第十九話 『土蜘蛛の巣』

 魍魎もうりょう…すなわち妖怪。

人ならざる者であり、人の魂を喰らう者。

女子おなごの姿で在りながら、人の魂を喰らう魍魎もうりょうを、人々は『人喰姫ヒグメ』と呼んだ。


 此処ここに、人喰姫ヒグメの心臓を喰った者が居た。

名を『柳楽やぎら十太郎とうたろう』と申す。

その者、この物語の主人公なり…。


此処ここに、人喰姫ヒグメの心を浄化し、心を通わせた者が居た。

名を『月乃つきの』と申す。

その者、『山城国さんじょうこく』の姫なり…。


そして現在いま…二人の道は交差し、新たな物語が始まろうとしていた…。



 月乃は地面に倒れ込み、意識を失う。

腕についた切り傷は出血と腐敗が進んでいる。

十太郎は心配そうに寄り添う。

目の前には、禍々まがまがしい姿の魍魎…土蜘蛛つちぐもが待ち構えている。


「その娘はあと五分経たずで死ぬ。私の猛毒によってな…」


十太郎の表情が険しくなる。

目の前の敵を倒さねば、目の前の人は救えない。

しかし猶予ゆうよは残されていない。

十太郎は窮地きゅうちに立たされていた。


「さぁ…どうする?小僧…」


土蜘蛛は動く素振そぶりを一切見せず、ただただ月乃の体が朽ちていくのを見物する。


すると十太郎は、二本の刀を地面に突き刺し、そして刀を手放した。

土蜘蛛は十太郎に言い放つ。


「何をしても無駄だ!その娘は助から…」


次の瞬間、十太郎は地に落ちた月乃の刀…

三日月みかづき』を手に取り、土蜘蛛にきっさきを向けた。

その瞬間、十太郎の足元から巨大な岩壁が出現し、土蜘蛛に向かって勢いよく飛び出した。


「なにっ…!?」


岩壁は土蜘蛛の胴体に衝突し、そのまま遥か遠くへと吹き飛んだ。


「よし!突き放した!」


十太郎は三日月を地面に刺し、月乃の元へと駆け寄る。

すると三日月は形を変え、長子ながこが姿を現した。


「よくやった…礼を言うぞ小僧。」


十太郎は驚きつつも、月乃の体の方を優先した。


「まさか俺以外に…人喰姫ヒグメを刀に飼ってる人が居るなんて…」


「やはり…私の妖気に気がついたか。」


「いや…お前が俺にでも分かる様に、妖気を当てて合図を送ってくれたからだ。」


そう言いながら、十太郎は右手に力を込めた。

すると十太郎の右手は、あかい妖気に包まれる。

そのまま月乃の傷口に触れると、傷口は高温の熱で焼かれ、白い煙を上げる。


「…うっ……!」


気は失っているものの痛みは感じる。

月乃の表情が強張る。


「ごめんなぁ…我慢してくれ…」


十太郎は熱した傷口に自らの口をつけ、毒を吸い出す。


「何をしている…!」


十太郎は吸い出した毒を地面に吐き捨てる。


「解毒だ。俺には毒が効かないんだ。それと体内に回った毒は熱して処理する。」


再び月乃の体に熱を与える。

長子は不安げな表情を浮かべ、月乃の姿を見つめる。


「その性質…先程お前は、自分も刀に魍魎を飼っている様な言い方をしていたな。…お前は一体…」


すると十太郎は立ち上がった。


「その話は後だ!とりあえず…応急処置は成功…っと。」


月乃の呼吸が安定する。

十太郎は童子切どうじぎり鬼丸おにまるを地面から引き抜く。

すると長子が問いかける。


「お前一人で奴に挑む気か…!?」


すると十太郎は背を向けたまま答えた。


「俺は全ての魍魎を封印するって誓ったんだ。」


「無茶だ…!人間のお前が…奴に敵う訳がない!」


十太郎は振り返った。

その顔は笑っていた。


「無茶かもしれないけど…俺は行く。それに…一人じゃねぇんだ…。」


長子の目には、十太郎と共に並んで歩く二鬼にきの魍魎の姿が映った気がした…。



 十太郎が去り、長子は月乃のそばに寄り添っていた。

すると奥から誰かが近づいてきた。


「お嬢ちゃん…!」


その正体は恒次つねつぐだった。


「生きていたか坊主…」


「お陰様でな…それより…少年は…?」


「一人で行ってしまった…奴を倒すつもりだ。」


恒次は黙り込んだ。

そして月乃の姿を見るなり、その場に膝から崩れ落ちた。


「あぁ…なんということだ……」


