知(しる)

 朝。豪奢なカーテンの隙間から暖かい日差しが射し込み、小鳥の囀りが聞こえる中、俺は目を覚ますと何時もの如く目覚ましがわりの携帯を探して、暫くもすればあぁと気づく。ここは地球ではなくて、俺はもう会社に行かなくていいんだ、と。


 来賓用の部屋も豪華だし特にベッドも豪華な装飾に加えやたらとふかふかなものだから落ち着かないのだが、その辺りはもう慣れた。何でもシトリンに何か用事が出来たとかで、今日の勉強は休みとなった。眠い目を擦りながら窓へと目をやれば、カーテンの隙間から零れる朝日が見える。まだ、もう少し休んでも罰は当たらないだろう。


 窓の外から微かに聞こえる鐘の音を聞きながら再び毛布へと潜り込んだ俺は、人肌で温まった暗い毛布の中に別のナニカの存在を感じ取った。ソレはとても柔らかく良い感触で、更に男の本能に訴えかける良い匂い……まさか、嫌な予感に胸焼けしそうになりながらも毛布をめくると、ソコには何時の間にか部屋に侵入したアメジストがまたもや気持ちよさそうに寝息を立てている。


 もう勘弁してくれ。こんなところを他の誰かに見られたらどうなるか分かったものではないのに……と、ベッドからあとずさり過ぎて床に転げ落ちたその瞬間、来賓室の扉がバンと乱雑に開け放たれた。


『お前ッ。ココで寝るなって何度注意させれば気が済むんだ!!』


 静かで爽やかな朝の空気を震わせる怒号と共にズカズカと部屋に入って来たのは赤い髪の女性。名前は……確かルチルだったか?


『ンー、おはよう。』


『気持ちよさそうだなァオイ。』


『駄目よ。私、今日はお休み……』


『にする訳にはいかねぇよなァ。起きろ働け!!』


 有無を言わさぬとは正にこの事。ルチルは毛布に包まりながら甘ったるい声で仕事をサボると宣言したアメジストの首根っこを引っ掴んで強引にベッドから引っ張り出すと、そのまま床を引き摺るように何処かへと連れ去っていった。


 コレが俺の1日の始まり。正直なところ、もういい加減にして欲しい。俺も色々と限界が近いんですけど……とは正直に言えない。言ったら最後、アメジストが何をするか分からないからだ。姉妹達に代わる代わる連れ去られながらも、それでも一向に諦めない根性は認めてあげたい……いや、認めない。


 とにかく休もう。極めて緩く、しかもドジしっぱなしの失敗しっぱなしとは言え何処かからずっと見られているというのは全く落ち着かない。だから疲れた心を休める為にもう一度ベッドに潜り込んだのだが、毛布をめくれば彼女の残り香が鼻をくすぐった。


 ウン、起きよう……今日も平穏に過ごせると良いな。


 ※※※


 ――次女の部屋


 殺風景。どことなくおどろおどろしい雰囲気さえ感じる研究室か保健室の様な部屋に俺は居る。事の発端は今から少し前、城の従者が使う水場で顔を洗っていた辺りに遡る。


『よう。チビから話聞いたんだけど、お前今日暇なんだって?』


 眠気を覚ます為に何時もより長めに顔を洗っていると、背後からそんな声が掛けられた。この声はさっきアメジストを引っ張っていったルチルだ。暇なのは間違いないけど、チビって誰の事だ?


「空いてますけど?」


『そうか。ちょいと聞きたい事があるんだが、時間は取れるか?』


 聞きたい事?そう言われて思いつくのは地球の話位だが、彼女もシトリンと同じで地球の何かに関心があるのだろうか。確かに今日は暇で時間を持て余しているのだが、一方で何をしようと思っても何も出来ないのが現状。言葉は通じるが文字はサッパリ読めず、本を読んだところで何が書いてあるか全く理解できない。さりとて外に出ても一般的な常識にまだ疎い部分があるので何か問題を起こす可能性だってあるし、仮に致命的な問題を起こしてしまば都市から放り出される事もあり得る。


 今現在の俺は異世界から来たお客さん。特別な何かを持っている訳ではないので割と肩身が狭い思いをしている上に現地の言葉も常識も知らないので、精々できる事と言えば情報提供くらいのもの。ソレを断っては余計に肩身が狭くなるとなれば返事は"ハイ"以外に無いわけで、顔をタオルで拭きながらそう答えるとルチルは落ち着き払った口調でこう言った。


