第55話 (10)夏休みの出稽古9

 休憩中、平賀さんを見るとスポーツドリンクを片手にまたしてもノートパソコンに向かっていた。


 一体この人は、なんなんだろうか。

 だけれども、おれの竹刀が一切触れることが出来ないということだけは確かだ。


「岡田さん、おれの巻き上げ打ちはダメでしたか?」

「いや、そんなことはないよ。ただ、相手が悪すぎただけ。普通の人なら竹刀を巻き上げられているはずだよ」

「じゃあ、どうして平賀さんには通じないんですかね」

「あの人に動きを一度でも見せたら、負けだよ」

 岡田さんはそういうと、意味ありげな笑みを浮かべた。


 一度でも動きを見せたら負けってどういうことだろうか。

 おれは岡田さんの言葉の意味を考えながらスポーツドリンクを流し込むと、汗をふき取ってから面を再び装着した。


 休憩が終わった後、おれは再び平賀さんとの試合稽古に臨んだ。


「平賀さんも、とんでもない奴を敵に回しちゃったな。花岡って究極の負けず嫌いですよ。勝つまではとことんやる。一度食い付くとすっぽんみたいに離してくれませんからねえ。おれも高校時代は花岡の練習に付き合わされて大変でしたよ」

 河上先輩が笑いながら審判をする田坂さんにいう。


 試合稽古は始まっていた。

 おれは下段に構えて、平賀さんは中段に構えている。


『あの人に動きを一度でも見せたら、負けだよ』

 さっき岡田さんから聞いた言葉が甦って来る。

 一度でも見せたら、負け。

 どういうことだろうか。一度でも技を見せたら、全部見切られてしまうってことなのか。いや、そんなはずはない。一度見たぐらいで、見切ることができるなんて、そんなのは漫画か剣豪小説の主人公ぐらいだ。


 だったら、これはどうだ。


 電光石火。

 おれはノーモーションで小手打ちを繰り出した。

 平賀さんの小手におれの竹刀が吸い込まれていく。

 今度こそ、もらった。

 そう思った瞬間、おれは自分の目を疑った。


 平賀さんは左手を竹刀から離すと、おれの小手打ちを寸でのところで避けたのだ。

 嘘だろ。

 いままで、この小手打ちが当たらなかったことなんて一度もないはずだ。


 その後のおれは、無我夢中で平賀さんのことを攻め続けた。

 面打ち、胴打ち、小手打ち。

 さまざまな攻め方で各所を狙ったが、どの一発も竹刀は平賀さんに掠ることすらできなかった。


 くそ、なんでだ。なんで当たらないんだよ。


 平賀さんが一歩踏み出してきた。

 向こうから攻めてきたのは、初めてかもしれない。


 おれは無意識のうちに下段に構えていた。

 そして、平賀さんの竹刀が動いたと同時に、おれは竹刀を下段から擦り上げていた。


 平賀さんの竹刀が宙に舞った。


 巻き上げ打ちがはじめて成功した瞬間でもあった。

 でも、それは無意識下でのことだった。


 くらくらした。目の前が真っ暗になっていく。


「おい、花岡。大丈夫か」

 河上先輩が駆け寄ってきて、おれの体を支えてくれた。


 足に力が入らなかった。

 その場で寝かされて、面が脱がされた。


 天井がぐるぐると回っていた。

 口の中がねばついていた。

 なんなんだよ、おれ。大学に出稽古に来て二回目のダウンじゃないか。


「こりゃ、熱中症だな。河上、医務室へ連れて行ってやれ」

 薄れ行く意識の中で、田坂さんの声が聞こえた。


 そして、おれの意識は断たれた。

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