ける。
「この家も、この家族も。うんざりだ。吐き気がする。気持ち悪い」
「こ、紅太……?」
「ヘンに気を遣われて居心地がいいわけないだろ。気分がいいわけないだろ。そんなのはそっちの自己満足だ」
「…………っ……」
「わざとだよ。バイト帰りに店に寄って、ギリギリまで時間を潰してるのなんかわざとに決まってる。当たり前だろ。誰だってこんな家に帰りたくないに決まってる。できることなら一生帰りたくないね」
「やめてください! あなた、何を言ってるんですか!」
辻川が声を荒げて立ち上がる。
母さんは青ざめた顔をして震えていて、そんな母さんに明弘さんが寄り添っている。辻川からすれば、俺の顔が悪魔にでも見えていることだろう。
「…………紅太くん。それが君の本音なのか?」
「ええ、そうです。嘘偽りも、ごまかしも遠慮もない俺の本音ですよ、明弘さん」
「黙ってください! お父さんもお母さんも、こんなこと聞く必要ありません!」
「琴水」
「成海先輩! あなたの言ってることはおかしいです! 吐き気がするとか、気持ち悪いとか……普通は家族に対して、そんなことは言いません! 普通の家族はみんな仲良しで、幸せで……わたしたちはそういう、普通の幸せな家族でなくてはならないんです! なのにどうして壊すようなこと言うんですか!」
「琴水、やめなさい!」
珍しく声を荒げた明弘さんに、辻川はまだ何か言いたそうにしながらも口を閉じた。
「ごちそうさま。美味かったよ」
俺は夕食を終え、食器を片付けていく。
静まり返った今に響くのは足音。食器同士が擦れる音。蛇口から吐き出される水の音。
発せられる言葉は一つとしてなく、重苦しい無言の間だけが沈殿していく。
「……どこに行くつもりですか」
「夏樹ん
「家族をめちゃくちゃに壊しておいて、自分だけ逃げるんですか!」
「ああ、逃げるね。……そもそも、お前にとって『普通の家族』ってのは何なんだよ」
「――――っ……!」
俺の問いに辻川は口を開きかけたが、そこから言葉が出てくることはなかった。
何かを言おうとして、無音のままあてもなく口が動くだけ。
「気持ち悪いほど気を遣うことか? びくびく怯えながら話題を選んで会話することか? 言いたいことも言えず、我慢して耐え続けることか? ……そんなの、もうたくさんだ。それが『普通の家族』なら、俺はもう家族なんて要らない」
「なにを……今更、なにを……!」
「そうだな。今更だ。……でもな。今更だからこそ、踏み出せたんだ。逃げたからこそ、背中を押してもらえたんだ」
ふと、頭を過ぎったのは金色に輝く背中。
あいつと出会えていなかったら、俺はきっと今も逃げ続ける『だけ』だった。
「もう一度訊くぞ、辻川。お前にとって『普通の家族』ってのは、なんだ」
「…………一緒にいることです。お父さんがいて、お母さんがいて、わたしやあなたがいて。誰一人欠けることなく、みんな一緒に揃って幸せになっていることです!」
「そうか。そりゃ素晴らしい『家族』だな」
辻川の中には、俺もいるのか。俺もまだ家族なのか。
…………真面目だな。
「だったら、勝負しようぜ」
「勝負……?」
「俺とお前で、今度の期末テストで勝負だ。順位が高い方が勝ち。簡単でいいだろ」
辻川が驚いたように目を見開いた。……が、それ以上に驚いているのは母さんだ。
「俺たちは学年が違うし、テストの難しさも差があるだろうけど……まあ、そこは勘弁してくれ。俺たちが完全に平等な条件で勝負できることなんてあんまないだろうしな」
「正気ですか?」
辻川の問いはもっともだ。もし俺が第三者だった場合、同じように思っただろう。
なにせ辻川は入学式では新入生代表だった。つまり入試の成績は一位。そして中間テストでも、学年トップの座を維持していた。
対して俺の中間テストの成績は五十八位。悪くはないが、トップには遠く及ばない。
「さあな。どうだろ……けど、勝負自体は本気だ」
「…………いいでしょう。その勝負、受けます」