『じゃあアタシの家に来てくれ。使いを後で出す。』


 彼女はそう言うや颯爽と水場を後にしたようで、視界を塞ぐタオルをどかした頃にはその姿は何処にもなかった。


 ※※※ 


 そんなこんなでルチルの家に案内された訳だが、外観と客室までの内装は近世辺りの豪華な屋敷といった感じで、外壁と内壁に始まり床一面までが石造りの屋敷の中に入れば巨大なホールがあり、ソコから左右に幾つもの部屋と正面には二階へと通じる階段があった。


 ホールで出迎えてくれたルチルは軽く挨拶をすると、じゃあ付いてこいと言わんばかりにホール右側の通路から地下へ通じる階段を下って行った。で、辿り着いたのが彼女が私的な研究に使っている部屋。石造りの構造は変わらないが、床は仄かに輝く一方、壁と天井には無数の意味不明な紋様が描かれている。正直、少しだけおどろおどろしい感じだ。


 中へ通されると、ソコには瓶に詰められた正体不明の生物やら何やらがびっしりと並んでおり、更にソレ等にはこれまた奇妙な紋様が描かれた紙切れが貼られている。そして、どうやらそれはかなり冷たいようで、部屋全体を結構冷やしている。長袖を通している俺が少し身震いする位には寒い。

 

 そんな研究室っぽい部屋の奥からルチルが姿を見せた。が、その手には人間の右腕の入った瓶を持っている。彼女は部屋の中央付近にある机にソレを置くと、傍にあった椅子に腰かけ、また俺にも座るよう促した。


『コレ、なんだか分かるか?』


 椅子に腰を下ろしたのを確認したルチルは瓶を俺に見せながら、同時にそんな質問を投げかけた。何と言われても腕としか表現しようがない。ちょっとグロいが、でもそれ以外に何の変哲もないただの腕だ。"これは?"何の意味があるのか分からずそう尋ねると、彼女はまっすく俺を見つめ、そして指さした。


『お前の腕だよ、ナギ君。』


 彼女はそう言った。俺の腕だと。しかし、俺の腕はちゃんとこうして存在する。ドコにも違和感は無い。だが目の前の女性はそうは思っていない様で、生まれてから今日この日まで俺の身体にくっついている腕と瓶詰の腕を交互に見ながら更に質問を重ねた。


『お前、一体何者だ?』


 そう質問した彼女の目は他の姉妹とは違い、明らかに俺への不信感に満ちている。


『今のところ正体に気づいていないのは色ボケしたアメジスト位だが、チビもローズもアタシもお前の中に奇妙な何かを感じている。お前は何かがおかしい。妹達の頼みを無下に出来なかったから仕方なくお前を助けようとしたんだが、あの光景は信じ難かった。映像に残っているから見てみるか?』


「映像?」


『地球で言うテレビ?とかビデオ?とかいう代物ほど万能ではないけど、映像を残す魔導技術なら復元に成功しているよ。ツー訳で先ずは見てからだ。』


 ルチルはそう言うと机に置かれた水晶に手をかざした。直後、水晶がボウッと光り、その中心に何か動く物が見えた。映像……確かにそう呼べる何かは、やがて水晶を通し部屋の壁の一面に広がった。


 ※※※


 水晶が映し出した映像は俺がこの場所に飛ばされたあの日で間違いなさそうだった。映像の中央には身体の右腕部分が吹き飛んだ俺が映っている。夥しい血が地面をどす黒く染め、血が抜け過ぎたのか顔も身体も生気を全く感じない青白い色に変わっている。改めて自分の惨状を確認すれば、こりゃあ死ぬなとしか思えない程度に悲惨な有様だ。こんな状況からよく助かったな、俺。


『傷口の確認するぞ。とりあえず服ひん剝け。』


『承知しました。が、あの……ほんとに助けるんですか?』


『総裁の命令に背くのかお前?』


『い、いえ。そのような事は。』


『じゃあ服剥け。それから消毒用の薬草。白魔導師、さっさと結界展開しろ。』


 映像に映るルチルはこういった事態を専門にしているようで、恐らく的確であろう指示を仲間達に飛ばす。程なく、その1人がナイフで俺の服を切り裂き、全身を露にした。なんか、自分で自分の裸を見るのすごく恥ずかしいんですが……しかもこの有様だと結構な数に見られている様な気がします。


