第69話 ツール・ド・八王子 その3

https://kakuyomu.jp/users/t-aizawa1971/news/16817330663938976163


「つまんない」と遥がつぶやいた。


「おう、どうした、遥?」と自転車を拭きふき司が。


「なにがつまんないの?」とチェーンに油を差しながら俺。


「つまんないんですけれど、最近、神児と司だけでサイクリングいっちゃってて」


「……あっ、」と司。


「なんか、すみませんねー」と俺。



 うん、薄々感づいていた。今日は正月休み5日目である。


 昨日も、一昨日も、一昨昨日も、司と俺とおじさんでサイクリングしてました。


 ちなみに昨日は荒川サイクリングロードからディズニーランドを見ながら、東京湾沿いを走りながら多摩川沿いを登ってきました。


 ついに、昨日一日で200㌔達成。ヤバイペースで走っている俺達。司もあからさまに体形が変わってきた。人ってたった3日で体形が変わるものなんだ。びっくしです。


「せっかく、お正月、クラブも無いんで遊ぼうと思ってたのに、つまんない!!」と遥さん。


「正直……スマンかった」と司。


「あのー……ごめんなさいね」と俺。


 前の世界では、新婚ほやほやにも関わらず、赤貧の底辺Jリーガーのために毎日のようにお夕飯をごちそうしてくれた遥。


 あの節は大変お世話になりました。ご恩を忘れたことは一日たりともありませんよ。


 ところで、遥さんの得意料理の鶏の手羽元がゴロゴロ入ったクリームシチュー。あれはこちらの世界でも食べれるのでしょうか?


 今日みたいな寒い日には格別だと思うのですが…………


 3日連続ですっぽかされた遥さん。


 実は今日も走りに行こうと思ってたのですが、あいにくの朝から雨がしとしとと降っておりまして、朝から自転車の整備に勤しんでいたのです。


 で、タイミング良く来た遥は、俺たちと一緒に、おじさんの秘密基地ことプレハブ小屋で「シャカリキ!」やら「弱虫ペダル」やらを読んでいたのですが……

 

 そういや、これって、サッカー小説だよね。


 ちなみに莉子と弥生のおうちは田舎のおじいちゃんの家にそろって帰省中です。


「明日、クラスの友達に映画行こうって誘われてるから、そっち行こうかなー」と遥。


「映画ってなに観るの?」と俺。


「あばたー。なんかすごいんだって」


「あー、あれかー、ホント3Dすごかったなー」と司。


「えっ、何、司、あばたーもう観たの?」と遥さん。


「ああ、いや、その……テレビ、テレビで予告をみたんだよ」とまたもや前の世界との記憶をごっちゃにしちゃった司。


 だから、気を付けましょうって。司。


「クラスの男の子達も何人か来るっていうから、いっちゃおうっかなー」と遥さん。


 その途端、露骨なまでに取り乱し始める司。


「あ、あの、そのさ、遥、クラスの男って誰と誰?」


「そんなの司にかんけー無いでしょ。ってか私も分かんないし」


「えっと、その、誰と出かけるかくらいわからないと、ほら、心配すんじゃん」と司。


「どうもご心配ありがとうございます。じゃあ、ちゃんとわかったら司にも連絡します」


「えっ、あの、もう、行っちゃうの、決定?」と司。


「行っちゃうも何も、あんたら、どうせ明日も自転車でどっか行っちゃうんでしょ」そう言いながら、マンガを読む遥。



 すると、可哀そうなほどに口をパクパク開いている司。


 俺、知らねーと思ったところで、司が突然、「オヤジー!!自転車一丁見繕ってくれやー!!」と向こうの方でなにやら怪しい整備をしていたおじさんに言った。


 あっ、そういや、おじさん、いたのですね。どうも連日お邪魔してます。



「えっ、どした、どした、司」とおじさんがやって来た。


「オヤジー、遥に自転車一台見繕ってくれよー」と縋りつく司。


 いやー、お前が明日一緒に映画見に行けばいいだけじゃねー?と思いながら、俺はスプロケの間に詰まった汚れを拭きふき。


「え、いや、私、別に自転車が乗りたいってわけじゃ……」


「んー、遥ちゃん、よかったら、一緒にサイクリングいかない?」とおじさん。


 えっ?自転車まだあるんですか?もしかして……


「えっ、いいんですか?」と遥。


「うん、遥ちゃんって、大体神児君と同じ身長だよねー」とパパ。


 えっ、ちょっと待ってくださいよ、それ、どういう意味ですか?


「神児君に今貸している、青い自転車乗れるでしょ」


「えっ、いいんですか?」と遥。俺は良くないですよ。おじさん。


 すると、おじさんがくるっとこっちの方を向きなおして、「神児君だったら、もうひとサイズ上の自転車でも大丈夫かなーと思ってさ」

「はぁー」どういう意味ですか?


