第9話


 足が完治した。


 ようやく僕は自由にどこにでも行けるようになったのだ。これで遅刻ギリギリになっても走って急ぐことができる。松葉杖の間は何かあってはまずいと思い、時間には余裕を持って行動していたからなあ。


 その気の緩みにより、僕は早々に陽介との約束に遅刻した。


「あはは、ごめんごめん」


 バスに揺られて街の方のバス停で待ち合わせをしていた。


 僕がそこに到着したのは約束の時間の一五分後だった。たまたまバスの本数が多い時間でよかった。これで三〇分に一本とかの感覚だったら陽介に何を言われていたか分からない。


「お前、病み上がりじゃなかったら鉄拳制裁だったぞ」


「これからは気をつけるよ」


 僕は笑って誤魔化す。

 これからは油断しないでいこう。せっかく余裕をもって行動する癖がついたんだから。


「しかも、お前発信の約束だぜ」


「だから、ごめんって。お昼は奢るよ」


「よし、それで手を打とう」


「最初からその気だったな」


 じりじりと太陽が日差しで肌を攻撃する晴れた日。

 まもなく夏、というかもう夏に突入していると言っても過言ではない六月下旬。梅雨も明けたのかここ最近は雨が降ることもなく、連日猛暑日が続く。


 この前までは薄めの長袖を着ている人もちらほらと見かけたけど、今はどこを見渡しても半袖やノースリーブの薄着しか見ない。学校の制服も完全に夏服に移行したし、いよいよ夏本番といえる。


 そう考えると、今はもう夏である。


「それにしても、まさかお前が先輩とデートをすることになるとは思わなかったよ」


 陽介がしみじみと呟く。

 シャツの上からアロハのようなものを羽織り下は短パンという完全に夏仕様な陽介に対して、僕は白のシャツにジーンズと何ともいえないスタイル。


「それで服が欲しいって、透真もおしゃれに気を使うようになったか。まあ、カッコいいと思われたいよな」


「そんなんじゃないよ。僕はただ、隣に歩くのに恥ずかしくないような最低限おしゃれな服がほしいだけで。ていうか、そもそもデートとかじゃないし」


 自分で言ってて、言い訳がましいなと思う。


「違うのか?」


「ただ、約束通り先輩に町を案内してもらうだけだって」


「世の中ではそれをデートって言うんだけどなあ。しかし、俺は安心したよ」


 何が? と僕は視線で問い返す。


「都会もんのくせにそういうのには全く興味なさそうだから心配してたが、よかっよ、お前がホモじゃなくて」


「何を心配しているのさ」


「好きな人はいない、エロい話には乗ってこないってんじゃ、ホモも疑われるってもんだぜ。しかも、そうなると危険なのは一番近くにいる俺じゃん」


「襲ったりしないから安心していいよ!」


 僕のツッコミに陽介はケタケタと笑う。


 そう。


 僕は今日、千波先輩とのお出掛けに向けて買い物に来ていた。

 見ての通り、僕はお世辞にもおしゃれとは言えない格好だ。


 でも、あの千波先輩の隣を歩くとなるとこんな格好では先輩に恥ずかしい思いをさせることになる。あの人に見合う、最低限のおしゃれがしたいのだ。


 そりゃ、どうせなら格好いいと思われたいとも思うけど。


「ま、冗談はこれくらいにして、暑いしさっさと入ろうぜ」


 確かにその通りだ。

 僕は陽介についていき、ショッピングモールの中に入る。当然だけど、中はエアコンが効いていて外とは違いとても涼しい。この涼しさを知ってしまうと、もう一度外に出ようとは思えなくなる。


「羨ましいなあ、あの水瀬先輩とデートだなんて」


「だから、そういうんじゃないってば」


 入院中に交わした約束。

 退院して足が治ったら改めてお礼がさせてほしいと先輩が言うので、僕は町の案内でもしてくださいと軽く言った。先輩は忙しいし、練習もあるだろうからずっと実現したとしてもずっと先のことだと勝手に思っていた。


 けれど、そうはならなかった。

 先日、僕は足が完治したことを報告に行った。それは別に約束の催促に行ったのではなく、ただ心配とかかけたから伝えたかっただけなのだ。


『そう、それは良かった』


 安堵の息を漏らした先輩は少し難しい顔をしてスマホを見てから再び顔を上げる。


『今週の日曜日、学校の都合でプールが使えないの。だから一日暇してるんだ。透真がいいなら一緒に出かけない?』


 突然の誘いに、何の心の準備もしていなかった僕は一瞬思考ごと停止した。


『あ、あれよ! ほら、入院の時に約束した、町を案内するっていう!』


 そんな感じ。

 先輩は僕との約束を果たしてくれただけで、別にデートとかそういうのじゃない。


「でも考えてみろよ」


「何をさ?」


 目的地へ向かうために僕らはエスカレーターを登る。


「あれだけ毎日練習で忙しい水瀬先輩だぜ? たまの一日オフなんて日頃の疲れを取りたいって思うのが普通だろ?」


「まあ、そうだね」


「だというのに、家でゆっくり休んだりすることよりもお前との約束を選んだんだぜ? 好きでもない奴と、貴重な一日オフを過ごそうなんて俺なら思わないね」


 陽介の言うことも一理あるけれど。

 でも、だって、考えられないだろ。


 先輩が僕をだなんて……。


「お前の方はどうなんだよ?」


「僕?」


 どう、と言われても困るな。

 そんなこと考えたことなかったし。


 僕としては先輩と話せるだけで楽しくて、それだけでよかった。それ以上は望むべきじゃないと思っていた。


「僕なんかじゃ先輩とは釣り合わないし」


「お前ほんと自分のことになるとネガティブな」


「そうかな?」


 自分ではそんなこと思わないけど。


「別にお前が水瀬先輩と付き合いたいとか思ってねえならいいけどよ、もし関係の進展を願っているんならうじうじしてると愛想つかされるぞ」


 先輩と付き合う?