『『『『うわ、凄っご……』』』』


『あ、あの……ダメよそんな……でも将来の参考に……』


『あの、総裁?』


 映像に映るアメジストは赤面した顔を手で覆いつつも隙間からチラチラと覗きながらそんな事を呟いていて、それ以外もナニかよく分からない事を色々と言っている。済みません羞恥プレイはこれ以上勘弁してください。というか見せたいのってこれじゃないよね?と、映像からルチルへと視線を移せば、彼女はアメジストと部下の醜態に呆れていた。


『総裁。此方は私に任せて、討伐の続きにお戻りください。』


 映像のルチルは半ばキレ気味にアメジストと俺を引き離すと、直ぐに治療を再開し始めた。が……


『オイ。何だコレ!?』


『え?何が起きてるの。キモイ……』


 直後、俺の身体に異変が起きた。吹き飛ばされ内臓が晒された傷口部分が奇妙な位にグネグネと蠢くと、次第に肥大化し、伸び始めた。映像に映る誰もが悍ましい何かを見つめる中、俺の傷口から溢れ出た何かは不規則にうねりながらやがて吹き飛んだ手を再生し始めた。


 最初はまるで子供が粘土で作った様な歪で不規則で、"手の様に見える何か"だったが、しかし時間が経つにつれはっきりとした輪郭を取り始めた。同時に不規則に蠢く何かの奥に血管と骨が見え始め、それを皮膚が覆い始め、時間にして1分ほどで俺の吹き飛んだ身体は完全に復元した。しかも抜けきった血も元に戻したようで、ついさっきまで青白かった顔は僅かに紅潮していた。


 ※※※


『見たとおりだ。アタシが見ている目の前でお前の身体が勝手に再生を始めた。その時点では何も疑問に思わなかった。そういう生き物か魔導でもかけられているのだろうって。』


 短い映像が終わるとルチルは俺の見つめながら推測を述べ……


『だが、お前の記憶を読み出してみればそんな形跡はどこにもない。科学という名前の魔導は、少なくとも治療分野においてはアタシ達よりも数段遅れているようで身体の再生も碌にできないと分かった。なら、何でお前の身体は再生したんだ?いや、アレは再生なんて生易しいモンじゃない。お前のその身体は一体何時そうなったんだ?』


 続けざまにそう畳み掛けた。が、そう言われても俺にも心当たりが全くない。そもそも俺の身体が異常だと説明されても、頭の中では未だに誰かが回復?してくれたのではないかと考えている始末だ。アレは地球の常識でも有り得ない。


『やっぱり失った記憶の中に答えがあるのか。だとするなら一番問題とすべきは"お前が信用できるかどうか"だな。』


 そう結論したルチルは冷たい視線を俺に向ける。


『んだけどもねぇ。アメジストはともかく、チビとローズも揃ってお前を信用するって言ってんだよねぇ。だから、今のところはアタシも信用しとくよ。』


 と、思いきやだ。てっきり殺されるのかと思って身構えていたが、そう結論を吐き出した彼女はぶっきらぼうに瓶詰の腕を俺に寄越した。


『はいコレ。アンタのだから一応渡しとくよ。』


 まぁ、確かに俺の物であはあるんですが。でも自分でも理解できない原理で俺の腕は生えてきた訳で、なので3本も腕は要らないわけで。どうしよう?


『要らないならアタシが貰って良いか?現状でお前の記憶が戻らない以上、手掛かりとなるのはお前の身体と吹っ飛んだ右腕コイツだけだ。お前が活け造りよろしく生きたまま身体を切り刻ませてくれるなら話は別だけどな。』


 遠慮しときます。


『だよね。まぁその確認がしたかった訳さ。じゃあコイツはアタシが預かるんで、はいコレ。必要書類、サインして。他人の物を研究やらに使うのって色々と許可やらが必要で面倒なのさ。』


 成程……つまり聞きたかったというのはこの件なのか。意外という訳ではないが、律儀で生真面目な性格をしているようだ。しかも俺の身体の件を殆どの人が知らなかったところを見れば、口外しないよう手をまわしたのも多分この人だろう。シトリンと同じく、彼女も信頼に値する女性のようだ。そう考えれば、恐らくローズも信頼に値する人物なのだろうと予想できる。が、なんでこの人達とアメジストが姉妹なんだろうか。何がナニしてどうなったら生真面目姉妹と同じ血筋からゆるふわストーカーなんて面白生物が爆誕するのか。


