第255話 Licht~光(15)

神様・・



絵梨沙は祈るような気持ちで竜生を抱きしめた。



自分はピアニストの地位を捨てて



彼のもとに走り



こうして結婚して子供にも恵まれて



女としての幸せを手に入れた。




彼はその間



たくさんのことに苦しんで



悩んだ。




自分にできることは、倒れそうな真尋を必死で支えることだけだった。




タクトが振られ、演奏が始まった。



その時



竜生がぱっちりと目を開けた。



「竜生・・」



絵梨沙はその音を探すように首を動かすような仕草をする竜生に少し驚いた。



おなかにいるときから



この『皇帝』をたくさん聴いてきた。



よくおなかにいる赤ちゃんは外の音も聴いているっていうけど。



本当なんだ・・



絵梨沙は感動で胸がいっぱいになった。



この音を聴いて



あなたは大きくなったのね・・




そう思うとこの小さな温かい命が愛しくてたまらない。





真尋のピアノは



一気に会場中の空気をさらった。



ものすごい風が吹いてきて



身体ごともっていかれそうな雰囲気で。



それはオケのメンバーたちも同じ気持ちだった。



その音の迫力がリハのときとは全く違って、戸惑うほどだった。



コンマスだけはようやく真尋の力が発揮されたと胸が躍り、目を輝かせた。




たった1台のピアノの音に負けそうになるほどのその音の力。



真尋はいつもよりも少し猫背気味に鍵盤に自分のすべてをぶつけるように叩いた。



シェーンベルグは痛みに耐え、息を荒くしながらも



舞台の上の真尋をまぶしそうに穏やかに見つめた。




志藤は演奏が始まってからたぶん1ミリも身体を動かすことはなかった。



真尋のピアノが自分の想像以上のものだったからだ。



この短い期間で



よくもまあ、ここまで完璧に仕上げたと思った。



完璧なだけじゃなく、そうとう弾き込んできたこともうかがわせるような淀みない旋律。



真尋のピアノの魅力は



その『危うさ』と紙一重の『不安定さ』でもあった。



しかし



この演奏は世界の一流のピアニストにも引けを取らない。



もう



すごいとしか言いようがなかった。


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