第70話 追跡者

「旦那……」 


 北川は膝を突いてじっと業物『備前忠正』を満足そうに眺めている桐野孫四郎に声をかけた。まさにその表情は満足している。北川にはそう見えた。趣味的な斬殺事件を起こした後の不服そうな無表情ではなく、斬るに足る獲物を見つけて喜びに充ち満ちている。桐野の顔に浮かんだ笑みがそんな狂気に満ちたものなのでは無いかと思うと北川は自然と額に脂汗が浮かんでくるのを感じる。


「ああ、上の階の標的が増えたことか?結構な話じゃないか。逃げ回る不完全な法術師を追い回す良心の呵責に責められずに済む理由が一つできた。これで思い切り刀を振える」 


「あんたって人は……」 


 諦めたような言葉が自然に北川の口から出てくる。それを無視して立ち上がる桐野。闇の中に爛々と輝く瞳。口元の笑みは桐野のサポート役と言う名目があるおかげで斬られずに済んでいる北川でさえ見ていて恐ろしく感じられるほど不気味なものだった。


「さあ、行こうじゃないか。相手の手並みで今回の法術師を囲おうとしている面倒な連中が俺達をどの程度に評価しているか分かるんだ。楽しくなるだろ?」


 桐野の言葉があまりにも予想通りだったので北川はため息をついた。


「そう簡単な話ですか?今回の件でこれまでの旦那の趣味が警察連中にはばれたと思いますし……」 


「それで貴様が困るのか?」 


 相変わらずうれしくてたまらないという表情で桐野が振り返る。実際その手にしている日本刀が無く、そして桐野の法術の限界を北川が知っていたならばその場で拳銃で撃ち殺しているところだった。


「困りますよ!旦那の活動に制約ができれば俺一人で動かなきゃならないことも増えてきます!ただでさえうちは人手不足なんですから……これ以上の面倒はごめんです!」 


 言葉を重ねるだけ北川はむなしくなってきていた。自分があの司法局実働部隊の神前とか言う甘ちゃんの法術師を舐めていたおかげで自分の顔が割れていることが痛い。そしてそんな自分の失態ばかりではなく、こんどは相棒の桐野の顔が連続斬殺犯としてあちこちの警察署の掲示板などに貼りだされることになれば、後々動くのが面倒になるのは間違いない。同盟や遼州に司法機関や軍の機関は様々あるが、一番の武闘派と言える司法局実働部隊を相手にできる実力者となると桐野の他には太子本人を除けば片手で足りる数の幹部の顔しか同志の中では北川には思いあたる使い手はいなかった。


「まあ楽しもうじゃないか、今日は。物事はシンプルに考えるのが一番だぞ。最悪の事態なんぞ相手を斬り殺してから考えれば良いことだ」 


 そう言いながら再び刀を見つめて悦に入る桐野にただため息をつくしかない北川。


「じゃあ水島とか言う哀れな中年法術師を捕えるとして……その護衛役に飛ばされてきた奴。どうやって片づけますか?こちらも干渉空間を使える俺と人斬りの旦那がいること位は第三勢力の連中も理解してそれなりの手練れを送り込んできたと思いますが……」


 銃に五発の弾薬が入っていることを確認しながら北川は長身の桐野を見上げた。相変わらず満面の笑みを浮かべて満足そうに北川の言葉に頷いている。 


「いいじゃないか!逆にそうでなくては困るな。弱いものいじめは性に合わない」 


 北川の言など闘争心をかき立てる調味料でしかない。そんな様子の桐野の笑顔。北川は再び大きくため息をつくと拳銃のシリンダーを銃に収めた。


「まあ旦那は好きに暴れてください。俺は俺でやりますから……下の司法局の連中を牽制します」 


 そう言うとそのまま階段を下ろうと北川だったが桐野の殺気に振り返った。


「そちらは避けるべきだな……」 


「どうしてですか?」 


 突然らしくもない助言をする桐野に驚いた北川は顔を向けた。


「司法局実働部隊は……あの嵯峨の部隊だ。手を出して虎を怒らせる必要もあるまい」 


「旦那が弱気なことを言うとは……」 


 北川は桐野の言葉に頷くとそのまま桐野に続いて階段を昇ることにした。


「先ほどまでの強気……司法局実働部隊相手だとどうしてそう慎重になるんですかね?」 


 嫌みのつもりで愚痴る北川を桐野が睨み付ける。恫喝。脅迫。ともかく北川はその敵意に満ちた桐野の顔を見て桐野と司法局実働部隊とその部隊長である嵯峨惟基にそれなりの因縁があることは察しがついたが、今はそれを詮索する場面では無いことだけは分かっていた。


 北川達には彼等の飼い主が欲する力を手に入れると言う目的があった。北川は余計な事を考えようとする頭を切り換えようと銃を握りなおして大股で階段を駆け上がる桐野の後を追った。

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