Ⅱ 道が交わる

 トワの正体を知り、失意に沈む坊ちゃん。


 ――レディ・オブ・ザ・ランドの伝説通りなら、彼女は自分を呪いを解くための生  贄にするつもりだったのだろう。

 ――自分へ向けられた数々の言葉は全て、自分を信じさせて利用するまやかしの言葉。

 ――腹の底では彼女は誰も信じず、そのときが来れば情け容赦なく解呪のために口づけを迫るのだ。

 ――もし、それを拒めば、伝説のように自分も他の男たちみたく殺される。


「……」


 これまでの二人だけの生活全てがまやかしだと思っても、胸を締め付ける辛い想いがある。

 坊ちゃんはトワのことを信じていたのだ。


「……?」


 気付けば、坊ちゃんは屋敷の二階にやって来ていた。

 すぐ傍に両親の書斎があるのを思い出す。


(トワが夜中に居た)


 レディと夜の密会をするようになって知った、トワの習慣。

 ふと、それを思い出すと、ふらふらと坊ちゃんはその部屋に引き込まれていく。

 何故かはわからないが、そこに自分の知らないことがあると直感している。

 

 ――違う。

 ――わからない。何故、そう思うんだ?

 ――……父さん、母さん。

 ――二人は、トワのことを知っているの?


 坊ちゃん本人は気付いていなかった。

 まだ、トワを信じたい気持ちがあることを。

 だから、知らなければならないと思ったのだ。

 坊ちゃんの手がドアノブを掴み、捻った。



 ――


 

「~~♪ ~~♪」


 屋敷の屋上で月明かりをスポットライトのように浴びながら、レディが鼻歌まじりにステップを踏む。

 日傘を開きくるくると回して、想像上の観客たちにダンスを披露する。

 仮面の貴婦人によるソロの仮面舞踏会。イタリアの言葉で『マスケラータ』という。

『ヴェネツィアのカーニバル』がレディは好きだった。仮面を付けて生活する自分が街中を歩いていても、誰も不思議に思わないからだ。メキシコの『死者の日』は陽気過ぎて合わなかった。


 レディは夢を持って世界を旅した。

 自分の幸福が世界のどこかにあるはずだと、自分の夢を諦めないで旅を続けた。

 レディのように仮面で生活する女を受け入れる文化や人々はそれなりに存在する。

 何度も、「キミを愛する」と言う男に出会った。女も同じぐらい居た。

 最後には結局、いつもレディは裏切られた。

 激しい感情に振り回されやすいのはレディ本人も自覚している欠点。その欠点ゆえに、裏切者にレディは容赦が無かった。

 だが、後悔はするのだ。

 自分はまた幸福になれなかったと。

 新しい幸福の相手を探して、レディはまた旅をする。


 イタリアによく行った。故郷の近くだと、一番好きな場所だったから。

 故郷に近寄るだけで、その土を二度と踏んでいない。

 時間が経ったせいで見慣れたものが何もなく、故郷が故郷のように感じられなくなっていたら辛い想いをする。

 それは故郷にさえ裏切られることと同義だ。

 故郷はいつまでも自分に優しくあってほしい。


 踊りながら、レディは己の人生を回顧する。

 古い全てにさよならをするために。

 


 かつて、レディには親友と呼べる存在が居た。

 レディが父に連れられて異国に行ったときに道端で出会った家無き女の子。

 どこの国にも居る、飢えて苦しむ子供。その娘はレディと同い年だった。

 みすぼらしい姿で死にそうだったその娘に、レディはオレンジを恵んだ。

 必死にレディの手に縋り付いてオレンジの果汁を飲む女の子に、レディは良いことをしたと心底嬉しくなった。


 しかし、父はレディに言った。


『救ってしまったのならば責任を持て。その畜生同然の娘に名を与え、人にしてやるのだ。お前の手で、その娘を立派に一人の人間にしなければならない。それが命を救う責任だ』


