Episode マリ『a day in the love』
マリ①
そこは居住区と人の生きていけない聖域との間にある、荒廃した場所だ。
住んでいる人間は魔導犯罪者ばかりで、元々はひどく物騒な地域だった。
だった、というのは、六年前の第二次魔女狩り戦争の終結により、状況が変わり始めているからだ。
インフラは整備され始め、廃墟も撤去され始めている。
どこも工事が途中であるため完璧ではなかったが、今では一般人の往来も増えていた。
ボランティアの炊き出しや屋台の並ぶ通りを、花を持った女性が歩いていく。
キャスケット帽を被り、首にストライプのマフラーを巻いた彼女……
「ここもすっかり変わっちゃったな~。ま、いいことだけどね~」
マリにとって、かつては過去を振り返ることが当たり前だった。
この境界線で育ち、養護施設の子供達や院長との掛け替えのない日々は、今でも鮮明に思い出せる。
けれどマリは、過去を振り返ることはしなくなった。
ここでの記憶を、きちんと大切な『思い出』にしたからだ。
場所はもう無いかもしれないけれど、思い出としてきちんと胸に抱いている。
楽しくて、嬉しくて、悲しくて、辛い思い出。
思い出すたびに笑って、泣いて、愛しさに溢れている。
もう振り返ることはしない。
胸に抱きしめるのだ。
「薄い胸だけど~、なんちゃって♪ あっ、おばちゃーん、お芋一個ちょ~だい」
屋台で焼き芋を一つ買って、ほくほくしながら目的地へ歩く。
人通りが減って、マリは薄暗い路地に入った。
そうしてうねる道を進んだ後、養護施設があった場所が見えてくる。
焼け跡と瓦礫だけで、養護施設の影も形もないその場所には、
「あれ?」
花を置いて、手を合わせている男がいた。
「タケルじゃん、何やってんの?」
男、
タケルは息で手を温めてから、片手を上げて「よっ」と挨拶をした。
「珍しいね……どったの。まだ仕事してる時間じゃん」
「おう。早退してきた」
「は? エグゼって早退できんの?」
「まあ、できねぇな。部下に仕事押し付けて抜けてきちまった」
「えー! サボりかよっ。マリちゃん先生、そーゆーの許しませんよ!」
ビシッと、なんだかよくわからない変身ポーズをキメるマリ。
マリは第二次魔女狩り戦争以降、対魔導学園の魔法学の教師として赴任している。
魔女入学制度が実施されたことがきっかけだが、魔女であるにも関わらずマリは一般生徒にも人気が高かった。
マリちゃん先生と口にすれば、恐らくほとんどの生徒が笑顔を浮かべるだろう。
貧乳だなんだと生徒にいじられているとも言える。
とはいえ、分け隔てなく受け入れられているのは彼女の人徳が為せるわざだった。
マリが変身ポーズのようなものをキメてきたので、タケルもまた怪人ポーズのようなものをキメる。
「お、出たなマリちゃん先生! 貧乳大魔王!」
「あはー! 生徒達の返しのテンプレがわかってんじゃん!――ねぇでも殴っていい? 生徒にそれを言われても殴るのを堪えているがタケルは殴らせなさい歯を食いしばれ」
「すみませんでしたもう二度と言いません」
「なら許す。で、何やってんの?」
怒りをすぐにひっこめて、マリが養護施設跡に花を置き、手を合わせて祈る。
タケルは頬を指で掻きながら、マリが祈り終えるタイミングで答えた。
「いや、ここには挨拶しにきたんだ」
「挨拶って……誰によ?」
マリが周りを見回しながら聞いても、タケルは養護施設跡に添えた花を見て、バツが悪そうにするだけだった。
「まあいいじゃねぇか。それより、お前がくるの待ってたんだよ」
「え、あたしを待ってたの? でもどうしてここにくること、知ってたわけ?」
「さっきから質問ばっかだな……毎週、マリがここにくるのを知ってただけだよ」
