第29話 (2)いつもの帰り道
練習へと戻ったおれは、木下を捕まえると試合稽古をしようと申し込んだ。
冬の市大会では一回戦負けという不甲斐無い結果に終わってしまった木下だったが、それ以降は練習にも気合いを入れているようで、最近では棟田先輩から五本中二本は取れるぐらいにまでレベルが上がってきていた。
木下はおれの申し出を快く受け入れてくれた。
きっと、それはおれが練習の鬼と化していることに、気づいていなかったからだろう。
おれは部活の最中、苛烈なほどに木下に攻め込み続けた。
途中から木下もおれの異常さに気づいたようだったが、その時はすでに遅く、おれは木下の「少し、休もう」という言葉を聞こえない振りをして、気合いを発しては木下に打ち込む姿勢を見せていた。
練習が終わった時、おれも木下も汗だくになっていた。
木下は普段から白い顔をさらに白くして、膝に手を突いて肩で息をしながら、床の上に滴り落ちる自分の汗を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「練習に熱中するのはいいけれど、ほどほどにしておいてよね、花岡ちゃん。やりすぎて、木下ちゃんを壊しちゃダメよ」
桑島先輩の言葉にみんなが笑い声を上げる。
笑わなかったのは、おれと泣きそうな顔をした木下だけだった。
帰り道は、高瀬と一緒だった。
家の方向が一緒なのだ。
高瀬は自転車だったが、おれが歩きだったため、自転車を押しながら高瀬はおれと同じスピードで歩いていた。
「M学園って、剣道強いんでしょ。どうして、うちなんかにわざわざ東京から来るわけ。別に東京でも強い学校はあるんじゃないのかな」
「これは誰にもいうなよ、高瀬だから教えることだからな」
「なに、その秘密めいたいい方は?」
「実はな、M学園の神崎っていう奴が、うちの学校と練習試合をしたいといい出したらしいんだ」
「えっ、神崎って、あのインターハイ優勝の?」
「そう。たぶん、神崎もあの勝ちには納得がいっていなかったんじゃないかな。だから、わざわざこんな田舎まで遠征してくるんだよ」
「それって自分に都合よすぎるんじゃない」
高瀬が笑いながらいう。
こいつは何もわかっていないんだ。
おれと神崎の間で繰り広げられたあの死闘を。
あの時、おれの靭帯が切れていなければ、試合はどうなったかはわからなかったはずだ。
おれの着地よりも先に神崎の面が入っていたということで、神崎に一本が与えられて、おれの負けということになったが、あの時、靭帯が切れていなければもっと早い踏み込みが出来たはずだ。絶対に、おれは勝っていた。
「そうか、来るのか……」
なにか意味ありげな感じで高瀬がいう。
「練習試合だから、たぶんM学園の女子剣道部も来るんだろうな」
「あー、そんなこといっちゃって、へんな期待とかしているんだろ、花岡」
「ち、違う。そういう意味でいったんじゃないって」
「本当か、怪しいぞ?」
おれの目を覗き込み、高瀬がいう。
高瀬の目はいつもはっきりとした意志を持った目だ。
人の意志に流されたりはしない、長いものには決して巻かれない。
そんな高瀬の性格を一番現している部分かもしれない。
「本当だって。いまのおれの頭の中には、神崎のことしかないんだよ。次に負けたら、おれは二度も神崎に負けたことになっちゃうだろ。それだけはどうしても許せないんだ」
「あらあら、随分と気合いの入っていらっしゃること。それじゃあ、走って帰ろうか。体力作りのために。もちろん、わたしは自転車だけど」
「望むところよ」
おれがそういい終わる前に高瀬は自転車に跨ると、ペダルを漕ぐ体勢に入っていた。
本気で走ったのは何ヶ月かぶりだった。
たぶん、最後に本気で走ったのは去年の運動会だろう。
ジョギングを普段することがあっても、本気でダッシュすることなどはやっていなかった。
高瀬の漕ぐ自転車に追いつきそうになっていたのは、最初だけだった。
途中から息苦しくなり、ダッシュはジョギングに変わった。
見る見るうちに高瀬との距離は広がり、数十メートル先の十字路で高瀬が自転車を止めて待っているという状態になってしまった。
「遅いぞ、花岡」
「馬鹿いうなよ、本気で漕いでいる自転車に追いつけるわけないだろ」
おれは喘ぎながら言ったが、数十メートル先にいる高瀬におれの声が届くわけがなかった。
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