第60話 (15)夏の県大会1
土曜日の早朝。
おれたちは県民の森体育館と呼ばれる、県の大型体育施設にいた。
県民の森体育館の入り口には『第四十三回高校生剣道大会』と銘打った看板が出ている。
そう、きょうは県大会の日なのだ。
体調は万全だった。
昨日も大学の剣道部に出稽古をさせてもらったが、平賀さんからも一本を取れるようになり、おれは完全に自分の悪い癖を克服していた。
我がS高校男子剣道部からの県大会出場者は、おれと前田、そして三年生の桑島先輩と鈴木先輩というメンバーだった。
「ああ、なんだか緊張してきちゃった」
桑島先輩が相変わらずのオネエ言葉でいいながら、内股でもじもじする。
きょうの桑島先輩はきれいに刈り込んだ坊主頭で眉毛もきっちりと整えられている。これは気合の入っている証拠でもあった。
「おい、花岡。俺はインターハイで優勝して、高瀬と付き合うからな」
鈴木先輩が鼻息荒く、おれにいう。
おれはそのことを完全に忘れてしまっていていた。
そういえば、そんなことを鈴木先輩に吹き込んだんだったっけ。いまさら、あれは嘘でしたともいえないし、どうするべきだろうか。
「おーい、花岡」
S高校の応援席から高瀬がこっちに向かって手を振っているのが目に入る。
本当にタイミングが悪いことだ。
鈴木先輩の顔色をうかがったが、鈴木先輩は高瀬がこちらに向かって手を振っていることに気づいていないようだったので、おれは鈴木先輩にばれないように遠慮がちに高瀬へ手を振り返した。
県大会執行委員からトーナメント表が参加選手たちに配られた。
ざっと目を通して自分の名前を探す。
あった。
おれは一回戦はシードだった。去年の優勝者ということもあって、そこら辺は優遇されているようだ。
トーナメント表を辿っていくと、S高校の面子とは準決勝で鈴木先輩、決勝で桑島先輩と当たるようになっていた。
ただ、それはふたりが準決勝、決勝まで勝ちあがってくればの話だが。
おれは自分の試合まで時間が合ったため、前田の一回戦を応援しようと試合場へと足を運んだ。
前田の一回戦の相手は、去年の団体戦県代表を務めた私立T大学付属高校の三年生だった。
夏休みに入ってからの約一ヶ月間、おれと一緒に大学へ出稽古に行っていた前田がどのぐらい成長をしたか、それが見ものだった。
もし、この試合で前田が以前と変わらないような試合をするようならば、あの出稽古はなにの役にも立たなかったということになってしまう。
そうなると、おれも何の成長もしなかったということになってしまうだろう。
前田は竹刀を正眼に構えると、じっと相手の選手を見据えた。
以前までの前田であれば、どこか落ち着きがない感じですぐに構えが崩れてしまっていたのだが、いまの前田は構えているだけでも相手に威圧感を与えているようにも見えた。
その威圧感に耐えられなくなったのか、相手が先に仕掛けてきた。
中段に構えていた竹刀を振り上げて、飛び込んでくる。
前田はそれが事前にわかっていたかのように、ゆっくりと体を斜め前に動かして面打ちを避けた。
そして、カウンターの抜き胴打ち。
まるで教科書に出てくるような綺麗な抜き胴打ちだった。
「胴あり、一本」
文句なしの一本だった。
前田ってこんなに胴打ちが上手かったんだっけ。おれは疑問に思いながらも、そういえば平賀先輩からおれの攻略法を伝授された時も、おれは前田から鋭い胴打ちを喰らったっけなどと思い出していた。
その後、試合は動かなくなった。
相手は前田の胴打ちを警戒してか、攻めのフェイントは見せるものの、それ以上は踏み込んでこようとはしなかった。
前田も前田で絶えず相手に圧力を掛けたが、自分から攻めはせず、時間だけが過ぎていった。
試合時間が終了した。
胴で一本を取っていたため前田の優勢勝ちとなり、前田は二回戦へと進出を果たした。
どうやら大学へ出稽古に行った意味はあったようだ。
おれは内心ほっとしながら、S高校応援席に戻るとウォーミングアップをするために竹刀を手に取った。
前田以外のS高校剣道部員の一回戦の結果は、桑島先輩が小手と面で二本先取して二回戦進出、鈴木先輩は相手と実力が拮抗したのか一本ずつ取って延長戦に入ったが、相手に一瞬の隙を突かれて小手打ちを喰らって一回戦で敗北してしまった。
一回戦で姿を消すことになった鈴木先輩は、人目をはばからず悔し涙を流した。
「花岡……話しがある」
S高校応援席へと戻ってきた鈴木先輩は素振りをしていたおれに声を掛けると、おれを応援席の裏へと連れて行った。
「なんですか、先輩」
「ここで俺の高校剣道は終わった。そして、俺の青春も終わった。あとは花岡、お前に託す。高瀬を幸せにしてやってくれ」
「はい?」
「もう、俺は高瀬には手を出さん。俺も男だ。武士に二言はない。ただ、高瀬を泣かせたりしたら、ただじゃおかないからな」
「あの……先輩?」
「何もいうな。男は黙っていることがいい時もあるんだ」
そういって鈴木先輩は黙り込んでしまった。
どうしていいかわからなくなったおれは、とりあえず放っておこうと思い、鈴木先輩をその場に残して、おれはみんなのいる応援席へと戻って行った。
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