第63話 (18)夏の県大会4

 県大会決勝戦。

 おれは複雑な思いでトーナメント表を見つめていた。


 決勝戦の相手、それは同じS高校剣道部の前田だった。

 地区大会などで同じS高校剣道部員と当たったことは何度かあったが、県大会の、しかも決勝で同校対決が実現するなんて思いもよらぬ事だった。


 顧問である小野先生などは、どっちを応援していいかわからないななどといいながら、どっちが優勝してもS高校の県大会優勝は間違いないため、口角が持ち上がったままの状態になっていた。


「夏休み、前田もがんばっていたもんなあ。でも、勝てるでしょ、花岡なら」

「簡単にいうなよ、高瀬。確かに試合稽古では前田に何度も勝っているけれど、今回ばかりは試合稽古じゃないんだ。何が起きてもおかしくはないよ」

「珍しく弱気なんじゃないの、花岡」

 おれはその言葉には何も答えなかった。


 大学へ出稽古に行ったとき、おれは試合稽古で前田に負けている。あの時は、平賀さんがおれの癖を前田に教えて、おれの攻略法というやつを使って前田はおれに勝利した。


 おれはその癖を直した。だけれども、一度前田に負けているという事実はある。

 なんだかとても嫌な予感がしてならなかった。


 決勝戦がはじまるというアナウンスが場内に流れた。

 おれと前田は並ぶようにして試合場へと向かう。二人とも、口は利かなかった。


「それでは、S県大会決勝戦を行います」

 主審の声に緊張感が高まる。


 蹲踞を取り、前田と目が合う。表情はなにも読み取れない。

 目の前に立っているのは、夏休みの間なんども一緒に稽古をしてきた見慣れた相手だ。そう、自分にいい聞かせる。


 立ち上がり、おれが正眼に構えを取ると、前田は下段に構えを取った。

 おれの記憶が確かならば、前田が下段構えを見せたことは一度もなかったはずだ。


 何を企んでいる、前田。


 前田は下段に構えたまま、ゆっくりと前に進んできた。

 誘いかもしれない。そう思ったが、おれはその前田の前進にあわせて面打ちで飛び込んだ。


 一撃目の面打ちは、前田が後ろに下がったことで避けられてしまった。しかし、それも計算の内だ。


 おれは下がる前田を追いかけながら竹刀を振り上げ、さらに面打ちを狙う。

 その刹那、おれの背中が粟立った。


 前田の竹刀が下段から動いていた。ちょうど、おれの肘を下から斬り上げるように竹刀が迫ってくる。


 こいつ、これを狙っていたのか。


 おれは慌てて竹刀を自分の体に引き寄せる。

 前田の竹刀は空を斬っていた。


 手首の動きは完璧だった。いつの間に盗んだのかは知らないが、その動きは紛れもなく岡田さんからおれが伝授された巻き上げ打ちだった。


 考えてみれば、前田が巻き上げ打ちのやり方を学ぶチャンスはいくらでもあったはずだ。おれの巻き上げ打ちの練習に付き合って何度も巻き上げ打ちを喰らっているうちに技を取得したというのもありえなくはない。


 だが、この技は知っている人間に対しては使うだけ無駄である。

 技を知っているということは、避け方も知っているということなのだ。


 岡田さんは大会などの試合で使うなら一回限りだとおれに口を酸っぱくしていっていた。

 前田はそこまで教わらなかったのだろう。所詮は付け焼刃だ。


 おれは無防備になった前田の面へ向けて竹刀を振り下ろした。

 その位置からは前田の顔は見えるわけもないのだが、一瞬、前田が笑ったように思えた。


 罠。

 そう気づいた時はすでに遅かった。


 前田の竹刀がおれの胴を打ち抜いていた。

「胴あり、一本」

 前田に一本を先取されるなど、考えてもいないことだった。

 それだけにショックは大きく、おれの足は自分の意思とは関係なく震えていた。


 まだ負けたわけじゃない。落ち着け、落ち着くんだ。

 おれは自分にいい聞かせながら、中段に構えた。


 今度は前田も中段に構えていた。

 おれはじりじりと前田にプレッシャーをかけながら、前に進み出た。


 前田はそのプレッシャーから逃げるようにバックステップを踏む。

 下がる前田は隙だらけだった。踏み込んで打てば、確実に一本が取れるはずだ。

 だが、逆にそれが罠なのではないかと警戒心を抱いてしまう。


 誘っているのか、前田。それとも、ただ単に隙だらけなだけなのか。

 おれは前田のことを追いながら、目で問いかける。

 前田の目は、おれの足元を見てるばかりで、答えは返ってこない。


 足元?


 おれは妙なことに気づいた。前田は先ほどから、おれの足元ばかりを見ている。


 癖。


 大学へ出稽古に行っていたとき、おれの踏み込みの際に足に癖があることが判明した。

 だが、その癖は直したはずだ。

 まさか、まだ別の癖があるというのではないだろうか。


 急におれは不安に駆られた。

 全身から嫌な汗が吹き出してくる。

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