タケルが恥ずかしそうにそう言うと、マリは口に含んだお芋をこくんと飲み込み、くふふと意地悪そうに笑った。
「え~、なに~? もしかしてタケルぅ、あたしのことつけたことあるわけぇ?」
「そ、そういうわけじゃねぇ! 前に一緒にきたことあんだろ。ここだろうなって思っただけで……」
「キャー、ストーカーダワー」
「てめぇ、茶化すんじゃねぇよ」
タケルに軽く帽子を指で弾かれて、マリは舌をペロリと出した。
タケルはそんなマリの可愛らしさに苦笑を浮かべ、先を歩き始めた。
「雪が降りそうだし、凍えちまうよ。ちょっと歩こうぜ」
「えっ、デート!? これってタケルとデートかな!?」
両手を上下させて、わくわくしながら後をついてくるマリ。タケルは彼女を横目に見ながら、呆れたような仕草で肩を竦めた。
「あー、はいはい、そうだよ、デートだよ」
「――マジすか!?!?!?」
「いやびっくりしすぎだろ」
「わーい! やったー!」
デートだと認めると、マリはタケルの腕に飛びついた。
軽い衝撃によろめくが、くっついてきたマリの体温が温かくて、タケルは微笑んだ。
「タケルとデート♪ タケルとデートぉ♪」
ニマニマと顔を綻ばせて、タケルの肩に頬ずりするマリ。
その素直すぎるマリのスキンシップに、タケルは心底癒されていた。
「……お前はほんと、変わんねぇなぁ」
「えー、おっぱいは変わんないけど、他はいろいろ成長していますことよ?」
「俺は最近、仕事で腰がいてーよ……」
「二十歳過ぎたばっかなのに、何じじくさいこと言ってんのよ、も~」
「あ、そういや、対魔導学園、試験小隊のポイント制度が無くなるかもしれないんだってな?」
「そうそう、情報早いね。無くなるわけじゃないけど、審問官みたいに街へ出動をするようなことはなくなるかな。その分、定期訓練の結果と模擬戦トーナメントランキングでポイントが加算されるみたいよ」
試験小隊制度自体が無くなるわけではないことを知り、タケルは安堵した。
今の生徒達に試験小隊という仲間意識が無くなってしまうのは寂しいと思ったからだ。
「まあ、それが本来のまともな育成機関だよな」
「楽しかったけどね~。あれが許されてたのは、もう今考えると……ちょっと異常よね」
「
「現役審問官諸君~、安心したまえ~。このマリちゃん先生が生徒達をバシバシ鍛えて立派な審問官にしてみせるから!」
「こえぇ……さすが魔法学教師兼、
「えー、抜き打ちで防護魔法三時間耐久訓練やっただけじゃん。あたしの生徒だってそのぐらいできるし~。桜花も甘ちゃんになったもんね~」
「あいつも大概スパルタなんだが?」
「甘々よ。あんパンより甘いわよあいつ。この前なんて、二人で服買いに行ったらフリフリのスカート買おうか迷ってたし」
「ふぅん、フリフリのスカート……」
タケルは一度前を向いてから、ブンッと勢いよくマリの方へ顔を向けた。
「――フリフリのスカート!? 去年、キセキの気分転換作戦の時に着てたやつみたいのか!? あいつこの期に及んで乙女に目覚めちゃったか!」
「学生時代の反動じゃない? まあ……その時のは似合ってたけど。うさぎちゃんに見せたら絶賛してたし」
「あ、ちょっと俺も見たいです」
「写真撮ったから、後で送ったげるね」
「よし、今度失敗してどやされたらエグゼの部下と
「あはは! それはやめたげて! 親友としてやめたげて!」
タケルとマリは寄り添いながら灰色都市を歩いた。
いつもと変わらない会話、いつもと変わらない関係。
漫才のようなやり取りも、すぐそばにある温もりも、何一つ変わらない。
変わらないと、マリは思っていた。
その場所にたどり着くまでは――。
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