第18話 夏空の陽炎 その2

 見ると、翔太も不服そうに決められた場所でブロックを作っている。


 すると、司は手を上げてみんなに指令を出す。


「DFラインもっと上げて!!」


 ついにうちのDFラインがセンターハーフを越えてビクトリーズ陣内にまで侵入した。


「負けているときこそ、勇気をもってラインを上げる」ってのが、司の信条だ。


 たのもしいエースの言葉に導かれ、八王子SCのみんなはビクトリーズ陣内で自由にボールを回し始める。


「ボールを走らせろ!ボールは疲れない!」と言ったのは、ヨハン・クライフだ。


 ボールを回している八王子SCよりも、ブロックをひいているはずのビクトリーズの方が疲れてきているように見える。


 おまけに司は余裕からか、ときおりウインクまで見せる始末だ。おいおい、スコアはまだ4-1のままだぞ…………大丈夫か?


 と、その時、司が信じられないトラップミスをした。しかも最悪なことに対面には三岳健斗が…………健斗が猛烈な勢いでボールを取りに来る。


「何やってんだよ、司!!」


 俺はすぐさま司のカバーに入ろうとしたが、「神児!!」の司の声ですぐに気が付いた。


 俺は方向転換し、司のボールを奪うために飛び出た、健斗の空けたスペースに猛然と走りこんだ。


 視界の端には、司のトラップし損ねたはずのボールが、なぜだか強烈なバックスピンがかかり、再び司のいる方向に戻っていくのが見える。


 完璧につり出された健斗。司の撒いた疑似餌に三岳健斗という大魚が掛かった瞬間だった。


 どこからか「俺がそんなヘマするわけないだろ間抜け」という司の声が聞こえたような気がした。


 健斗がボールを触れるより先に、司はボールを回収すると、健斗の空いたスペースに目掛けて、司は極上のキラーパスを出した。


「キーパー!!」健斗が大声を上げた。


 それは、きっと、健斗から見たら、パスのスピードがありすぎて俺が追い付けないと思ったからだ……


 

 フットボーラーの中には、パサーと言われるいわゆるパスを出すのが得意な選手がいる。


 その選手の大半が、コントロールの精度かボールスピードの加減かのどちらか優れている。


 どんなにコントロールがよくてもスピードが速すぎたら受け手は追いつけないし、逆に遅すぎたら相手に取られてしまう。


 どんなにスピードの加減が上手でもコントロールが適当ならまたしかりだ。そして、一流のパサーと言うのはその両方に優れている選手のことを言うのだ。


 では、司はパサーとしてはどうかと言われると、全盛期の司はコントロールはもちろんのこと、スピード加減も抜群で、その上、ボールの回転までも操れる稀有のパサーだった。


 そんな選手、日本人では全盛期の小野伸二以外に俺は知らない。


 あの辛口批評でお馴染みの、セルジオ・越後が唯一、日本人で天才と認めたフットボーラーだ。


 司のインステップから蹴り出されたボールは糸を引くような軌道で、ビクトリーズのペナルティーエリア手前、左45度の地点に落ちた。


 そして、そこはこのピッチの中で最も芝目が長くやわらかい場所なのだ。


 相手ゴールキーパーは大きく蹴り出そうと必死に飛び出してくる。


 が、司の蹴り出したボールには強烈なバックスピンが掛かっており、芝にバウンドした途端、急激に勢いを落として、そのままコロコロと転がってゆく。


 想像以上に球足が伸びないボールに驚いた顔をするGK。しかし、ここまでゴールから離れてしまっては、もう戻ることなんてできやしない。


 GKは腹をくくって俺より先にボールをクリアしようとしたが、それよりも1歩早く、俺はその鼻先でボールをかっさらった。


 GKが右側から来たので、俺はセオリー通り、右足のインサイドでボールトラップする。


 が、トップスピードでトラップしたせいか、思った以上に大きくトラップしてしまった。


 ヤバイ!!


 俺がトラップしたボールはコロコロとゴールラインに向かって行く。


 俺は死に物狂いでボールを追いかける。


 キーパーをかわし切った今、ゴールに蹴りこみさえすればいいのだ。


 俺はなんとかゴールライン手前50センチのところで追いつくと、体勢を崩しながらも、最後までボールから目を切らずに、左足のインサイドでボールを蹴った…………


 直後、俺はバランスを崩しスッテンコロリンの一回転。


 見事なでんぐり返しをした。


 ボールはどこへ行った!!