『別に貸しにするつもりは無いけど、でも慈善事業じゃあないよ。この再生能力、もしかしたらアタシの力になるかも知れないし。』


「力、ですか?」


『アタシの夢さ。何時か大陸中を冒険したいんだよね。映像だけなら風景を記憶した水晶で十分だけどさ、でもやっぱり……』


「自分の目で見たい、ですか?」

 

 熱っぽく夢を語るルチルがこの後に続ける言葉は予測しやすかった。いや、俺もそうなのだけど。携帯やテレビが見せる風景では物足りなくて、だから仕事の合間合間にソロキャンプやら一人旅に出かけたりしている。


『お前もか!!だよな、だよね。やっぱりさぁ、こう映像だけじゃあ物足りないよねぇ。だけどアイオライトから聞いてるだろうけど、ちょいと前まで色々とあってね。だから特にエルフの女は単独で島外に出られないんだよ。例えどれだけ強くても、ね。アタシ達が下手にルールを破っちまうと、後に続くヤツが必ず出るからって理由でね。』


 どうやら彼女は俺とよく似た趣味や嗜好の持ち主らしく、俺の答えに今まで見た事ない位に食いついてきた。普段は比較的冷静に見えるけど、どうやらコレが彼女の素の性格らしい。


「大変なんすね。」


『仕方ないさ。誘拐は勿論する方が悪いが、だからって女一人で旅に出ていいモンじゃない。理論や理屈や正論に何の力も無いから、隙だらけで旅していい理由にもならないし自分の身を守ってくれやしないし、免罪符にもなりゃしない。』


「何時か、行けるようになるといいですね。」


『行けるぞ。あくまで"単独"であって、パーティ組めば問題ない。ツー訳だ。お前、鍛えろ。』


 何となく彼女の人となりを知ることが出来て良かった、と思ったのも束の間。困ったぞ。なんでいきなりその結論に飛躍したんだ……


『記憶読んでお前の事はちょっとだけ知ってる。1人で旅しているとかもな。地球アッチもコッチも物理的な法則に大きな違いは無い。摩擦熱を使えば火をおこせるし、炭を使えば汚れた水も浄水出来る。お前は無駄と思っているだろうが、その知識はアタシに必要だ。だから鍛えろ……つーか、授業の一部を変える。先ず走って体力つけろ。』


 おかしい。話がドンドンずれていく。何時の間にか俺は彼女の島外探索のパーティメンバーに選ばれていて、更にその為の訓練まで決まっていた。どう何だコレ?ついていった方が良いのか?確かに読み書きや一般常識も重要だが……


『そうと決まれば……オイ聞こえるかチビ?』


 だが困惑する俺を他所にルチルの行動は早い。胸元から小さな瓶を取り出すと、ソコから人工妖精が飛び出した。誰かに連絡するつもりらしい。


『ルチル?どうした、何か用か?』


 聞こえてきたのはシトリンの声。どうやらルチルが言う"チビ"とは彼女の事らしいが、でも彼女は俺よりも背が高いんですが……


『ナギの授業の半分をアタシが受け持つことにした。』


『はぁ?ちょい待ち、何がどうしてそうなったんだオイ!?』


 当然、俺の授業をメインで担当するシトリンは反発する。まぁ当然ですよね。となれば、ルチルもまた当然の如くシトリンに反発する訳で、つまり両者の意見が平行線をたどる限り議論は平行線を辿る訳で……


『身体鍛えるんだよ。』


『誰が目的を聞いたんだ!!理由を言えって……もしかして、今そこにナギ君いるのか!?』


『いるかも知れねぇし、いないかも知れないな。とにかく、半分はアタシが受け持つから。』


『オイ待てやこの脳筋!!』


『誰が脳筋だゴルァ!!』


『ちょいちょい力押しで解決しようとするところあるだろうが、こンの脳筋!!』


『ンだとこのクソガキッ!!』


 予想通り、遂には喧嘩が始まった。人工妖精越しに互いを罵り合う姉妹はとても仲が良い様に思えるが……でも、人工妖精エアリーさん半泣きです。ちょっと可哀そうだと思います。そして俺は何時帰れるのだろうか。途方に暮れる俺は何時終わるとも知れない口喧嘩をただ黙って聞くしか選択肢は無く、泣きそうな人工妖精エアリーも同じくただ姉妹の口喧嘩を黙々と転送するしか選択肢が無かった。


 南無三。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る