第五十五話 黒の魔装具《ネーロ・オリジン》

目に映るのは灰色。

誇張ではなく、ただ灰色。

地面も空も壁も建物も、濃さや加減こそ違えど灰色の世界。

ここは魔法使いたちが「断片世界」と呼ぶ、過去の世界の成れの果てだ。

存在するのは、黒く蠢き、後悔を纏った怪しい影。

もし生者がこの世界に足を踏み入れれば、少しずつ精神と肉体が蝕まれ、最後には影たちと同じようになってしまうだろう。

ただし、例外もいる。

それは表の世界で「魔法使い」と呼ばれる者たちだ。

彼らは影にはならず、この世界で長期間の活動を行うことができる。

そんな限られた者しか入ることが許されないこの世界を、今、一人の男が闊歩していた。


濃い紫色のローブにとんがり帽子、ガチャガチャと音を立てる様々な道具を腰のベルトに下げ、眼鏡をかけた男。

彼の名は自称「ノン・ヌメロ」。この世界一の大天才魔法使いを名乗る者である。

彼は瓦礫だらけの街中で、かろうじて形を保っている半壊した建物の扉を開け、中に入った。

その薄暗い建物の中には、この世界では異質な、朽ちていない金属製の扉が地面に備え付けられていた。

ヌメロは軽くその場で二度ほど足で地面を叩くと、乾いた音が響き、建物が揺れる。次の瞬間、大きな仕掛けが動くような音と共に、地面を閉ざしていた金属製の扉が大きく開いていった。


「わざわざ見つからないようにこんな辺鄙な場所を選んだというのに、こんな大掛かりな仕掛けでは、いざ事が起こればすぐに見つかってしまうではないか」


そんな愚痴をこぼしながら、ヌメロは扉の先に続く地下への階段を下りていく。

地上では、一般人の目撃情報から魔法協会の執行者たちに場所が露見する恐れがあるため、断片世界の中でも魔法協会未調査区域であるこの場所を、ヌメロは拠点に選んでいたのだ。

もちろん、この世界を拠点とすることは、地上とは別のリスクを背負うことになるのだが、それも仲間たちは了承済みである。


ヌメロが階段を下りてしばらくすると、後ろでまた大きな音と共に扉が閉じる音が響き、その音にヌメロは大きくため息をついた。

こうして彼が地下へ降りていくと、その先にはいくつかの扉があり、ヌメロは迷うことなく一番奥の扉を開けて中へと入った。


扉の先に広がっていたのは、様々な機材や細かな部品、注がれた液体、そして何かを組み立てるため忙しなく動いている、人の手の形をした道具の数々だった。

その中で一人、真正面の机に向かって座り、何かの作業を行っている長い銀色の髪を持つ女性の姿があった。

女性はヌメロが部屋に入ったことに気づいていないのか、気にする素振りもなく黙々と作業を続けている。


「私が戻ったというのに、挨拶の一つもないとは寂しいじゃないか、フーリス」

「あなたがここに戻ってくることなんて別に珍しくもないし、毎度毎度挨拶を交わすような間柄でもないでしょ」


フーリスと呼ばれた女性は、ヌメロの言葉にそう返事をしながらも、振り向こうとはしなかった。

ヌメロは呆れたように大きくため息をつき、空いている椅子に腰を下ろす。


「挨拶というのは、良好な関係を築くうえで必須なんだけどねぇ」

「別に私はあなたとそこまで関係を深めたいとは思わない」

「いくらなんでもそんな言い方はないだろう。我々は同じ目的のもとに集まった同志だ。仲良くしようじゃないか」

「分かっている。私たちの目的は同じ。だから、あなたが私の邪魔をしない限りは協力する」


「いや、それはそうなんだが……まあいい。ところで今日は君だけのようだが、他の二人は最近ここに来ているのか?」

「一週間ほど前にブランが来ていたわ。依頼していた素材の一部を手に入れて届けに来たって」


フーリスは作業を続けながら、部屋の右端を指さした。

そこには大きな布に包まれた、鈍く輝く鉱石のような物が置かれている。


「なるほど、ブランの奴は順調そうだ。で、もう一人は?」

「ここ三か月ほど姿を見ていない。隣の国に向かうと言っていたから、しばらくは戻らないと思う」

「なんだと?私はその話は初耳だぞ?」

「そう。あなたも忙しくて彼とは会う機会がなかったから仕方ないんじゃない?」

「だとしても、知っていたのなら私に聞かれずとも伝えるべきではないかね?」

「教えても教えなくても、彼が遠出していることには変わりはないのだから、別段問題ないでしょ」

「いや、あるだろう。問題が起こった際の相談や情報共有に齟齬が出て……」

「そう。じゃあ次からは伝えるようにする」


こちらに顔を向けることもなく、作業を続けるフーリスの姿に、ヌメロはまたも大きくため息をつく。

自分の興味があること以外には無関心な彼女には、毎度毎度苦労させられる。

知識や技術力は計画を進めるうえで間違いなく逸材で、欠かすことのできない人材ではあるのだが、もう少し円滑なコミュニケーションが取れればと常々思うところだ。


「ところで、ヌメロは何のためにここに来たの?」

「私か?何、みんなの様子が気になってな」

「嘘。あなたが何の用もなくここを訪れるはずがない。ここに無駄に出入りすることは、場所がばれるリスクにもなると、あなた自身が言っていた」


フーリスは変なところで鋭い人物だ。


「様子が気になって訪れたのは嘘ではないが……確かに君の言う通り、それだけではない」

「ということは、何かわかったのね?」

「ああ、わかったよ。例の魔装具が保管されている場所がね」


その言葉を聞き、フーリスは初めて手を止めてヌメロの方を振り向く。


「見つかったの?契約者のいない黒の魔装具ネーロ・オリジンが?」

「興味があることには、そういう反応を見せるのだから、まったく現金だなぁ君は。……君の言う通り、誰もまだ契約していない、つまりは使用者のいない魔装具の原点たるネーロ・オリジンがこの国に存在し、そして保管されている場所がついにわかった。あの趣味の悪い魔法使いの貴族どもと付き合うのは骨が折れたが、ついに聞き出せたよ」

「で、それは今どこに?」

「せっかちだな。少しは私の苦労話にも耳を傾けてもらえないかね?」

「情報を聞いた後なら好きなだけ付き合ってあげる。で、どこなの?」

「そうかい、なら後で付き合ってもらうぞ。場所については、言われてみればそこしかないという場所だったよ」

「当初の予想通り、魔法協会本部内の深淵アビス?」

「いや、そこではない。今現在も黒の魔装具が保管……いや、安置されている場所は、魔法を学ぶ若人たちが集う場所――ザマンティード魔法学園さ」


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