三章 破綻

Ⅰ 追究


 坊ちゃんが屋敷に戻ったのは、既に時計が十二時を過ぎている頃だった。

 いつもは直接自分の部屋に戻っているのに、その日は玄関の扉を開けた。

 瀟洒しょうしゃなロビーの右隅で、クラシックな椅子に座ってトワが坊ちゃんを待っていた。

 ランプを持ち、坊ちゃんを出迎える。


「……お帰りなさいませ、坊ちゃん」


「ただいま」


 彼女は坊ちゃんの目の前で跪き、足元の汚れ――裾に落ち葉が引っかかり、靴に土が付着していた――をハンカチで払う。落ち葉がオレンジの木の物だと、長年世話をしている彼女にはすぐ判別できた。


「……」


「……」


 沈黙のまま時間だけが過ぎていく。

 静けさに互いに気まずさや嫌悪感はない。だが、そこに以前のような温かさはない。

 それは二人の心の間に、視えない溝が刻まれてしまったことを示していた。

 

 口を開いたのは、坊ちゃんからだった。


「……何も聞かないの?」


「何と聞けばよいのか。どう声を掛ければ良いのか。お帰りになられるまで、ずっと考えておりましたが、ついぞ答えは出ませんでした」


 掃除を終えたトワが顔を上げて、坊ちゃんと視線を交わらせる。

 仮面の穴から覗くトワの眼。赤い瞳が、悲しげに潤んでいる。


「私は完璧な女ではありません。だから、坊ちゃんが今何を考え、何を隠しているのか。どうして、夜中に抜け出しているのか。どうして、何も話してくれないのか。何もわからないのです。それが、とても悲しいのです」


 静かに胸の内を語るトワ。

 それは偽りない本心だった。

 しかし、トワの言葉の全ては今の坊ちゃんの猜疑心を煽り立てるだけだった。


「何もわからないだって? ボクが言いたいよ、トワ。キミはどうして仮面で顔を隠すんだ?」


「えっ……」


 冷や水を浴びせかけられたみたいにトワが固まった。

 険しい顔を浮かべた坊ちゃんの言葉が、自分の知る優しい坊ちゃんのそれとは違うと気付いたのだ。


 ――ゆるりと、静かに坊ちゃんの手がトワの仮面に触れる。


 咄嗟に、トワは仮面を押さえて坊ちゃんの手を逃れる。


「――ダメ!」


 トワの足がランプに触れ、倒れた拍子に火が消えた。

 玄関ロビーから明かりが消え、窓から差し込む月明かりだけが二人を照らす。


 突然の行動に驚愕するトワは、「どうして」という気持ちで坊ちゃんの方を見る。

 渋面でトワを見ながら、坊ちゃんは所在ない手を握りしめて、ゆっくりと元の位置に戻した。

 

「また、素顔を見せてくれないよね。どうして?」


「……坊ちゃん、どうされたのですか。一体、何があったのですか」


 困惑するトワの眼には、坊ちゃんの表情が優しさの欠片もなく怒っているように見えた。坊ちゃんの冷酷な疑念のまなざしがトワのことを責めていると感じられて、大切な人が恐ろしかった。


「お互い疑問ばかりだね」


「坊ちゃん」


 トワが近付こうとするのを、坊ちゃんが言葉を続けて牽制する


「ボクね、トワに秘密にしてたことがあるんだ」


「……」


「ボクね。友達が出来たんだよ、トワ」


「……」


 言いつけを破ったと告白した坊ちゃんに、しかし、トワは何も言葉を返せない。

 内心では、喜ばしいことだと思っていても、トワの直感はそれがよくないことだと警鐘を鳴らしている。

 坊ちゃんが残念そうにうつむく。


「やっぱり、喜んでくれないんだね。言いつけを破ったのがそんなにダメなことなの?」


「違います、そうじゃないんです……」


「どう違うって言うんだよ! トワはボクに秘密ばっかりだ。トワはボクに秘密を明かしてくれない」


 辛そうな顔で坊ちゃんはトワを責める。


 胸にナイフを突き立てられるよりも深い痛みがトワの心を苛む。

 全てを明かして、坊ちゃんの元に駆け寄りたいと強く想っている。


 それでも、言葉に出来ないことがあって。

 トワは血が流れるほど強く下唇を噛んだ。


「……キミはボクに何も話してくれないんだね。ボクはキミを信じてたのに、キミはボクを信じてないんだ」


「違う、違います! 私は坊ちゃんのことを心から信じています!」


 うろたえるトワは必死になって言葉を紡ぐ。


「この仮面のことも、角のことも。話せないことばかりで、ご不快にさせたのなら謝ります。ですが、信じてください。全ては、愚かな私が坊ちゃんの傍に居たかったからなのです。言いつけも外に居る危険から守るためで――」


 何とか信じてもらいたくて、トワは言葉を重ねた。

 けれど、トワの釈明を坊ちゃんの質問がさえぎる。


「――トワは、レディ・オブ・ザ・ランドなの?」


「――――」


 時間が止まった。

 あれほど必死だったはずなのに、その名前を聞いた瞬間にトワは全ての動きを止めた。

 やがてして、ぎこちなくトワが首を傾げた。


「どうして……その、名前を……」


「お姫様が呪われてドラゴンになるんでしょ。人の姿に戻っても、角や尻尾が生えて、顔もドラゴンと人間の顔が混じったみたいになる。ねえ、その仮面の下の素顔って、どうなってるの?」


 トワの仮面に手を伸ばしながら、坊ちゃんがトワの方に近付いていく。


 ――絶対に知られたくない。


 トワの頭を埋めつくのはそれだけ。

 追求から逃げようとトワは後退る。

 それでも、坊ちゃんは彼女が何者かを追求するために歩を進める。


 遂には、トワが壁際に追い詰められる。

 子供がするようにイヤだと首を振る。


「いや……お願い、です……やめてください……」


 トワの懇願に彼は答えない。

 残酷にも、坊ちゃんの追求の手がトワの仮面に迫る。


「……やめてッ!」


 叫び声を上げたトワが腕で顔を隠してうずくまった。

 その瞬間に、メイド服のスカートに隠していたトカゲの尻尾がまろびでた。


 一連の過剰な反応が。現れた尻尾が。

 彼女が秘密にしていることがレディ・オブ・ザ・ランドであると示していた。


 初めて見るトワの無様な姿を、坊ちゃんはただ見つめているしかなかった。

 顔を隠し続けるトワが声を震わせながらも、坊ちゃんに向かって言葉を繰り返す。


「信じて……私は違います……信じてください……」


 今にも消え入りそうな声で、坊ちゃんに懇願し続けるトワ。

 しかし、


「……無理だよ、トワ。信じたら裏切られるもの」


 トワの願いに坊ちゃんは否定で応えた。

 普段の様子とはまるで違う弱々しいトワを置いて、坊ちゃんは屋敷の中に消えた。

 

「…………オリバー、サンドラ、ごめんなさい。私、約束を守れなかった。あの子を、傷つけてしまった……」


 一人残されたトワの嗚咽と誰かへの謝罪が延々と続いた。




 トワへの疑念が彼女への不信に変化した。

 二人の絆は断ち切られてしまった。

 壊れた関係が二度と元の形に戻ることはない。


 レディ・オブ・ザ・ランドの真実は未だに明かされず。

 執念深く坊ちゃんを狙うドラゴンがほくそ笑む。

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