第84話 (5)先輩として
その後、三回戦、準々決勝とおれは一本も取られることなく、準決勝へと進んでいた。
「ねえ、花岡。準決勝の相手、誰だか聞いた」
他には誰もいない二階席でおれが寝ころんでいると、階段を上がって来た高瀬が大会パンフレットを開きながら言った。
「知らない」
「少しは、対戦相手に興味を持てよな」
高瀬はそういってパンフレットをおれに差し出す。
ちょうど、男子のトーナメントが書かれたページには、おれの名前のところに赤丸がしてあり、準決勝までやぐら表が同じく赤ペンでなぞられていた。
もう一方のやぐら表を辿っていくと、そこには
「桃井って、あの桃井か?」
「そうだよ。あの子、準決勝まで上がって来たんだ」
桃井は、今年S高校剣道部に入って来た一年生だった。
本来であれば、一年生は新人戦がデビュー戦となるのだが、今年は地区大会からの参加が認められたため、一年生は希望者だけが地区大会に参加していた。
「確か中学時代は、地区チャンピオンだったって言ってたな、桃井」
「そんな呑気なこと言っていて、大丈夫なのか。次の対戦相手なんだぞ」
「おれが負けるとでも、思っているのか、高瀬は」
「いや、そうじゃないけれどさ」
「大丈夫だ。おれは絶対に負けないから」
「ならいいんだけれど」
「大丈夫だって。おれはインターハイで神崎を倒すまでは、負けないって決めたんだ」
そう。これが最後のチャンスなのだ。
高校三年間のすべてを捧げた剣道で、おれは一度も神崎には勝てていない。
神崎と対戦できるのは、インターハイが最後だ。インターハイが終われば、おれも神崎も部活は引退となる。
そうなれば、おれは神崎を倒すことが出来ないまま高校生活を終わらせることになってしまう。
それだけは絶対に避けなければならないことだった。
そのためには、まずインターハイへ行かなければならない。
だから、おれは地区予選で負けるわけにはいかないのだ。
「さあ、試合の支度でも、しに行くか」
おれはそう言って、二階席から選手控室に向かって歩き出した。
準決勝。
S高校陣営はふたつに分かれていた。
おれを応援する三年生を中心としたメンバーと、桃井を応援する一年生を中心としたメンバー。
間に挟まれた二年生は、おれ側についてくれた部員が多かったが、女子部員の多くが桃井側に行ったことには、納得がいかなかった。
「桃井くん、がんばって」
会場でも桃井への黄色い声援が飛んでいる。
「絶対に負けるんじゃないぞ、花岡」
おれの周りについた男子部員たちが、桃井への黄色い声援に対抗するかのように、野太い声をあげる。
正直なところ、桃井については未知数だった。部活中もあまり絡んだことが無かった。
桃井は準々決勝で、前田を破っている。
ほとんど練習に顔を出していなかったといえども、前田は去年の県大会準優勝者なのだ。
その前田にストレート勝ちをして勝ち上がってきている桃井の実力は相当なものなのだろう。
だからといって、特段何か構える必要はない。
気を抜かずに、いつも通りに動くだけだ。
試合会場の中央。ここに来てしまえば、おれと桃井だけの世界だ。
静寂が訪れ、おれの視界には竹刀を持った桃井だけがいる。
「はじめっ」
主審の声が聞こえた。
それと同時に、桃井が猛然と仕掛けてきた。速い。それが最初の印象だった。力強さはあまり感じないが、その動きは早く、そして正確に狙ってきていた。
小手打ち、横面打ち、片手面打ちなど次々と仕掛けてくるため、いつの間にかこちらは防戦一方となってしまう。
おれは桃井の竹刀を受け流しながら、どこかで反撃が出来ないかと狙っていた。
桃井は攻撃に集中しすぎていた。おそらく、いままでも素早い動きで相手を翻弄して、一本を取って来たのだろう。
桃井の小手打ちを竹刀で受け流しながら、今までよりも一歩深く踏み込んだ。
その動きに桃井は気づいていない。だから、先ほどと同じように、面打ちを狙って来た。
左の小手が空いていた。そこへ竹刀を打ち下ろす。
確かな感触が手に伝わって来た。
「小手あり、一本」
そこからは、桃井の動きが急に緩慢になった。
おそらく、スタミナ切れだろう。
普段の練習と比べ、試合では緊張していることもあって、いつも以上に力んでしまうことがある。
そのため、知らず知らずのうちに疲労が溜まっていくのだ。
おそらく、この準決勝まで桃井は同じ戦法で勝ち続けてきたのだろう。
一気にスピードで攻め込むため、この戦い方は疲れるはずだ。
二本目は、こちらから攻めて簡単に小手打ちを決めて取った。
試合が終了した後の桃井は、酸欠のためか真っ白い顔をしていた。
「お疲れ様。強かったよ、桃井」
「あ、花岡部長」
タオルを頭からかぶり、ぐったりとしていた桃井が顔を上げて答える。
「あ、いいよ。座ったままで」
桃井が立ち上がろうとしたので、おれはそれを制して、桃井の隣に腰を下ろした。
「スタミナ切れか?」
「そうみたいですね。情けないです」
「そんなことはないよ。高校に入ってはじめての試合で準決勝まで行ったんだ」
おれはそう言うと、先ほど自動販売機で買って来たスポーツドリンクを桃井に手渡した。
「どうして、俺は部長に勝てなかったんでしょうか」
「経験の差かな。あとは練習あるのみだ」
おれは笑いながらそう言うと、桃井の肩をぽんと叩いて立ち上がった。
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