「眠っているだけだ…そっとしておいてやれ。」


恒次は、いたたまれない気持ちになった。


「私は…人々を救う為に仏の道を選んだ…それなのに…」


悔しさのあまり下唇を噛み締め、両手のこぶしを強く握り締める。

すると長子は恒次に語りかける。


「お前のふだは役に立った…おかげで月乃は生きている。」


恒次の目には涙が浮かんでいた。

すると長子は恒次に語りかけた。


「…魍魎の私が…何故人間をなぐさめねばならんのだ…。」


すると恒次は、そでで涙をぬぐった。


「かたじけない…。」


ただただ月乃を見守るのだった。



 十太郎は二本の刀を広げ、真っ直ぐに伸びた岩壁の上を駆ける。

突然目の前の岩壁が崩壊し、土蜘蛛が姿を現す。


「来たか!」


「小僧…!貴様を殺す!」


大きな体を回転させ、両腕を勢いよく振る。

鋭いかまの様な腕は、岩壁を粉砕しながら進む。

十太郎はすかさず岩壁から飛び降りる。

土蜘蛛は体を旋回させ、十太郎の跡を追う。

大木は切り倒され、地面は激しくえぐれる。

まるで回転して進む巨大な刃物だ。

当たればひとたまりもない事は容易に分かる。

すると土蜘蛛は、回転したまま大量の糸を放った。

糸は土蜘蛛の体から切り離され、四方八方に飛び散る。

しかしその強度は鉄の様に硬く、まるで鉄砲玉の様に飛びう。


「うわっ…!」


次々と飛んでくる糸の銃弾は森を破壊していく。

十太郎はたまらず大木の後ろに隠れる。


「あれじゃあ近づけねぇ…。」


すると童子切の中から清姫が語りかける。


「奴は遠距離攻撃に長けた魍魎じゃ。上手く奴のふところに潜り込めれば、一気にかたをつけられる。」


「近づけねぇって言ってんだろうが!」


「貴様の体は耐毒性質に超再生…普通じゃ死なぬ体じゃ。何も考えずに突っ込め。」


「痛いんだよ!死ななくても痛みはちゃんとあるんだよ!」


そうこうしているうちに、糸は十太郎の隠れる大木の上を貫通した。


「やべっ…!」


咄嗟とっさにその場から離れる。

十太郎は思考を張り巡らせる。

しかし背後からは糸が迫ってきている。

糸は激しく地面に激突し、砂嵐が十太郎の姿を包んだ。


土蜘蛛はゆっくりと接近する。

大きな右腕を振り、砂嵐を切り裂いた。

十太郎の姿があらわになる。


「…せっかく作戦練ってたのによぉ…」


「ふん…どうせろくな作戦では無かろう。」


十太郎は辺りを見渡した。

すると自分と土蜘蛛の居場所を囲む様に、無数の糸が張り巡らされていた。


「これで逃げ場は無いぞ。ここで貴様を殺す。」


「完全に蜘蛛の巣に囲まれたか…」


「遠くへ逃げようとすれば糸が貴様を捕らえる。どのみち貴様は終わりだ。」


十太郎は上を見上げた。

しかし天井すら大きな蜘蛛の巣と化していた。

完全に逃げ場を失う。

十太郎は童子切に力を込めた。

刀にほのおまとい、天井にかかる蜘蛛の巣に向かって放った。


焔は蜘蛛の巣に燃え移る。

しかし糸は消えない。


「無駄だ…貴様を囲む全ての糸は鉄の如く硬い。」


十太郎の表情が険しくなる。


「お前倒すしかねぇって訳か…」


覚悟を決め二本の刀を構える。

土蜘蛛は胸の中心から光線こうせんの様に糸を放出した。

十太郎は右に回り込む。

糸は垂直に地面に突き刺さる。

土蜘蛛はそのまま体を十太郎の方に向けた。

それにともない、地面を削りながら糸は旋回する。

十太郎は地面を蹴り、糸を避けながら一気に距離を詰める。

そのまま二本の刀で土蜘蛛の胴体を切りつけた。


攻撃は当たったかに思えた…。

しかし土蜘蛛の胴体には無数の糸が巻きつき、斬撃をしのいでいた。

その瞬間、十太郎の腹に土蜘蛛の左腕が突き刺さる。


「ぐはっ…!」


鎌の様な鋭い腕に貫かれ、大量に出血する。

土蜘蛛はそのまま十太郎を持ち上げ、両手両足を糸で固定し、大木に吊し上げた。


「くっ……」


身動きが取れず両手の刀を手放す。



「さて…どこから喰ってやろうか…?」



十太郎の血と共に、二本の刀は地面に落ちた。

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