第22話 (8)誤算

「はじめっ」

 審判の掛け声と共に試合が始まった。


 それと同時に鈴木先輩が気合いの雄叫びを発しながら突進してくる。


 いきなりかよ。

 おれはそう思いつつ、迎え撃つ体勢に入った。


 鈴木先輩の剣先が持ち上がり、突進しながらの面打ちに入ってくる。


 受けの体勢に入るべきか、それともこちらも打ち込みの体勢に入るべきか。

 頭の中で判断するよりも先に体が動いていた。


 竹刀と竹刀が交錯する。

 強い圧力が掛かる。

 鍔迫り合い。


 鈴木先輩よりも身長が十センチ以上高いおれは、上から覆いかぶさるようにして圧力を掛けていく。

 しかし、鈴木先輩もそんなことは慣れっこだといわんばかりに、パワーで押し返してくる。


 面越しに、鈴木先輩の顔が見える。


 血走った目に、食いしばった歯。

 絶対に負けられないという気持ちが前面に現れている。


 もちろん、おれも負けるわけにはいかない。

 鈴木先輩には悪いが、ここでは先輩後輩といったことは関係はないのだ。


 一瞬、鈴木先輩の力が抜けた。

 おれはチャンスと見て一気に押しつぶしに掛かる。


 罠。


 気づいた時はすでに遅かった。


 鈴木先輩の体が沈み、被さるようにしていたおれの体は完全に崩れていた。


 竹刀で打たれた感触が胴に響いた。


「胴あり、一本」


 おれは、鈴木先輩に一本を取られてしまった。

 面越しに見える鈴木先輩の顔は笑っていた。


 血走った目と笑顔という不釣合いな顔は、鈴木先輩の狂気を表しているようで、おれは寒気を感じた。


 試合が再開した。

 鍔迫り合いで時間をロスしたため、残り時間はあまり無い。

 なんとかして、一本取りに行かなければ、おれの負けになってしまう。


 そんなおれの気持ちを察したのか、鈴木先輩は逃げの体勢に入った。


 おれが打ち込みに行っても、一歩引いて、打ち合いには応じない。


 このままでは鈴木先輩が逃げ切って勝ってしまう。


 だが、おれは諦めなかった。

 勝負を捨てて、試合に勝とうとする。おれはそんなのは認めない。

 子供の頃、爺ちゃんによくいわれた。

 剣道には武士道が宿っていると。逃げて勝つなんて、武士道に反することだ。


 おれは力いっぱい床を蹴って、大きく一歩踏み込んだ。

 自分でも驚くぐらいにおれは跳んでいた。


 鈴木先輩が慌てて後ろに下がろうとする。

 しかし、豆タンクの一歩とおれの一歩では歩幅が違う。


 竹刀が面を捕らえた。

 完璧に入った一本だった。


「面あり、一本」

 審判の声が試合場に響き渡る。


 試合時間残り五秒。

 なんとか、おれは鈴木先輩に追いついた。


 試合は延長に突入した。

 あと一本、どちらかが先取すれば勝ちである。


 おれは正眼に構え、鈴木先輩は下段に構えた。

 どちらも得意な構え。


 鈴木先輩は逃げるのをやめていた。

 もう、逃げていたのでは勝てないからだ。


 お互いの意地と意地がぶつかり合う。

 気合いの声が響き渡る。


 電光石火。


 そんな言葉が頭の中で閃いた。

 それと同時におれの剣先は動いていた。


 狙う場所は、小手。

 確かな手応えが竹刀を通じて伝わってくる。


 鈴木先輩は何の反応も出来ていなかった。


「小手あり、一本」


 面や胴と違って小手は地味な勝ち方だった。

 観客席で見ている人間も何が起きたのかよくわからないといった感じだった。


 だが、勝ちは勝ちだ。

 それも武士道には反していない勝ち。

 おれはそれで満足だった。


 試合を終えて控え席へ戻ろうとすると、鈴木先輩が声を掛けてきた。


「やっぱりお前には勝てなかったよ、花岡。最後の小手はさすがだな」

「正直、おれは負けるかと思いました。あの胴、完全にやられたって感じでしたよ」

「あの一本を取った時、俺は勝てると思ったんだ。それで思わず逃げちまった。武士道不覚悟だな」

 鈴木先輩が笑いながら、切腹の真似をする。

「花岡には負けちまったけれど、まだ俺の夢は終わりじゃないんだよな」

「えっ、なんですか、それ」

「インターハイ優勝だよ。決まってんだろ。市大会で四位までに入賞すれば県大会への切符は手に入ったも同然だ。あとは県大会でいい成績を残して、インターハイに出場できるように頑張るだけだ」

 豪快に笑いながら鈴木先輩はいうと、おれの肩に腕を回して、力強くおれのことを引き寄せた。


「俺はまだ終わっちゃいないんだよ。高瀬のことも諦めないからな」

 再び豪快に笑うと鈴木先輩は、おれの背中を力強く叩いて「決勝戦、負けんなよ」と言って、選手控え席とは別の方向へと歩いていってしまった。


 選手控え席へ戻ると、みんなから労いの言葉が掛けられた。

 特に高瀬などは上機嫌で、おれの頭を何度もぺしぺしと叩いてきた。


「よくやったぞ、花岡。あの妖怪豆タンクをよくぞ退治してくれた」

「なあ、高瀬。上機嫌なところ悪いんだけど、まだ鈴木先輩のインターハイ出場の可能性は消えてないぞ」


 おれがそう教えてやると、高瀬は先ほどまでの上機嫌が嘘だったかのように、厳しい口調でおれに説明を求めてきた。


「どういうことだよ」

「だって、市大会で準決勝まで進んだんだから、県大会に出場する権利はあるだろ」

「なんでもっと早く退治しておかないんだよ」

「そりゃあ、無理な話だ。試合はトーナメントで進んでいるんだから」

 おれが説明してやると、高瀬は苛立った表情でおれのことを睨みつけてきた。


「そこを何とかするのが、お前の役目だろ。そもそも、花岡が余計なことをいったからこんなことになったんだぞ」

「こんなことって、まだ実害は受けてないだろ」

「うるさい。この期に及んでまだ口答えするのか。実害は受けていないけれども、受ける可能性はだんだんと高くなっていっているじゃないか」

「わかったよ。わかった。でも、安心しろよ。インターハイで鈴木先輩は優勝できないから」

「なんでだよ」

「決まってるだろ、おれが優勝するんだよ」

「よくいうよ、二位だったくせに」

 そういって高瀬は笑みを漏らした。


 なんとか高瀬のご機嫌を元に戻すことが出来たようだ。

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