「今乗ってるの、遥ちゃんに貸して、神児君の自転車、今から組み立てるよ」とおじさん。


「組み立てる?」と司

「今から?」と俺。


「ああ、2時間くらいあったらできるから、遥ちゃんに自転車の乗り方教えてあげといて」とおじさん。


 ?????なんだかよくわかんない展開になって来たなと思ったら、カーテンの向こう側にあるファンシーケースのファスナーをピーっと下げると、 なにやらそこには、見慣れぬ自転車のフレームが何台も……おじさん、それって……


 司もなにやら険しい顔。


「おやじ、正直に言ってくれ、今、おれんちには自転車何台あるんだ?」と。


「何台って言われても、これ、まだ自転車じゃないじゃん」と真っ赤ロードバイクのフレームを持ってきたおじさん。


「…………詭弁だ」と司。


「まあ、このフレーム、去年の関戸橋の下のフリーマーケットで見つけたやつなんだ。掘り出し物なんだぞ、このチネリのスーパーコルサ!!」


「へー」とあきれてものが言えない司。


 確か今一瞬観たファンシーケースの中に自転車のフレームが並んでぶら下げられてたな。


「ちなみに親父、そのフレームいくらで買ったの?」と司。


「ああ、たったの15万円だ」


 たったっていうんだ15万円って。前の世界での月給よりも高いじゃん。しかもフレームだけで。


「いいか、世界中のサイクリストの憧れ、チネリのロッソフェラーリーのスーパーコルサだぞ。普通に買ったら30万円はくだらない代物だ。それがたったの15万円って、そんなの見過ごしたらサイクリストの沽券にかかわる」


「関わればいいのに」と司。


 ってか、今度の俺が乗る自転車はそれですか?せっかくGIOSのコンパクトプロが慣れてきたのに……まあ、遥が乗るなら別にいいか。と俺。


「うーん……でも、せっかくのチネリなんだから、組むんだったらシマノよりはカンパニョーロだよなー。でも、今、余ったるカンパのコンポって、コーラスしかないんだよなー、どうしよー」となんかわかんない事で悩んでいるおじさん。


 いいですよ別に乗れればなんでも。


 というわけで、おじさんがうんうん悩んでいる間に俺は遥に基本的な使い方を伝授する。


「なにこれ、なんでブレーキのレバーが横に倒れるのよ」


「これでギアが変わるんだよ」


「この黒いレバーは何?」


「シフトアップするの」


「アップ、ダウン?なにそれ」


「とにかく乗ってみれば分かるって!!」


「あとは、タイヤの空気とか、」


「ねえ、司」と遥さん。


「なんですか?」と司。


「そういうの全部やってよ」


「はい、わかりました。」

 

 …………なんかお前、はるかに弱みでも握られてるのか?


 そうこうしているうちに、本当にお昼前に自転車が出来上がっちゃった。

 

 マジか、すごいねおじさん。

 

 お昼は司のお母さんが、昨日のカレーを利用して、カレースパゲッティーが出てきた。

 

 なんですか、お母さん、この素敵なお料理は。ちょっとレシピを教えてください。うちのお母さんに持って帰ります。


 なんか、そうこうしているうちに天気が晴れてきた。


「あれ、太陽出てきたよ」と司。


「これって行けそうかな?」と俺。


「じゃあ、近所ちょっと走るか」とおじさん。


「やったー」と俺と司と遥。


 すると、司が、「ところで、遥のレーパンどうするの?」と。


 そうだよな、さすがに女の子にいきなりアレは…………すると、おじさん、「遥ちゃんの自転車、クロスバイク用の柔らかいサドルに変えといたからジャージで大丈夫だよ」と。


 なんだよ、そういうのあんのかよ!!


 俺と司がなんか言いたげな顔をしてて分かったのか、おじさん、「クロスバイク用のサドルって柔らかいから上下に動くんだよ。そうするとな、100㌔越えると逆に疲れるんだよ」


 なーるほど。いろいろ事情があるんですね。


「えっ、今日はどのくらい走るんですか?」とちょっとビビり始めている遥さん。


「んー、2時間くらいかな」とおじさん。


「なーんだ、2時間くらいですか」


「うん、今日、お母さんケーキ焼いているから、おやつに食べれるように帰ってこようね」


「やったー」とみんな。


 すると、「東京オリンピックって知ってる?」とおじさん。


「コロナで大変でしたよねー」


「スケボー、真夏の大冒険ー!!」


 と危うく口が滑りそうになる俺と司。

 