 僕はその光景を想像してみる。


 ラブラブいちゃいちゃしているところを想像すると恥ずかしくて死にたくなった。そんなことを想像してしまう自分も嫌だった。


「女の子ってのは、いつでも王子様を夢見てんだよ。手を引っ張ってくれる王子様をな」


「そういうもんかな?」


「俺が言うんだ。間違いないだろ?」


「いや、陽介彼女いないじゃん」


「言ってくれんな、おい!」


 肘で僕の脇を攻撃してくる。そんなことしてきたら歩きづらいじゃないか。

 僕らはああだこうだと攻撃し合いながら目的地である服屋さんへと向かう。

 都会だとこういう施設の中には様々なブランドのお店があって、服を買うだけでも幾つもの店を回ることができるけど、このショッピングモールには二つだけ。二つともメンズもレディースも置いてあるけど扱っている系統が少し違うように思える。


 レディースはともかく、メンズの服なんてどう違うのか分からないけれど。


「お、あれ先輩たちじゃねえか?」


 どちらの店に行くかも何もかも陽介に任せっきりな僕は後ろをついて行くだけだった。


 僕の前を歩く陽介が何かに気づいて立ち止まり、僕の方を振り向いた。陽介が指差した先には二人の人影が見えた。


「確かに」


 よく見るとあれは千波先輩と日奈子先輩だ。

 二人してショーウインドウの前で楽しそうに話している。僕たちには気づいていないようだ。


「声かける?」


「んー、いや楽しそうにしてるしそっとしてあげてた方が」


 なんていうのは嘘っぱちだ。

 さっきまであんな話をしていたから、千波先輩と話すのが何だか恥ずかしいのだ。だから僕はさっさと他の場所に行くように誘導しようとしたのだけれど。


「おーい」


 それよりも先に、日奈子先輩が僕らの存在に気づいてしまった。

 あの人が僕らに気づいて、声をかけてこないとは思えなかったけれど、やはり僕の予感は的中した。


「どうも」


 僕は一瞬躊躇ったけど陽介が先に近づいてしまったのでもうどうしようもなく後を追った。陽介め、その横顔を見ても面白がっているのが伝わってくる。


 あれ、ちょっと待てよ、日奈子先輩も似たような笑い方をしているぞ? 気のせいだよね?


「二人してどうしたの?」


「ああ、俺らは」


「買い物ですよ! 暇だったからこっちの方まで出てきて!」


 陽介のことだから、きっと余計なことを言って場をかき乱そうとしてくるに違いない。

 なので、そうはさせまいと僕は陽介の言葉を遮るように被せて発言した。しかし、陽介的にはその様子でさえも面白がっている。


「そうなんだ。私達と一緒だね。千波が買い物付き合ってって珍しく言うものだから来てみたら、服買いたいって言い出してさ。今まで言ってきたことないのに」


「ちょっと日奈子! 余計なこと言わないでいい!」


「え、何で? 雑談じゃない。何も変なこと言ってなくない?」


 そう言いながらも、日奈子先輩は面白そうに笑っている。奇しくも陽介と同じような顔なのだ。つまり、千波先輩をからかって楽しんでいるということ。


「日奈子、あなた性格悪いと思うわよ」


「ええー、そんなの今に始まったことじゃないでしょ。私の性格は昔からずっと変わらないよ?」


「とにかく! 次のお店行くよ!」


 千波先輩は日奈子先輩の腕を掴んでせかせかと行ってしまう。


 一瞬だけこちらを振り返ったときに僕と目が合った。


 にこっと笑って前を向き直した先輩に、僕は結局一言も声をかけることができなかった。


「せっかくだから喋ればいいのに」


「まあ、そうだけど」


「不器用だな。阿澄先輩がああするのも分かるわ」


「どういう意味?」


 陽介が腕を組みながらしみじみと言うものだから、僕はちょっと声のトーンを下げて聞いてみる。


「まんまの意味だよ。俺と阿澄先輩は同じ穴の狢ってこと」


「……」


 僕は何も言い返せなかった。

 結局、先輩二人を追いかけることもなく、僕たちは目的である買い物を済ませる。


 陽介はおしゃれな服というよりは僕に合う身の丈にあったコーディネートをしてくれた。変に着飾りすぎることのない落ち着いた感じ、けれど地味ではなくしっかりとおしゃれな服を購入することに成功した。


「それじゃ、飯食おうぜ」


「そうだね。何でも好きなのどうぞ」


 元々、買い物に付き合わせてしまったから奢る予定ではあったので、この奢りは別に痛手でも何でもなかった。


 一つ想定外だったのは、奢られる時の陽介の食欲が馬鹿みたいだったことくらいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る