第8話 守る覚悟、生きる覚悟[後編]

 樹の戦いを見る。そして、樹に危機が及べば助太刀する。それが鈴に課せられた役目だ。

 樹と死神の実力はほぼ互角に見えた。両者ともに負傷しているものの、いずれも軽傷だ。

 本当はすぐにでも駆け付けたいが、今の鈴の能力では無理だ。苦戦を強いられている訳でもない現状の樹に加勢するのは愚行でしかない。

 澄んだ藍色の光と、絶望に狂ったどす黒い光が、大鎌を介してぶつかり合う。

 しばらく接戦が続いた末に、僅かながら樹の方が優位に立った。このままつつがなく進めば、鈴の役目は樹の治療に留まるだろう。

 しかし、当然安堵にはまだ早い。勝利が確約されることなどないのだ。

 一時も目を離せない命懸けの戦いを注視する。やや離れた場所からそうしていた鈴は、ここにいる誰よりも先にを視認した。

 

 若い男性だ。恐らくまだ学生だろう。草むらに身を潜めていたらしい彼は、必死に息を殺し、死神が隙を作る瞬間を窺っていたようだ。

 男性は蒼白な顔で辺りを見回した後、この袋小路の出口――鈴が立っている場所を目指し、脇目も振らず走り出した。

 樹と死神が男性の存在に気付いた。しかし、顔色を変えた樹に対し、死神は男性に一瞥もくれなかった。その差が戦況を狂わせた。

 死神の鎌に宿る黒い光がより濃厚になり、樹に牙を剥いた。樹は咄嗟に防御するも、勢いまでは殺し切れず、後方へ吹き飛ばされ、大木に背中から衝突した。

「か、は……っ」

 息を詰まらせ、背中を大木に擦り合わせながら座り込んだ樹は、くたりと項垂れた。

 絶句する鈴の視界で、死神が樹に追い打ちを掛けるべく一気に距離を詰める。

「いつ――」

 反射的に叫びかけた鈴を、樹が左手で制した。まだ大丈夫だと。

 死神が樹の目前に立ち、再び猛攻を繰り出した。樹は立ち上がる暇もなく大鎌でそれを受け止め、耐える。大木の幹がギシギシと軋みを上げる。

「早くその人を!」

 苦悶の表情を浮かべたまま、樹は鈴にそう指示を出した。

 戦いにばかり気を取られていた鈴は、はっと息を呑んで、慌てて男性の姿を探した。直後の出来事だった。近距離で絶叫が上がった。

 鈴が今まさに探していた男性が、凍り付いた顔で鈴を凝視している。オーバーコートの効果が及ばない範囲まで接近したことで、鈴の存在を初めて認識したのだ。

「な……な、なんだあんたは!」

 明白な動揺と恐怖に目を見開き、男性はガタガタと震えながら喚く。

 このままではいけない。これ以上男性を刺激しないように、クールダウンして貰えるように、鈴は懸命に平静を装って語り掛けた。

「落ち着いて。あたしは敵じゃない。あの死神を倒すためにここへ来たの。あなたの味方だよ」

 こんな拙い説明で納得して貰える自信はない。でも、黙っているよりはきっとマシだ。

 警戒を解いたかは不明だが、男性はすっかり脱力して膝を突くと、肩を小刻みに揺らしながら嗚咽を漏らし始めた。

「なんで、オレだけ生き残っちまったんだ……!」

 誰に向けた訳でもない、自分の中で処理が追い付かない感情。表現出来ないたくさんの思い。

山里やまさと……吉田よしだ……」

 男性が泣きながら口にしたのは、袋小路内で死んでいる友人達の名前なのだろう。

「あたし達が助けるよ。あなたも、山里さんと吉田さんも」

 鈴は言う。情もあるが、それだけではない。強い決意と使命感をもって断言した。

「何言ってんだ……! 体ぐちゃぐちゃにされて生きてるわけねぇだろうが!」

 男性の語尾に轟音が重なった。

 悪い予感がして、樹の方を見る。大木が倒れている。その傍らに、地上に仰向けになった樹がいた。

「――死神は蘇生出来ないからな。ギリギリまでいたぶってやるか」

 言うが早いか、死神はかざした大鎌を樹の右腕目掛けて振り下ろした。

 樹の身が刹那的に痙攣を起こし、苦痛による高声を上げる。それでも、死神は手を緩めない。寸分違わず樹の腕に突き刺さった刃を矢継ぎ早に動かし、腕の中を掻き回し始めた。

 もう見ていられない。限界だった。

「早く逃げて」

 振動を伴った声を、カラカラになった喉から絞り出した。男性の脇を足早にすり抜けると、鈴は全力で走り出した。

 樹は瞼を落とし、倒れたまま動かない。意識の有無は不明だ。

 鈴の接近はすぐに気付かれた。死神は「良いところだったのに」とでも言わんばかりの面持ちだ。

 とはいえ、現状で鈴を放置する馬鹿はいない。死神は応戦のため、今し方まで樹の腕をもてあそんでいた大鎌を引き抜く――はずだった。

 大鎌の刃を掴む者がいた。

 樹は自由な左手で刃を鷲掴み、新たな痛みをものともせず、死神を食い止めている。その瞳は明確な敵意をもって死神を睨め上げている。

「お前、まだ……っ!」

「鈴!」

 瞬時に余裕を失った死神の台詞を遮り、樹は鈴の名を呼んだ。

 鈴は高く跳び、大鎌を振りかざした。迷いも怯えもない。彼女の中には、固めた覚悟だけがあった。

 血色を失くした死神から目をそらすことなく、鈴は守るため、生きるために大鎌を振り下ろした。

 血飛沫が舞う。


 * *


 死神の死は人間の死とは似て非なるものだ。

 死神の死はを意味する。血の一滴も残さず、魂ごと消える。転生の希望も、来世に向かう道筋も、何もかもが絶たれるのだ。

 鈴が浴びた返り血は、既に跡形もない。

 力なく座り込んだ鈴の頬を、一筋の涙が伝った。



【To be continued】

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