(255)美しい

 何だかユーチューブとかで若い女性がメイクや髪型をアレコレして「小顔に見えるコツ」みたいなのを公開していたりするのだが、これは「小顔の方が美しい」という定義があるという事なのだろうか。


 僕は個人的に、丸くてポッチャリした女性の方が好きなので、いわゆる若い女子達が言う「えー、細~い! 憧れる~!」には全く賛同できない訳なのだが、「痩せてて小顔、目が大きくて小鼻でおちょぼ口」というのが「若い女子達の憧れ」という理解で良いのだろうか?


 例えばヨーロッパで女性に「顔が小さくて羨ましい!」等と誉め言葉のつもりで言ってしまうと、「何それ!? 私の頭が悪そうって事!? それを羨ましいって、何の皮肉な訳!?」みたいに返されてしまう。


 要は「顔が小さい=脳が小さい=頭が悪い」みたいに受け取られる訳だ。


 最近はルッキズムだ何だと、やたらと「見た目で人を判断してはいけない」みたいな風潮にあるが、いやいや、見た目は大切でしょうよ。


 ただ、生まれ持った顔のつくりや身体の作りで判断してはいけないというだけで。


 これって、小説の中だととても表現しにくかったりする。


 見た目をどのように表現するかを考え、それを文字に起こすわけなのだが、最近は「不適切な表現」とやらの幅が広がってきている気がして、とても気を遣う訳だ。


 国際的な交渉のシーン等でも下手な表現をすれば「人種差別だ!」と批判されるだろうし、お仕事系の物語なんか書いた日にゃ「特定の職業を侮蔑している!」だの「LGBTQへの配慮が無い」だのと批判されるかも知れない訳で。


 確かに誹謗中傷をするのは良くないのだが、「多様性を認め合おう」というグローバルな目標を掲げているのなら、「日本では、小顔が可愛いとする若者が多い」という理解を深めて行けば良いのではなかろうか。


 そして、「丸くてぽっちゃりした女性が好き」という僕の様な男がいる事も、ひとつの個性として理解を深めて頂ければとも思う訳で。


 そう言えば、昔の日本では「目が細い方が美しい」という美意識があったそうな。


 今は「目が大きい方が可愛い」という意見が主流の様だが、もしかしたら、こういうのは時代と共に変わりゆく価値観なのかも知れないな。


 いつの時代でも変わらぬ価値観で言うならば「平和を願い、困っている人を助け、権力に屈しない逞しさを兼ね備え、そして慈愛に満ちている」みたいなのが普遍の美なのではと個人的には思うんだよな。


 なので、「自分は醜い」と思っている人には、「時代の流れで変わる程度の価値観に左右されるのではなく、普遍の価値観で美しくありたい」と思って欲しいなと思う、今日この頃なのであります。


 ホント、「美しい」って難しいな。


 僕は僕が思う「美しい」を、これからも表現していこうと思います。

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