第80話 敵愾

 大司教次席の地位にあり、教会の司祭も兼任しているオーサ・ジクトは、もちろん全知の神ではない。その表情は乏しいものの感情の起伏も当然ある。今、彼の心を支配しているのは敵愾心だ。相手は聖サクレル市国にいる聖女ユリシス・リリーシュタット。

 聖地が奪回されたのは、まあ構わない。作戦のうちだからだ。

 しかし、右腕を強奪したものの、暗殺の手をかいくぐり、生き延びた。その上で、腕を奪還するためこの皇都バレルに侵入した。協力者の影が見えるものの、地力で右腕までたどり着き、ザレクトを殺して腕を奪還、そして逃げおおせた。

 見くびっていなかったか、と問われれば、過小評価していた自分を責めているようで気分が悪くなる。

 聖女の動きは今のところ大局に影響を与えていないと思いたい。

 しかし、与えかねないとはいえない存在感を示しつつある。


「可能な限り情報を集めるように。先の騒ぎの調査も怠るな。微細報告せよ」


 オーサの侍臣は直立でその言葉を聞くと、一礼して部屋を出ていく。オーサが抱えている案件は多い。なにしろ政務の一切を握っているのは彼なのだ。ナザレットになくてはならない存在であるのは間違いがない。書類から目を離すと、目頭を軽く押さえる。今、最も注力している案件に集中しなければならない。聖女ユリシスの件で時間を割きたくはない。


 今、オーサが集中しなければならないのは、リリーシュタット攻略、そして西側諸国への侵攻。レストロアの奪取はそのための一歩にしかすぎない。布石は他にも打ってある。単純にレストロアから皇都バレル方面への進軍は考えていない。

 中立国家群を統制下におくのであればレストロアなど必要はない。皇都から直接軍隊を派遣すればすむだけの話しだ。場合によっては軍隊すら派遣する必要がないかもしれない。それまでの温和な相貌を脱ぎ捨て、外交的に恫喝すればすぐに傘下に入ってくる国も多いに違いない。

 いずれにせよ大陸の大部分をナザレットが押さえてしまえば、中立などあり得ないと悟る。その程度のものだ。


 ナザレット教皇国は強国である。そのナザレットにとってもリリーシュタット王国は強敵だ。救済派の東の壁として、長年にわたって相対してきた。時に小競り合いもあったが、ここのところは比較的平穏な関係を続けてきた。もちろん平穏なのは上辺だけだ。その裏側では熾烈な情報戦が行われていたのだ。


 今回の作製はかなり大掛かりなものだった。いや大仕掛と言ったほうが分かりやすいだろう。何ヶ月もの時間を掛け、大規模移転聖霊術を行使した。しかも、それを陽動に使った。


「ここからはより慎重に動かなければならないな」


 オーサは一人つぶやく。作戦の全容は頭の中ですでに描かれている。当然だが、今後の動静にも自信がある。


 懸念があるとすれば、オーサの軍歴だ。彼は戦場を踏んでいない。戦争は机上で起こっているわけではない。実際に戦場でその空気を吸い、戦闘とはどういったものなのかを肌身で感じなければ分からない、と耳にはしている。

 しかし、政庁に入り、その後教会に戻ったあと、また呼び戻されたオーサには戦場を踏む機会はなかった。政務でそれどころではなかったし、政庁内での争いもまた激しかったからだ。


 この時点で、オーサは戦場を見くびっていたとは言えないだろう。作戦は順調なのだ。


 オーサは再び書類に目を移す。並んでいるのはリリーシュタットの貴族名簿だ。頭首の姓名と治める領地、周辺貴族との関係、そして王家への忠誠心など調べ得る限りが記載されている。


 ナザレットでもそうだが、国家は一枚岩ではあり得ない。派閥もあれば私怨もある。自身の地位や名誉で一喜一憂する。特に貴族同士の争いほど醜悪なものはない。国情が安定していればいるほど、それは露骨に現れる。


「軽く揺さぶりさえすれば、リリーシュタットとはいえこの程度で割れる」


 幸いにもナザレットには貴族はいない。政務を司る司教はもちろん、司祭にも妻帯は許されてはいない。その地位を去り、後継を育てるという名目で権力を譲り渡す慣習がありはするが、貴族化するわけではない。であればこそ、オーサは今の地位につけている。元は身寄りなどない孤児なのだから。その点で限って言えば、この国で生まれて幸いだった。リリーシュタットなどで生まれていれば、良くて盗賊だ。拾ってくれた教会司祭にも感謝するしかない。


「それにしてもザレクトの死は痛い。諜報機関のやりくりがかなり面倒だ」


 それほど人格者とは思えなかったが死なれてみて初めて分かった。ザレクトはかなりのカリスマ性をもって、機関を動かしていたのだ。ただでさえ諜報機関の扱いは難しい。機関に対する忠誠よりも、私淑に近い形で、仕事に携わっている者が多かったのだ。

 後任人事に不安はあるものの、人は無限ではない。限り有る人材の中から、より適任と思える者を使っていくしかない。


「あの小娘が、やつを殺した」


 その刃が自分に向けられたような気がして、オーサは少し身震いをした。年若く非力だと思っていたが、聖女ユリシス・リリーシュタットは二度、戦場を踏み、戦闘を経験している。その差は意外と大きいのではないか、そう思いながら、オーサは祈りの間に向かうために席を立った。


【拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。聖女系の小説嫌いじゃない、先がちょっとだけでも気になっちゃったという方、ゆっくりペースでも気にならないという読者の皆様、★評価とフォローを頂戴できればありがたいです。感想もお待ちしています。作品の参考にさせていただきます】

https://kakuyomu.jp/works/16817139557963428581#reviews

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