(301)親切

 自分の周りにはとても親切にしてくれる人がいて、僕も誰かが困っている時は親切にしようという意識が芽生え、そうした親切の循環が、人間社会をより良きものにしてゆく・・・


 という時代が、昔の日本にもありました。


 それはさておき、この「親切」という言葉、なぜにこの漢字が使われているのだろうか。


 言葉の意味をウェブで調べると「思いやりが深く、ねんごろなこと。好意をもって人のためにあれこれと計ってやること。」だそうだ。


 しかし「親を切る」と書いて「思いやりが深く、ねんごろなこと。好意をもって人のためにあれこれと計ってやる事」とどう繋がるのだろうか。


 もしかしたら「おや」ではなく「したしい人」という事なのかも知れないが、やはり「切る」という字が入ると、何だか穏やかではない気もする訳で。


 では、一般的な「親切な人」について考えるにあたり、この漢字の意味からどういう人なのかをイメージしてみよう。


 まず、この人は「親を切った事がある」のかも知れない。


 または「親が身を切った」のかも知れないな。


 はたまた「親との関係を切った」のかも知れない訳だ。


 ふむ、この人はどうやら、暗い過去をお持ちの様だ。


 で、この人はこう言う訳だ。


「人には親切にしてあげようと思います」


 つまり、どういう事だ?


「相手の親を切る」という事か?


 いや、もしかしたら「相手の親から相手を切り離すくらいにたぶらかす」という意味なのかも知れない。


 なるほど、何となく現実に近づいてきた気がするな。


 相手に甘い言葉を投げかけ、甘やかし、口車に乗せてたぶらかし、

「あなたについていきます! え? 親? 親なんてもうどうでもいいっすよ!」

 と言わせたら成功って感じだろうか。


 という事は「親との関係を断ち切るくらいに甘やかす」というのが、「親切」という言葉の語源なのではとも思えて来る訳で。


 とすると、若者に対して

「稼げる仕事があるよ~」

 と甘い言葉で誘いだし、いかがわしい仕事を斡旋する裏社会の者などがやっている事は、かなりレベルの高い「親切」なのではないのだろうか。


「そんな仕事両親が許してくれません!」


 と言っても、


「いやいや~、こ~んなに稼げる仕事、他には絶対ないし、ぜーんぜん危険な事とかないから~」

 みたいな事を言い続けるうちに


「でもぉ・・・、う~ん・・・」

 と心が揺れ出し、


「じゃあ、はい。わかりました」

 と、親が許さない筈の事を、親との関係を切る覚悟で認めさせる行為。


 いわば、こういうのが究極の「親切」という事になるという事なのか・・・


 もし僕が娘の親で、娘がこんな目に遭っていたなら、それこそその男を切ってしまいそうだな。


 ・・・はっ!


 もしや、そういう事なのか?


「相手の親に切られる覚悟」で接する事が、「親切」という事だったのか!?


 ・・・ま、違うわな。


 という訳で、そんな悶々と訳の分からない事を考えている、今日の僕なのであります。


 皆さんは、親切についてどう思いますか?

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