第87話 先制
いつも通り、当日の朝、行程が伝達され、それを受けて出発してきた。そこまで念を入れるの納得はできるが今までに敵の襲撃はない。補給部隊の隊長は、部隊の先頭にあって大きなため息をつく。馬に乗っているのは彼だけ、あとは全て歩兵だ。前後に半数ずつ分かれている。補給任務が重要なのはもちろん理解しているが、自分は不遇だという思いもまた強い。
今、向かっているのはレストロア、中立国群からナザレットが引き剥がし、要塞化している。そこから軍がリリーシュタットへと侵攻中だ。まさに華々しい戦が展開されているのだ。補給隊長の宿痾は戦闘には影響は少ない。どうしても前線で戦いたい、その思いが拭えない。
陽光は温かく、風は心地よい。あくびの一つもでようというものだ。
しかし、だからといって、現在の任務を粗末にしている訳ではなかった。
「ん?」
補給隊長は手をかざして彼方を見た。街道に人影がある。どうやら馬に乗っているようだ。体つきからして男ではないようだ。かなり小さい。
「巡礼者か?」
首を傾げる。ここは街道の本道ではない。皇都バレルへはもっと北の道の方が早い。であれば付近の住民かだろうか。
こんな片田舎で過ごすなど酔狂にもほどがある。一番近くの街でさえ三日ほどはかかるのだ。庵でも結んで隠者のような暮らしをしているのだろう、買い出しにでも出てきているのだろう。ただ見たところ、それほどの歳でもないように思える。印象がちぐはぐだ。
見ると馬から降りている。こちらの隊列を見て道を譲ってくれるらしい。
「殊勝だな」
ナザレット教皇国軍の軍紀は厳しい。一般人へ害を及ぼすと相応の罰を受けなければならない。それは占領した街にも適応される。指揮官はもちろん、兵士ひとりひとりにも高い徳が求められるのだ。
奇妙行動だった。人影が手綱を持つ手を放したのだ。
両手を高く掲げている。敵だと認識するのに時間をとられた。致命的だった。防御聖霊術の展開が間に合わない。
ランサは小さな声を上げた。
「イザロの炎・プレセション」
幾何学的文様で刻まれた聖霊陣から強い光が放たれ、相対して周囲は淡く薄い闇に包まれる。威圧が放射され、その亜麻色の髪を逆立てる。つぶっている目が静かにゆっくりと開かれる。見開かれた瞳に籠められているのは意志の力、致死の呪文。鳶色の瞳が光を放つ。放射された圧力が空気を凝縮させていく。臨界に達した空気が景色を歪ませる。大気が高温を身にまとう。命を刈り取る数百の炎の玉が、広げた手の上に展開される。補給部隊の前衛に、もう逃げる術はなく、絶命という一本道を進んでいくだけだ。未来という選択肢はすでに閉ざされ、始まった時にはすでに終焉している。
ランサが放ったのは高熱の誘導火球弾。それもきっちりと人数分だ。炎は正確に鎧の左胸をえぐり、心臓を焼きそこで止まる。心臓を穿った炎が全身を焼く。すでに骨まで灰にしはじめている。
馬は逃げずにその場にとどまってくれていた。
「いい子ね」
ランサは枇杷の実のような産毛の生えた馬の耳を指で挟んだ。
「ロボもハッシキもいいかしら」
長い隊列の前方が淡く輝いている。ランサの攻撃だ。彼女は一人で前衛に攻撃を掛けた。ユリシスは右腕を撫でる。
「私、一人でやらせてほしいの。もちろんまずいと思ったら手助けをしてほしい。お願い」
ユリシスは街道を回り込み、真後ろでロボから降りる。
「分かった。いつでも援護できるように準備している。行ってくるといい」
ロボの不安のない声に、ユリシスは成功を確信する。大丈夫だ一人でも出来る。いや、しなければならない。迷いない足取りで隊列の後ろへと急いで近付いていく。
左手の中指に力を籠め、文様を描き出す。一筆ごとに光が満ち溢れる。その光に気が付いた兵が数人いたが、ユリシスは気にもとめない。
「グラベーリン! トルドゥン・トルドニィス!」
晴天に雷鳴が轟く、空気を切り裂く音がする。まばゆい光が落ちるごとに確実に幾つかの命が散っていく。腕を前に突き出したその直後から青い瞳に映るここは戦場、鋭利な電光は鎧を切り裂き、肉を焼く。饐えた臭いが鼻をつく。まとった風が一瞬にしてその臭いを消し去るも、大地はくすぶったまま。光が影を縫い付けている。
正義の鉄槌でもなければ、無邪気な虐殺でもない。ましてや悪逆な非道を行っているのではない。ただ厳然と戦場に穿たれた深く長い溝。あちらには死者の列、こちらには生者の群れ。自分が立っているのがこちら側だという事実が散漫に場を威圧する。ユリシスはくるりと回転すると、指を組み合わせてひざまずく。涙を見せている時間など存在しない。
「御身らの道行きに神のご加護を」
【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】
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