第4章 暗躍者たち
第18話 包囲網[前編]
二〇二二年十月某日。自身が暮らす五〇一号室を出る傍ら、青年は灰色の雲に覆われた空を何気なく見上げた。
台風が近く、すっきりしない天候。どんよりとした
自宅を出たその足で、隣の五〇二号室のインターフォンを鳴らした。程なくして、ドアの向こうから歩幅の短い足音が近付いて来る。
ドアがゆっくりと開かれた。現れた高校生ほどの見た目をした少女に、青年は柔和に笑いかけた。
「やあ、ニヌルタ」
一方、少女は微かに口角を上げるに留まり、青年に淡々と言った。
「やっと来たわね。テラ。……上がって。いろいろ報告して貰わなくちゃ」
「分かってるよ」
通されたリビングは、年頃の少女の家とは考えがたいほど殺風景で、彼女の趣味や関心の希薄さを如実に表現していた。
「橙色と菫色に会ったよ」
テーブル越しに少女と顔を突き合わせると、青年はさっそく口火を切った。
「藍色は?」
淡々と、少女は聞いてくる。
「残念ながら。会ってみたかったんだけどな」
「ふーん。ま、いいわ。それで、どうだった? その橙色と菫色は」
「
青年は答えた。静かに、穏やかに、はっきりと。
「そう。じゃあ、協力してあげる」
「ありがとう。ニヌルタ」
「暇なだけよ」
青年と少女の間でのみ通じる会話。
「他には? なんかある?」
「そうだね」
素っ気なく問われる。青年は頷いた。
「実は、会いたくない死神もいるんだ」
「誰?」
「藍色と菫色の世話役。彼はちょっと怖くてね」
「なんで?」
少し考えてから、青年は自分の中の漠然とした不安を言葉にした。
「
少女が一度沈黙する。微妙に眉をひそめて、視線を余所に逃がす。
「……そう。なら、お互い気を付けないとね」
「だね」
青年の報告は、もうしばらく続く。
* *
「ぶえっくしょん!」
三〇一号室。突如としてやって来た
「口ぐらい覆え。穢らわしい」
家主二名の中でも辛辣な
「ごめんごめん。悪いのは俺の噂した誰かなんだけど、俺が代わりに謝っとくね」
「帰れ」
「はーい。君たちにお知らせがありまーす」
燿に悪びれた様子はない。彼のふてぶてしい態度は、短気な渚の神経を逆撫でするに充分過ぎた。
「帰れと言った筈だ」
「お知らせがあるって言った筈だよ。死にたいの?」
燿が「ご飯食べにいかない?」くらいの軽快さで添えた五文字は、場の空気を一変させた。室温が飛躍的に下降して行く――のは鈴の錯覚だが、そんな錯覚に陥ったのは鈴だけではないらしい。
「マルス。さすがに心臓に悪いよ」
燿と渚の
鈴は一言一句同意して頷き、燿に遺憾の意を表明する。
「空井さんが言うと、冗談に聞こえないよね。本当にやりそうだし」
軽口のつもりだった。そして、先の燿の発言もまた、いつもの軽口だと思っていた。
しかし、当の燿は見る見る内に仏頂面になり、ふいっと回れ右をした。
「もういいよ! また死神狩りが出たって教えてあげようと思ったのに!」
「待ってマルス。ごめん。詳しく聞かせて」
樹が顔色を変え、テーブルから身を乗り出して、ご立腹な燿を引き止める。
「今度は真面目に聞くから……」
「……分かれば良いんだよ。分かれば」
燿は再びこちらへやって来ると、空いた席にどかっと腰を下ろし、無断でテレビを消した。
「ウェヌスは、死神狩りって知ってる?」
「知らないけど、なんとなく想像は付くかな……」
「それは結構。じゃ、このまま話進めるね。――そこの君。スマホを置きなさい」
ほんの少しだけ真面目な顔になって、燿は改めて本題に入った。
「ユピテルとメルクリウスは知ってると思うけど、ああいうヤンキー死神のメインターゲットは藍色と菫色、それと新米の死神。つまり、君たちは格好の餌食ってわけ」
今の自分は、相当青い顔をしているに違いない。生きた心地がしないとはこのことだ。
「コードネームは……ネルガルだったかな。元々びっくりするほど気性が荒くて、周りも随分手を焼いてたみたい。そいつは近隣の部署にいたから、カラフルな君たちのことは漏れなく知ってるだろうね。真っ先に狙ってくると思っていい」
生きた心地を得られないまま、鈴は燿の話に耳を傾ける。
「ってことで、この件が片付くまで外出禁止ね」
「え」
鈴と樹の声が重なる。
さすがに想定外だ。樹が三人を代表して尋ねた。
「単独行動禁止じゃなくて?」
「外出禁止」
ぴしゃりと言われる。
「君たちが束になっても、どうにもならない相手なんだよ。逃げる間すらないだろうから、遭遇したらほぼ即死だね」
のしかかる恐ろしさと、先が見通せない不安に駆られて、頭の中から色が消えた。あらゆる思考が阻害される。燿にここまで言わせる強敵に、自分たちは狙われているのだ。
「どうしても出掛けなきゃいけない時は、俺かディアナに連絡すること。……死にたくなかったら言うこと聞いて。いいね?」
無言の鈴たちに、念を押す燿。飄々としているようで、有無を言わさない重みを孕んだ声色だった。
あの「死にたいの?」の真意を、否が応でも承知した鈴たちの間に、長い長い沈黙が降りた。
【To be continued】
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