第151話 湘南の風 その2

 ビクトリーズのみんなが控室に戻ってくる前に大下監督が俺達を手招きする。


「なんですか、監督?」と司。


「ちょっと、ちょっと、ちょっと」と監督。


「後半からの出場ですよね」と俺。


「まあ、そうなんだけれどね、後半、サイドから攻撃を組み立ててもらいたいんだけれど、出来そうか、司、神児?」


「そりゃー、まあ、出来ますけれど」と司。


「とにかく、向こうの両サイドバック相手に1対1で勝って、ラインを上げたいんだよ」と監督。


 その考え、確かに分かります。


 こういっちゃ、あれなんですが、前半のビクトリーズは両サイドバックが押し込まれているので、なかなか、点に結び付くような攻撃が出来ないのだ。


「まあ、なんとか、頑張りますけど……」


「けどー……って、なんだ、神児?」と監督。


 俺は、しぶしぶ、「ここのピッチ、人工芝なんですよねー」


「だよなー」司と監督。


 つまり俺が何を言いたいかというと、俺の十八番のスライディングが出来ないと……………


 いや、やれっていうんなら、出来ますよ。でも、最低でも擦り傷、最悪の場合、摩擦熱のやけどまで付いてくる。


 あんまりやりたくないなー……明日も試合だし。


 正直、前半、うちの攻撃が不発だったのは、そのせいでもある。


 普段、天然芝に慣れていると、人工芝の上でだと思い切ったプレイをちょっとためらってしまうのだ。


 ほら、コケると痛いじゃん……そこらへん、湘南の選手はホームなだけあってギリギリの攻めどころってのが分かってるんだ。


 つまり、球際でことごとく負けているのだ。


「じゃあ、よろしくな」監督はそう言うと、ベンチに戻って来た選手を出迎える。


「……どうする?司」


「まあ、やるしかないだろ」


「俺、スライディングしなくていいよな」


「ああ、この後試合が立て込んでるし、まあ、あんまり無茶するな」と司。


「りょうかーい」


「ところで、ちゃんと人工芝用のスパイク履いてるよな、神児」と心配そうに俺の足元を見る司。


「そりゃー、もちろん、そんなミスは……って、ヤバ、天然芝用の履いてたわ」


「勘弁してくれよー神児」


 俺は急いでバックの中を漁る。確か、昨日の夜にちゃんと準備していたはずだ。


 っと、バックの底から人工芝用のスパイクが出てきた。あーよかった。



 ちなみに、ここで、フットボールの豆知識だよ!!


 サッカーは野球やゴルフなんかと違って、プレイするための用具は少ない方なんだけれど、それでも、スパイクには、土用、芝用、天然芝用、そしてトレーニングシューズの4種類があるんだ。


 で、何が違うかというと、ズバリ、靴の裏のポイントが違うんですよね。


 土のグラウンド用はポイントが多くて接地面が多く、そしてポイントの高さもそんなに高くない。ほら、土のグラウンドって芝生に比べて表面が固いじゃん。


 ちなみに八西中で練習するときは土用(HG)スパイクを俺も履いている。


 次に芝生用(FG)スパイクのポイントは土用に比べてポイントが少なくそして長い。そうしないとしっかりと芝生に食い込まないからね。


 ちなみに天然芝の上で土用のスパイクを履くと、芝生の上をツルツル滑ってまともにプレーが出来なくなるんだ。


 そして最近はやりの人工芝用(AG)スパイク。


 人工芝ってのはやっぱ天然芝よりも堅いので、ポイントの数は天然芝用よりも多くなっていて、ポイントも天然芝用よりも短いんだ。


 まあ、土用と天然芝用の間くらい。人によっては、天然芝と人工芝を兼用で使うのだが、俺はどうしてもしっくりこないんで人工芝用を使っている。


 それでこれは俺の私見なんだけれど、人工芝でやると、どうしても、ギリギリのところで力をセーブする癖みたいのが付いてしまうんだ。


 そりゃ、コスト面とかいろいろな事情があるのは分かるのだが、やっぱ俺でも人工芝の上だとスライディングするのは躊躇してしまうし、思い切ったプレイをするには心のどこかでリミットが掛かってしまう。