 いかん、いかん、今は2010年だ。まだ今度の東京オリンピックの開催すら決まってないんだ。


 必死にごまかしながら、悩んでいると、「えーっと東洋の魔女とか?」と遥さん。物知りだねー。


「そうそう今から50年近く前にやった東京オリンピックでさ、自転車のレースもやったんだよ」


「へー」


「で、今日はそのコースを走ってみようかと」


「ほうほう、で、そのコースって、どこなの?」と司。


「じつは、八王子」


「マジか!!」


「一周25㌔のコースを8周したんだけれど、今日はそのコース1周してみようかなと」


「いいねー、いいねー」と司。


「というわけで、今日はツール・ド・八王子を開催します」


 そういうおじさんとっても嬉しそうです。


「まあ、おじさんのいつものコースなんだけれどねー」


「あー、それで、いつもどこ走ってるんですか?って聞いたら八王子なんですね」


「うん、そうなんだよ。あとは有名な峠道もあるしねー」


「へー、そうなんですねー」


「というわけで、びっくりドンキーにGO!」とおじさん。


「えっ、なんで?」と司。


 分かりましたおじさん、今からデザートタイムですね。


「あー、びっくりドンキーがスタートってことで」


「なーるほどって、あそこの道がコースだったの?」と司。


「そうなんだよねー」


 というわけで、自転車で10分ほど走って我々はびっくりドンキーの前に集まった。


「うーん、いい香りだ」と司。


「えっ、まだ、食べられるの?」と遥。


「メリーゴーランド程度なら」と俺。


「じゃあ、このまま、まっすぐ西に向かうよー」とおじさん。


 そのまま5分ほど走ると追分の交差点。


「おじさん、どっちー?」


「このまま、このまま20号まっすぐでー」


「了解ー」


 そしてそのまま銀杏並木をまっすぐ走る。


 西八王子駅を過ぎて高尾駅が見えてきたら、「そこの高尾駅の交差点を右折ねー」と自転車から降りて横断歩道を渡るおじさん。


 俺たちももちろん後ろからついてくる。


 多摩御陵を右手に見ながら、なだらかな坂道を登っていく。


「司ー、心拍いまいくつー」


「170」


「がんばれ」


「ここって、天皇陛下のお墓なんですよね」


「そうだよ、昭和天皇と大正天皇のお墓があるんだよ」


「へー」と俺達。


 緩やかなアップダウンを繰り返しながら、俺たちは高尾街道を北上する。


 途中の坂道で司がピーピー言ってたが、このまえの堀之内トンネルの坂よりはまだましだろ。


 そうして30分ほど走ると、滝山街道に出た。


 滝山街道に入ってから1㌔ほど走ると、おじさんは急に左に折れた。


「じゃあ、ちょっとそこの山登るから頑張れよー」とおじさん。


 目の前に確かな山がある。いや、丘っていったほうがいいか。正確には滝山城跡です。


「どのくらいあるのー」と涙目の司。


「100mも無い、ほらがんばれ司」


 俺とおじさんに励まされながら、ピーピー言いながら、どうにか丘を登り切った司。やったね。


 そこからほぼUターンで今登ったばっかしの山をまた昇る。


「なんのためにのぼったんだよー」と泣き声の司。


「坂のぼるために決まってんだろ」とおじさん。


「一番坂に登るんじゃねーのかよ司」と俺。


「俺は、ロケットユタだ。登坂は苦手なんだよー」と司。


「司、これは登坂ってレベルではないんだけどなー」とおじさん。


 そうこうしているうちに、元の滝山街道に戻って来た。そこから10分も走らないうちに16号にぶつかった。左に曲がると拝島橋。そこを右に曲がって北島のサブちゃんの家を目指します。


 そしてまたゆっくりと坂を上る。坂を上り切ると、有名なハンバーグ屋さんだ。


「ここのハンバーグ美味しいんですよねー」と遥。


「店員さんが切ってくれるんですよね」と俺。


「バンバーグ!!!」といきなりハンバーグ師匠になってしまった司。


「夜、食べにくる?」とおじさん。


「マジすか!!」と俺と司と遥。


「うん、たまにはママにも楽させてあげないとねー」とおじさん。おっとこっまえー!!。


 そして後は下り基調。そのままスルスルと惰性で走る俺たちの自転車。

 と、そのまま大横町の交差点に出ると、左に曲がってびっくりドンキーの前にやって来た。


「ハンバーグ!!」と司が叫ぶ。


 そうして俺たちの第一回ツール・ド・八王子が終わった。


 走行距離23㌔、時間、のんびりはしって1時間30分。時計を見たら、……まだ3時前だった。


「どうする?」と司。


「まだ、ケーキできてないよね」と遥。


「だけどもう一周はちょっとなー」と俺。


「そうだ、いい事思いついたー」とおじさん。


「どうしたんすか?」


「いや、この近所にいつも言ってる自転車屋さんがあってさー」


「ふんふん」


「ちょっと見に行かない」とおじさん。「ついでに遥ちゃんのレーサーパ

ンツとか買っちゃうから」


「いいんですかー?」と遥。


「いい、いい、お年玉、お年玉」


 そうして俺たちは、おじさんのなじみの自転車屋さんにやってきたのだ。


 入ってみて感じたこと。


 へー、自転車って天井からぶら下げるんだー。


「うわ、なに、あれ、ホイール50万円だって」


「車買えるわ、車」


「あの自転車、10万円じゃないわよね」


「あれ、100万円だよ」


「いろいろおかしいって、値段が」


「あれ、なんか、おじさん、店の人と話してるよ。」


「おいおいおい、120万円の自転車の前でニコニコ笑ってるぞ」


「……とうさん」


 なんか、こうやって、家庭って崩壊するのかなと……幸いなことに、司の家に今日自転車が増えることは無かった。

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