第54話 (9)夏休みの出稽古8
翌日も同じ時間におれたちは大学の体育館にいた。
前田だけは寝坊して遅刻するという連絡をしてきたため、おれはそのことを河上先輩に伝えておいた。
更衣室で着替えを済ませると、体をほぐすために素振りを一〇〇本ほど行った。
おれが素振りを終えて、タオルで汗を拭いていると、平賀さんがおれの方へと歩み寄ってきた。
「きょうの試合稽古、ぼくとやってもらってもいいかな」
「え?」
おれは思わず自分の耳を疑った。
あのノートパソコンの平賀さんが、おれに試合稽古を挑んできた。そんなことありえるのか?と。
昨日の練習中、平賀さんは竹刀を握る姿を一度も見せなかった。練習中は常にノートパソコンに向かっていたのだ。そんな平賀さんがまさかおれに試合稽古を挑んでくるなんて、思いもよらぬことだった。
「いいですけど……」
「じゃあ、よろしくね」
平賀さんは細く青白い腕をおれの方に差し出すと握手を求めてきた。
おれはその手を握り、握手を交わす。
平賀さんの手は骨と皮だけのような手で、剣道をやっている人間なら誰しもあるだろう掌の竹刀タコはどこにもなかった。
一体どういうつもりなんだろうか。
おれはそんな疑問を頭に浮かべながら、額から流れ出てくる汗をタオルで拭った。
打ち込み稽古などの練習が終わったあと、おれは岡田さんと一緒に巻き上げ打ちの練習に励んだ。
面をつけずに練習に励む岡田さんを見ているとついつい、昨日河上先輩から聞いた話が脳裏によみがえって来てしまう。
やっぱり、面をつけるのは怖いのかなあ、と。
おれは巻き上げ打ちをほぼ完璧に打てるようになっていた。
あとは試合稽古で使えるかどうか試すだけである。
試合稽古の時間になり、おれは約束どおり平賀さんと試合稽古をすることになった。
田坂さんが審判を務め、二人で試合場の中央に立つ。
防具を全てつけた平賀さんは、どこかロボットのようだった。
竹刀を中段に構えているのだが、どこかお茶目な感じに見えてしまう。
そんな平賀さんに対して、おれはさっそく巻き上げ打ちを使ってみようと思い、下段で構えていた。
先に仕掛けたのは、意外にも平賀さんだった。
基本どおりのオーソドックスな面打ちが来る。
おれは下段から竹刀を跳ね上げるようにして動かすと、手首の回転を利用して平賀さんの竹刀を巻き取りにいった。
しかし、それよりも先に平賀さんがおれの巻き上げ打ちを察知して、竹刀を引いてしまう。
そうなると、巻き上げ打ちは空振りに終わり、逆におれが隙だらけの状態となってしまった。
「馬鹿……」
河上先輩の声が聞こえた。
それと同時に、平賀さんの小手打ちが決まる。
「小手あり、一本」
おれはどうして、巻き上げ打ちが失敗してしまったのかということを考えた。
まだタイミングが掴めていないのだろうか。
平賀さんからならば、簡単に巻き上げ打ちが成功すると思っていたはずなのに。
成功するどころか、逆におれは一本を取られてしまった。
「花岡くん、タイミングは合っているよ。落ち着いていこう」
岡田さんの声が飛んでくる。
よし、もう一回やってみよう。
おれはまた下段に構えると、平賀さんと向かい合った。
平賀さんはさっきと同じく中段構えだった。
目は合わなかった。故意にあわせないようにしているのか、平賀さんは伏せ目がちにしている。
今度はおれから仕掛けた。
一歩踏み込んでからの巻き上げ打ち。
今度もタイミングは合っていた。
下段から振り上げた竹刀が平賀さんの竹刀に絡みつく。
そう思った瞬間、平賀さんは体を引いていた。
またしても、空振り。
おれは無防備な姿を平賀さんにさらけ出し、胴打ちを喰らってしまった。
「胴あり、一本」
一体、どうなっているんだ。二本先取されちゃったじゃないかよ。
これが、試合だったらこの時点でおれは負けだぞ。
やっぱり巻き上げ打ちは使えないんだろうか。付け焼刃の技なんかには頼ってはいけないのかもしれない。
おれはそう思いなおして、今度は中段に構えて正攻法で攻めることにした。
平賀さんはさっきとまったく同じ中段構えで、伏せ目がちにしている。
一見するとちょっと剣道を齧った程度の人間にしか見えない。
どうして、おれはこんな構えの人から二本も取られてしまったのだろうか。
やっぱり付け焼刃の巻き上げ打ちのせいだろうか。どうにかして一本ぐらいは取り返しておかなきゃな。
おれは一歩踏み込むと、平賀さんの小手を狙って竹刀を動かした。
小手打ち、もらった。
おれはそう思っていた。
しかし、おれの竹刀は空を切っていた。
平賀さんが一歩後ろに下がったのだ。
くそ、逃がすか。
さらにおれは小手打ちから変化させて胴打ちで追いかける。
しかし、その胴打ちも平賀さんが一歩後ろに下がったため、決まらなかった。
次は当たる。絶対に当たる。
おれは空を彷徨った竹刀を切り返すとそのまま、逆横面打ちを狙った。
もう、平賀さんには後ろがなかった。そこから出れば場外ということになってしまうからだ。
もらった。
おれは確信していた。
だが、またしてもおれの竹刀は空を切っていた。
今度は後ろではなく、平賀さんの体は左足を中心に円を描くようにして回っていた。
おれは完全に横を取られていた。
平賀さんの竹刀がおれの面に当たる。
「面あり、一本」
どうしてなんだ。どうして、おれの竹刀が平賀さんに当たらないんだ。
おれは納得がいかず、平賀さんにもう一本勝負をお願いしますと頭を下げた。
平賀さんは「わかった」とだけ弱々しい声で答えて、試合場の中央へと戻って行った。
それから何本、おれは平賀さんに取られただろう。
おれの竹刀は一向に平賀さんに当てることは出来ず、攻め疲れたところを平賀さんに打たれるという展開が続いた。
試合稽古を連続して十本やったところで、審判を務めていていた田坂さんから、一旦休憩をしようという言葉が出た。
さすがのおれも暑さと攻めまくったせいでバテバテの状態であったし、平賀さんももともと悪い顔色をさらに悪くしていたため、面を脱いで休憩に入ることにした。
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