 日本のサッカーでよく言われている、球際に弱いというのは案外こういうところから来ているのかもと思ってしまう。


 そんなわけで、俺は人工芝が苦手です。


 んで、最後のトレシュー、いわゆるトレーニングシューズってのは靴の裏がゴムのぽっちが付いている、いわゆる普段履きのスニーカーにサッカーのテイストが加わっているような靴だ。


 さすがに土用のスパイクでもアスファルトの上を歩くと足の裏が痛くなってしまうのだが、トレシューだと普通にアスファルトの上を歩いても痛くないので俺は普段履きで使っている。


 というわけで、俺は同じタイプのスパイクを4種類持ってます。


 まあ、贅沢と思われるかもしれないが、それでも、野球やゴルフよりは全然お金がかからないし、ましてや、自転車なんかに比べたら、そんなん屁でもないですよね。おじさん♪


 

 そんなわけで、後半が始まった。


 そして相変わらずの湘南のペース。


 ベースはしっかりブロック作ってからのカウンターなのだが、俺達のラインが下がれば積極的にボールを回してくる。


 まあこのレベルのチームなら戦術の二つや三つ持っていてもおかしくはない。


 そして、こういう、イレギュラーバウンドが少ないピッチが得意なのは……司や翔太。そんなわけで、俺にボールが来ると、さっさと逆サイドの司に振る。


 すると、さすが極上のインサイドキックの使い手だけあって、左サイドを中心にボールを組み立てる司。こういうお上品なピッチは大得意なんだアイツ。


 まあ、スライディングとかはあんましないからなー。


 そして俺はバランスを取って下がり目のポジション。後は頼んだぞ、上司。


 司も自分の役割をよくわかっているのか、ダイレクトで小気味よくボールを回すのだが、最後のところで崩しきれない。


 そして淡々と時間が過ぎていく。


 2-0は危険なスコアと言われてはいるが、これは完璧に湘南さんのシナリオに乗っかっちゃってる感じだなー。


 司からも焦りが伝わってくる。そんな感じで司を見ていたら、久しぶりにウインクされた。


 えっ、何するつもりですか?司さん。


 するとすぐに顎をしゃくって、前に出ろと言ってくる上司。


 ……まあ、これだけきれいなピッチだったらうまくいきそうだよな。


 俺は自分の持ち場を離れてスルスルと前に出る。


 湘南さんも俺のオーバーラップに気が付いたのか、俺に付くべきか、それとも俺の裏のスペースを狙うべきか躊躇していると言った感じだ。


 俺は右サイドを上がったり下がったりチョロチョロしながらタイミングを見計らうと、司の足元に大場さんからの絶好のパスが入った。


 おっしゃー、ここですね、上司!!


 すると、司は湘南DFの鼻先で、狙いを定めてトラップミスを演じて見せる。


 腹を空かせた人喰いザメのように司に襲い掛かる湘南のDF。


 しかし、司によってバックスピンの掛けられたボールはまるで意志を持ったかのように司の足元に戻って来る。


 ほんの一瞬の差でボールを掠め取った司は、飛び出したDFのスペースを狙ってスルーパス。


 そして俺は決死のアンダーラップ。


 さあ、丁と出るか半と出るか、サイは投げられた…………と思った瞬間、世界は一回転した。


 ドスーン!!としたたかに腰を打つ俺。


 アイタタタタターと言いながらピッチの上で悶絶する。やっぱ、人工芝は嫌いです!