 命を救った責任の重さを子供だったレディは理解できなかった。

 ただ、「自分の従者が出来る。友達が出来る」と無邪気に喜んだ。

 女の子と出会ったのが日没だったから、その娘に『トワイライト』と名を与えた。

 二人は一緒に国に帰り、一緒に大きくなった。

 いたずらも、食事も、おしゃれも。いつも一緒だった。

 トワイライトは従者として仕込まれて、やがてしてレディ専属の従者になるほど成長した。

 歌を歌うのが好きなレディ、その歌を聞くのが好きなトワイライト。

 二人はいつも一緒に居た。

 レディが歳を重ねて、父と一緒に上流階級のパーティーに参加することが増えた。

 当時のレディはダンス下手で、若い頃に仕込まれていたトワイライトは上手かった。だから、トワイライトに教わる形でよくダンスの練習をした。


 レディが一番の不幸を感じたのは、レディの母が逝去したときだった。

 失意に沈む彼女を励ましたのはトワイライトだった。

 ずっと一緒に居ると、そう言ってレディの傍に居続けた。

 決して、人前では泣かなかったレディも、トワイライトの前では子供のように泣きじゃくった。


 レディを過酷な試練が襲ったとき、トワイライトは自ら進んで同じ苦しみを味わうと言った。


 楽しいときも、苦しいときも、悲しいときも。

 いつも、レディの傍にはトワイライトが居た。

 二人は運命のような切れない糸で繋がっていた。

 けれど、レディが仮面を付けたとき、トワイライトと別れた。


 彼女に裏切られたくなかった。彼女が自分の前から姿を消すのだけは耐えられない。

 だから、裏切られる前に絆を断つことにした。

 二度と会わない。その想いで、レディは彼女の前から姿を消した。



 回想を終えて、レディだけの舞踏会は次の演目に移る。

 ダンスのステップが優雅な動きものから、複雑な動きが混じったものに変化する。

 コレは二人用のステップで、自分は女性役を踊る。

 踊りながら、レディは薄く笑い声を漏らして呟いた。

 トワイライトと二人でよく練習したダンス。

 イメージは、二人だけの仮面舞踏会。

 そこに彼女が居ると思って、想像の中の仮面を付けたトワイライトと舞う。


「このダンス、懐かしいわね」


 男役のトワイライトと見つめ合いながら、屋上を舞台に見立てて、息の合ったステップを踏む。


「出来るまでやったわ。夜遅くまでね。アナタは一度も文句を言わず、嬉しそうに付き合ってくれたわよね」


 振り付けが一旦ゆっくりとした動きに変わり、二人は顔を交差させる。


「私がこうなったとき、アナタも私と同じになった。私、アナタだけは私を裏切らないって信じてた」


 ダンスが佳境に入った。

 先程までとは一転して、動きに激しさと力強さが生れる。

 ラストに向けて、二人は動きを加速させてゆく。

 そして、ラストシーン。レディはトワイライトの手を離れて、舞台上にて一人でくるくると回る。

 まるでスポットライトのように月光を浴びて、レディが華麗にスピンする。

 回転が終わり、倒れるレディをトワイライトが受け止める。


「――信じてたのよ、。もう要らないわ、トワイライト」


 その言葉と共に、レディのイメージ上の仮面舞踏会の幕が引かれた。

 想像上のトワイライトがふっと消えた。

 現実のレディはそのまま屋上に倒れた。

 空を見上げて、手を伸ばす。

 そこに新たなダンスの相手が居ると思い描きながら。


「今度こそ、幸福になってみせる」


 そう吐き捨てて、レディが鈴のような透き通る声で笑う。

 その頭には角が生え、乱れたドレスのスカートからはトカゲの尻尾が伸びていた。

 レディもまた、ドラゴンなのだ。


 ――


 玄関ロビーでトワはただ静かに泣いていた。


 坊ちゃんとの出会いは、自分に訪れた奇跡のような出会いだった。

 それを台無しにしたのは自分だ。

 全ては自分の責任だ。自分の過ちだ。

 心地よくて、今の幸せに浸っていた。

 この時間が愛おしくて、大切で、永遠に続けばいいと思っていた。

 自分のことばかりで、坊ちゃんのことを考えもせず。


 いや、坊ちゃんのためだと言い訳を重ねて、坊ちゃんを騙していたのだ。もっと質が悪い。

 もっと早くに去るべきだった。

 毒の息が彼を苦しめていると知ったときに。

 彼が外に行きたいと駄々をこねたときに。

 彼が誕生日を迎える度に。

 彼のためを思うなら、自分は真実を語って後の選択を坊ちゃんに託すべきだったのだ。

 けど、出来なかった。

 坊ちゃんは毒の息に耐性を持ち、言いつけを守って外の話題を出すことを止め、誕生日の度に自分のことも祝ってくれた。

 坊ちゃんとの日々があまりにも幸せで、気付けば手離せなくなっていた。


 自分ならあらゆる脅威や障害から守ってあげられると、二度も失敗しているのに自惚れた。

 永遠を生きてしまう自分以外が例外なのだ。

 だから、別れが悲しいものだと、思い知っていたはずなのに。

 いや、知っていたから。

 さよならを言う苦痛から逃げ続けた。


 だから、これは罰だ。

 坊ちゃんを騙し続けた罰。彼らとの約束を守れず傷つけた罰。自惚れた罰。

 幸せを望んだ罪。


 こんな自分も幸せになれると、信じてしまったから運命に裏切られた。

 幸せを、運命は許さないということだろう。


 それならいい。

 自分が不幸になるのは構わない。

 だが、坊ちゃんにこれ以上の不幸を背負わせることはできない。

 坊ちゃんにレディ・オブ・ザ・ランドの伝説を伝えた何者が居る。

 一人だけ思い当たる人物が居る。

 その者は伝説の裏側――レディ・オブ・ザ・ランドによって殺された青年が居たことを知る人物。

 自分が知る中で、あの青年が殺されたことを知るのは島に居た者のみ。

 つまり、


「――アナタ様なのですね、リムレット姫」


 坊ちゃんを狙う者の正体にトワは気付いた。

 呪われた姫――ドラゴンとなって騎士と青年を殺してしまったリムレット。

 

 ひどい運命だなと、トワは心の内で言葉を噛みしめた。

 トワにとってリムレットは思い出深い人だった。だが、卑しい魔女の嫉妬が引き起こした悲劇で、可哀そうなリムレット姫は姿を消した。

 彼女の喪失に耐えられなかったとき、八つ当たりで木や建物を破壊したりとトワも酷く荒れた。人に迷惑をかけてしまったこともあった。

 だが、坊ちゃんの両親との出会いがトワの心の孤独を救った。


 ――リムレット姫が姿を消さなければ。

 ――あの島に居たレディ・オブ・ザ・ランドが彼女だったならば。

 ――今、


 やはり、自分がこんな幸福な生活を過ごせていたのは奇跡だったに違いない。そう、トワは改めて思った。

 同時に、坊ちゃんを守るという使命がトワの胸を熱くする。

 もう、失意に沈んではいられない。

 この奇跡をこれ以上穢さないために戦わなければならない。

 大事だったリムレット姫が相手であろうと、今の自分にはより大事なものがあるのだ。

 トワはずっと封印していたドラゴンとしての性能を発揮する。

 屋上に懐かしい臭いがある。そこに敵がいる。

 トワは涙を拭い、立ち上がって、戦意をもって敵の下へ向かう。

 もう一人のレディ・オブ・ザ・ランドと戦うのだ。


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