第9話 閉ざされた退路

 どうやら意識を失っていたらしい。

 遅緩に瞼を持ち上げた樹は、自分が菫色の光の中にいることに気付いた。同時に、先ほどまで体を蝕んでいた酷い痛みが遠のいていることにも。

「起きたか」

 抑揚のない声を聞き、見上げた先に菫色のオーバーコートを着た片割れを見付けた。石のような無表情で大鎌をこちらに向け、能力を使っている。

「渚」

「まだ動くな」

 身を起こそうとして制される。

 樹は何気なく周囲を見回した。あれから景色は変わっておらず、自分は変わらず折れた大木の傍らに倒れている。変わっているのは怪我の具合だ。辛うじて繋がっていた右腕は完全に修復され、ぱっくり割れていた左手の平も元に戻りつつある。

 ひとまず動くのは後回しにして、樹は渚におずおずと尋ねた。

「鈴は無事?」

「……」

 渚は一時沈黙するも、やがて静かに応じた。

「怪我はない」 

「!」

 言葉を濁した渚の意図はすぐに察せた。

諸星あいつが仕留めたらしいな」

「……うん。僕が不甲斐なかったから」

 鈴にやらせる気などなかったのに。鈴への負い目と、自分への苛立ちが胸の奥に食い込んだ。

 全ての傷が完治すると、樹は渚に礼を言って身を起こした。

 鈴は力なく座り込み、俯いている。表情は窺えないが、窺うまでもない。

「鈴」

 傍らに腰を下ろして声を掛けると、鈴は鈍く反応し、ゆっくりと顔を上げてこちらを見た。

 樹が眠っている間、ずっと泣いていたのだろう。赤い目と涙の跡が痛ましい。顔色は悪く、生気を失っている。まるで魂が抜けたように。

 そんな状態にもかかわらず、鈴は健気に樹を気遣った。

「樹君……。怪我はもう大丈夫?」

「大丈夫。治療して貰ったから」

「良かった」

 互いに無理をして笑っているが、今の樹と鈴では天地の差があるだろう。

 渚が樹と鈴の脇を素通りし、二人分の死体の方へと歩いて行く。しかし、鈴がそれを

「待って。渚君」

 こう言い、弱々しくも立ち上がった鈴にぎょっとした。振り返った渚も流石に眉を顰めている。続く鈴の言葉まで、場に微妙な沈黙が満ちた。

「その二人はあたしが助ける」

「……休んでいろと言った筈だが?」

「うん。でも……約束したから」

「誰とだ?」

「二人の友達と」

 この鈴と渚の遣り取りにより、樹は事情を概ね理解した。

 ここには先ほどまで生存者がいた。見当たらないということは無事に逃げたのだろうが、その際に先述の「約束」が交されていた可能性はある。

 とはいえ、こんな状態の鈴をおいそれと行かせる訳にもいかない。樹はすぐに口を開いた。

「鈴。気持ちは分かるけど、無理は――」

「お願い。あたしにやらせて」

 鈴の決意は樹の想像を遥かに超え、樹の二の句を断った。

 覚束ない足取りで、鈴は死亡者達の下へ向かって行った。渚もまた彼女に引く気がないのを承知したようで、嘆息しつつもその場を譲った。

 樹と渚が各々の面持ちで見守る中、鈴は小刻みに震える大鎌に橙色の光を灯した。


 * *


「おかえりー」

 境外へ戻った樹達を出迎えたのは、屈託のない笑みを浮かべた私服姿の空井燿そらいようだった。

 何故ここにいるかは不明だが、樹達を前にしてもなお、振る舞いが変わらないのはいつもながら恐れ入る。呑気な性分を遺憾なく発揮する燿を見ていると、自分が何を悩んでいたのかたまに分からなくなる。

「何をしに来た?」

 渚が早々に毒づくも、やはり燿には効かない。

「めちゃくちゃ暇だったから、おみくじ引きに来たんだよ。ここのおみくじ、かなり当たるらしいよ」

「答えるなら真面目に答えろ」

「末吉って微妙にテンション下がるよね」

「知らん」

 燿の飄々とした喋り。彼は本音と建前と冗談を同じ口調で言うので厄介だった。流石に今回のは冗談だろうが。

「マルス、仕事は?」

 既に剣呑になりつつある空気に待ったを掛けるため、樹はさりげなく無難な話題を持ち出した。

 燿が飄々と応じる。

「休み」

「……」

「信じてよ」

 肩を竦めた後、さっさと先頭を歩き始める燿。そんな無頓着な背中を三人で追う。

 燿と渚の後方を進みながら、樹は隣で一言もない鈴を見た。――何も言えなかった。

 燿がちらりとこちらを振り向く。視線は間もなく前方へ戻ってしまったが、彼が密かに発した呟きは樹の耳に届いていた。

「こんなことだろうと思った」

 呟きの際、燿の声が僅かに低くなったのは、きっと樹の気のせいではないだろう。



【To be continued】

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