 どうやら、俺の動きを察知した敵の左サイドバックが俺の死角から思いっきり体を当ててきやがった。


 タイミングも悪かったのか、足も絡んで盛大にスッテンコロリン。


 直後、ピーッ!!と主審の笛が吹かれた。


 俺を倒した湘南の選手にイエローカードが提示される。


 跪いて腰をさすっていると、心配そうに司がやって来た。


「大丈夫か、神児」


「ああ、腰思いっきり打っちまった。ちょっとタイム」


 俺はそう言うとゆっくりと呼吸を整える。


 やっば、腰から落っこちた瞬間、一瞬、呼吸が止まっちまった。


 人工芝の上でプレイをすると、球際が弱くなると思ってたが、意外や意外、湘南さんは人工芝の上でも結構ゴリゴリにやってきます。


「だいじょうぶですか?」と心配そうに聞いてくるが、心からの誠意が感じられない!!おまえ、もしかして、わざとだろ!!


 まあ、一応、建前として大丈夫大丈夫とは言ったが、すると、そのDFはさっさと仲間の所に戻っていくと仲間から「ナイスファール」とお褒めの言葉をいただいている。


 そして、そのDFも一仕事終えたかのように仲間うちとハイタッチする。


 その光景を見ていた俺は、頭の中からアドレナリンがドクドクとあふれてきた。


「大丈夫か、神児」と司が再び俺に聞いてくる。


「大丈夫だよ、単なる打撲だから」俺はそういうとすっくと立ちあがる。


「いや、顔がおっかないんだって、お前」と司。


「気のせいだ」


「また、変なことするなよお前」と心配そうに司。


「しないって!!」


 まったく失礼な話だ、人の事なんだと思ってるんですか、プンプン!


 というわけで、ゴール前30mからのフリーキック。


 目の前には湘南の選手が3人ほど壁に立っている。そしてその三人の横に司が居る。


 分かってるじゃん、俺のやりたいこと。


 俺が壁を睨みながら手のひらでチョンチョンと司の位置を修正させる。


 うん、これは前の世界から数えられないくらいやったプレイだ。


 湘南の選手は俺が何をしているのかいまいち理解できなさそうに見ている。


 もっとも俺がやっている意味が分かるのは、来週の金曜日にならないと分からないけどね。


 俺に体を当ててきた湘南の6番、ナイスファールかどうか、目にもの見せてやるよ。


 俺はそう思うと、思いっきり息を吸い込み、ボールの中心を凝視する。


 歯をギリギリと食いしばると頭の中からアドレナリンがドクドクと噴き出してきた。


「おっしゃー、行くぞ!!」


 俺はそう叫ぶと自分の顔をパンパンと赤くなるまで叩く。


 実はこれ、俺のフリーキック前のルーティンなんだ。あんまりやりすぎると痛くなっちゃうから1試合に1回が限度だけどね。


 全盛期の高見盛を彷彿とさせるルーティンを終えると、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように審判の笛が「ピーッ!!」と鳴った。


 俺は助走を開始すると、コンパクトに狙い定めて、ボールのど真ん中をこれでもかとぶち抜いてやった!!

 

 直後、俺の左足から放たれたボールは、司の頭の左上ギリギリを通って、湘南ゴールの左サイドネットに向かって行く。


 ブレ球を見慣れてないのか、GKは飛びつくタイミングを見誤ってしまい、なんとか飛びつくも、指先を掠めてゴールネットに突き刺さった。


「おおおおおー」みんなから声が上がる。


 俺はベンチに向かって走っていくと、ベンチのみんなに向けて渾身のガッツポーズで応えて見せる。


 すると、すぐに抱きついてくる司。


「よかったなー、神児、初めて試合で決まったなーこれ」と本当に嬉しそうに言ってくれた。


 いや、そういうの言わなくていいから大丈夫です。


 前の世界から数えて足掛け14年、初めて本田さんを真似たフリーキックが決まったのだ。

 

 後半、15分、湘南ベルファーレVS東京ビクトリーズのスコアは2-1となった。

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