 俺は急いで起き上がると、ボールの行方を捜す。


 が、俺がボールを見つけるより先に、


「ドッペルバーック!ブラーボ!!シンジー!!!」


 とクライマーコーチの雄叫びが聞こえた。


 俺はその声を聞いて、ああ、なんとかゴールに入ったんだ、と胸をなでおろした。


 そして安心してゆっくりとボールの行方を捜してみたら…………ボールは、手前のゴールネットに引っかかっているように見える。


 一瞬、背筋がぞわっとする……が、ビクトリーズの選手が膝を崩しているのを見ると、どうやらゴールの内側のネットにボールが引っかっているらしい。


 ってことは、アレだ。


 いったん、向こう側のゴールポストの内側にぶつかって、跳ね返ってから手前のネットに引っかかったんだ。


 今の状況を理解して、あらためて背筋がゾッとした。


 やっば、ギリギリじゃん。あっぶねー。


 と、その時、ピッチの外側で未だにへたり込んでいる俺の元に司がやって来た。


「よう、ナイスシュート、神児」と司が手を差し出した。


「ああ、ナイスパス、司」と俺は司の手をつかんで立ち上がる。


 俺は11年ぶりに親友にアシストを付けてやったのだ。


 前半8分、八王子SCと東京ビクトリーズのスコアは2-4となった。



「ってか、神児、お前よくあのサイン覚えていたな」と司は感心したように言う。


 あのウインクのことを言っているのだ。


 あのサインは俺たちがビクトリーズジュニアの時に決めていた、俺たちだけの秘密のサインだ。


 俺はこのサインで何度も点を取らせてもらったのだ。


「当たり前じゃんか、忘れるわけないだろうが」


 俺は胸を張って言った。


 次の瞬間、司のパンチが軽くみぞおちに入った。


「ごふっ」


「嘘つけ、お前、俺が、『神児!!』って叫ばなかったら、俺のカバーに入ってただろうが!!」


 ああ、全部しっかり見てたのですね。司上司(つかさじょうし)にはうそはつけません。トホホ。


「それから、あのトラップはなんだ!!あんなにでっかくトラップしやがって、俺様の芸術的なパスを台無しにするつもりか!!」


 えー、司、それ自分で言っちゃうの?


「試合が終わったら、右足のインサイドでリフティング100回な。もちろん途中で落っことしたら0からやり直しだ!!!」


「えー、司、それってパワハラですよー」とチョコプラの坂上忍の真似をする。最近俺がハマっているモノマネのモノマネだ。


 思わずくすくす笑う司。


「まあ、そりゃ、冗談だ。でも、ミスをした直後にこそ、修正のトレーニングは効果があるんだぜ、覚えておけよ神児」


 はい、もちろん知ってます。司上司。


「ところで、司、よくあの場所覚えていたな」


 俺はそう言って司がボールを落とした場所を振り返ってみる。


「ああ、昔から、あの場所の妙に芝生が柔らかかったからな。まあ、このピッチがホームなのはあいつらだけじゃないってことさ」


 そう言って司はニヤリと笑った。


「そうだな、このピッチは俺たちのホームグラウンドでもあるんだからな」


 中学生の時、このピッチでビクトリーズの連中と散々練習したことを思い出す。


 俺はセンターサークルに戻る際、ビクトリーズの選手の顔を見た。


 みな、明らかに動揺している様子が手に取るようにわかる。


 そりゃ、そうだろう。俺たちにとっては救世主みたいな司の存在だが、奴らにとっては悪魔以外の何物でもない。


 自分たちの知らないサッカーで次々と追い詰められているのだから。


 現に司のたった一つのプレーで盤石と思われたビクトリーズの守備があっさりと崩壊した。


 試合の潮目が変わったのを俺は確信した。

 

 ビクトリーズのボールで試合が再開する。


 メンバーを見ると、右のフォワードを一枚削って、体の大きな選手を入れてきた。


 残り10分そこそこ、徹底的に逃げ切るつもりか?


 勢いに乗った俺たちは、あっさりとビクトリーズからボールを奪い取ると、またボールを回し続ける。


 ビクトリーズは再びリトリートして自軍ゴール前にブロックをしく。


 しかし、今回違うところは、なんと司に三岳健斗を付けてきたところだ。健斗はマンツーマンで司に張り付く。


 是が非でも、このまま逃げ切るつもりなのだろう。


 やはり、王者東京ビクトリーズ、この年代でも修正力は群を抜いてる。


 さあ、どうする、司、今度はさっきみたいなトリックプレイは通用しないぞ。


 すると、司は俺に向かってウインクすると、健斗を引き連れ、ゆっくりと、サイドラインに向かっていく。


 はい、分かりました。司上司。


 俺は司の意図を汲み取ると、ぽっかりと空いたど真ん中のスペースにドリブルで切れ込むと、渾身の力で左足を振りぬいた。


 昨日の試合から数えると二日続けてのフルパワーのシュート。


 膝をぶっ壊してから、こんなおっかないことしたのは初めてだった。


 しかし、しっかりとボールをとらえたつもりだったが、わずかにずれてしまった。


 コースを狙ったつもりだったのだが、アウトに引っかかり、ボールはぐんぐん曲がってキーパーの真正面。


 予想外の変化にキーパーはパンチングで逃げるのが精いっぱい。ボールはエンドラインを割ってしまった。


 学生時代、これでも「スカッド」と恐れられた俺の左足だ。初見でキャッチなどできるわけもなかろう。


 うまくぶれてくれないかなと思ったが、どうやらそこまで都合よくはいかないらしい。


 完璧にビビってしまった敵GK。


 悪いな子供を怖がらせる趣味はないんだけれどな。

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