「オーケー。俺が勝てば、これからは好きにさせてもらう。家に帰るも帰らないも自由だ。そっちはどうする?」
「わたしが勝ったら、家に戻ってきてもらいます。そして、これからも家族でいてもらいます。あなたがどれだけ嫌がろうとも」
「分かった。その条件でいい。その代わりテストの結果が出るまで、俺は家に帰らない」
「…………分かりました。わたしもその条件をのみます」
「そりゃよかった」
俺は二階に上がり、あらかじめまとめておいた荷物を手に家を出た。
「紅太……」
「ごめん、母さん」
それ以上、何も言葉は交わさなかった。
青ざめた顔のまま震える母さんを見て罪悪感がわかなかったわけじゃない。でも、大丈夫だ。だって傍には明弘さんがいる。新しい夫が、母さんを支えてくれるだろうから。
俺は道中にある小さな公園に寄ると、ベンチに腰掛けて一息つく。
そのままスマホをポケットから引っ張り出して、ある人物へと電話をかけた。
『……もしもし』
電話に出たのは、明弘さんだ。
「母さんの様子はどうですか?」
『まだ震えてるよ。落ち着くのはもうしばらく先かな』
「……すみません。迷惑かけて」
『……違うよ。迷惑をかけたのは、僕たちの方だ』
明弘さんの声はどこか悔いているようだった。
『僕たちが情けない親だから、君たちを苦しめてしまった。本当にごめん』
……『僕たち』か。そうか。明弘さんはもう背負ってくれてるんだな。
俺の母さんを。自分の妻となってくれた女性を。
だったらもう、安心だ。安心して次の行動に移せる。
『それと……こう言うのもなんだけどさ。嬉しかったよ』
「えっ?」
『君が僕を頼ってくれて、本当に嬉しかった』
電話の向こう側の声には、確かな喜びの色が滲み出ていた。
「……そう言っていただけると俺も嬉しいです」
『ははは。まあ、最初はびっくりしたけどね。事前に「家族を一回ぶっ壊します」、なんて言われた時には』
「俺たちが本当の意味で『家族』になるためには、必要だと思ったんです。一度ぶっ壊してから作り直す。そんな方法しか思いつかなかった」
『……本当ならそれは僕の役目だった。ごめんね。君には余計なものを背負わせてばかりだ』
「違いますよ。これは俺の役目です。だって、あの家の居心地が悪いのは……俺たち家族が壊れかけていたのは、俺のせいでもあるんですから」
俺はクソ親父の期待に応えられなかった。出来損ないの息子だった。
そのせいで母さんはよくクソ親父と揉めていた。そして、離婚した。
それから母さんは俺に気を遣うようになった。俺は居心地が悪くなった。
「……言いたいことが言えて、スッとしてるのも事実ですしね」
少し前なら絶対に言えなかった。家族を壊す勇気なんて持てなかった。
それを持たせてくれたのは……加瀬宮だ。
「あらかじめて伝えていた通り、俺はしばらく家には帰りません。夏樹の家で世話になります……仕事帰りに急に頼んだ上に、一緒に頭を下げてくれて、感謝してます」
『君のために下げられる頭があるのは、僕にとっては幸せなことだよ』
加瀬宮と一緒にこの計画を立てた後、すぐ明弘さんに電話して、俺がやろうとしていることを全て説明した。
そして仕事から帰ってきて早々に夏樹の家に一緒に行ってくれて、一緒に頭を下げて頼んでくれた。
そして夏樹も、夏樹の両親も、この無茶なお願いを快諾してくれた。幼馴染とはいえ、かなりめちゃくちゃなことを頼んでしまったのに……本当に俺は周りの人に恵まれてる。
「母さんを頼みます――――」
胸の中にある靄を振り払う。心の中に刺さっている茨を強引に引き抜いて、その呼び方を確かに口にする。
「――――父さん」
そして、俺は通話を切った。電話の向こう側でフリーズしている父さんの顔が浮かんできて、小さく笑みが零れ出る。
俺はスマホを操作して、頼りになる幼馴染へと電話をかけた。
「もしもし、夏樹か? ……ああ。予定通り、ぶっ壊してきた。今からお前ん
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