これが血染の守る幸せの日々

 夏休みが終わり、大河も血染もそれぞれ二学期がやってきた。

 その中でも特に変化があったのは血染で、気持ちが伝わってから大河との間に一切の遠慮がなくなり……まあ今までも遠慮はなかったが、ストレートに好意をぶつけ合うことで血染の心が更に豊というか、幸せで溢れているからなのか彼女の外面にもそれは色濃く反映されている。


「ふんふんふ~ん♪」


 鼻歌を口ずさみながら街中を歩く血染に多くの視線が集まる。

 来年高校生になるということで、まだまだ彼女は中学生ではあるのだがその見た目はもはやその域ではない。

 美しさはもちろんのこと、スタイルに関しても大人顔負けだ。


「早く帰ってぇ……兄さんとイチャイチャしてぇ……えへへ。まだエッチとかはしてないけど、それも秒読み? きゃっ♪」


 脳内が桃色に包まれているが、少し前の血染では到底考えられない姿だ。

 普通ならば彼女も考え方次第で恋愛は出来たはず、しかしあまりにも大河の在り方が血染を肯定し、彼女に幸せを齎し過ぎてしまったせいで、こんなにも血染は大河のことを愛してしまった。


「あなたも早く兄さんとイチャイチャしたいでしょ?」

『もち……ろん。おにい……さま……傍……居たい』


 血染が居るということは、彼女の影に潜む黒血染もまた傍に居る。

 最近になって言葉の発声が可能になり、大河を感動させた黒血染だが、もっと大河と自分の声で話したい、もっともっと喜んでほしいと考えているので鋭意練習中の可愛い姿を見かけることも多い。


「あぁでも、兄さん今日はあの二人と遊ぶって言ってたしなぁ……今から帰ってもしばらくは会えないかな」


 ズーンっと血染たちの空気が沈む。

 しかし、それはあくまで彼が帰って来る時間が遅くなるだけの話であって、必ず夜には一緒になるし寝るのも同じベッドなので何も寂しいことはない。


「……ふふっ♪」


 だからこそ、血染の毎日は幸せで彩られていた。

 不純物も何もない幸せな世界の中、かつて義父を喰ってしまった過去はあれどもはや血染はそれを気にしてはいない。

 だが――そんな血染に羽虫の羽音が近づく。


「おう血染! 奇遇だなこんなところで――」

「?」


 鬱陶しい気配が近づいていたことには気付いていたものの、血染は振り返った。

 そこに居たのはかつて大河に対し色々と言っていたあの男、伊角壮馬で血染の視線は一気に鋭くなった。


「奇遇だな。いやぁ本当に美人に――」

「ウザい、なに勝手に人の名前を呼んでるの?」


 あくまで爽やかさを演じるように壮馬は近づいてきたが、血染はバッサリと切り捨てるように彼に強い言葉を放つ。

 流石の壮馬も言葉が理解出来ないほど馬鹿ではないため、血染の放つ雰囲気と言葉に動きを止めた。


「勝手に名前呼ばないでくれる? 鳥肌立つし、何より気持ち悪い」

「っ……てめえ、人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって」


 図星を突かれたか、それとも自覚があったからなのか壮馬は血染を睨みつける。

 血染にとって最悪とも言える幼少期を過ごし、ただでさえ特異な力を持ち、そしてそれでも心から愛し愛してくれる存在に出会えた今において、彼女に怖いモノはもはや存在しないに等しい。


「調子に乗ったつもりはないかなぁ。むしろ、それってあなたに対するブーメランじゃないの? 主人公っていう立場で調子に乗って空回りどころかネジが何本も飛んでるような行動してるくせにさぁ」


 侮辱するように、煽るように血染はそう言った。

 実を言うと血染は大河の口から詳しく彼のこともそうだが、大河が知るこの世界のことも詳しく聞いていた。

 正直なことを言えば元々ゲームの世界だと言われても信じられないはず、それでも血染は大河の言葉を信じた――疑う余地が何もないからだ。


「この世界はあなたの思うゲームの世界かもしれない。でもね? この世界は紛れもなく現実だよ? あなたのナンパが悉く上手く行かないのも、あたしが苦しんだのも全部現実で都合が良くないのは当たり前……それを理解しないとこの先大変だよ?」

「てめえ……っ!?」


 許さないと握り拳を作って向かってくる壮馬に血染は殺気を飛ばす。

 壮馬は冷や汗を掻くようにして動きを止めたが、彼だけに見えるように黒血染も彼の首に手を当てるようにしてその姿を見せた――当然、見えているのは壮馬だけだ。


「あたしのことも知ってるんでしょ? それなのに向かってくるのは勇気があるのか馬鹿なだけなのか……ま、どっちでも良いけどね」

「っ……やっぱりその化け物の力を持ってたのか」

「持ってるよ? あたしにとっては大切な力、今を守るための力だもん」


 傷つける力ではなく、今を守る力だと認識したのも血染にとって大きなことだ。

 己の中に生まれた黒血染も呪われた存在ではなく、同一の存在として考え、そして共に大河の妹としてこれから先も過ごしていく大事な家族だと血染は認識している。

 だからこそ、血染はもう自分の力を大事なモノとして受け入れているのだ。


「あなたさ、全然かっこよくないよね」

「……はっ?」

「見た目とかそういう話じゃないよ? 内面も含めて、とにかく雰囲気から全てに至るまでが痛々しいもん。まるで、今の自分には何でも出来るってイキがってる小さな子供にしか見えない」

「なんだと!?」


 まあ自分も子供だけど、そう内心で呟き血染は言葉を続けた。


「あなたはこの世界でヒロインに好かれる主人公だって、今でもそう言うの?」

「当たり前だろ! 俺は主人公の伊角壮馬――」

「あたしがちょっと力を込めればあなたはこの場で死ぬのに? それでも主人公のように特殊な力があるとか思っちゃったりしてる?」

「……………」


 この世界は大河や壮馬が言うようにゲームの世界かもしれない。

 しかしそれでも壮馬には主人公補正のようなものは存在しないため、血染の気まぐれで今この瞬間に退場する可能性もある……何も彼を守るものはない。


「あなたがどんな目的であたしに話しかけたのかは知らないけど、あなたはただの人間であることを自覚した方が良い。それでも主人公だからといって欲望のままに動けるのは大したメンタルだけど、ハッキリ言って今のあなたに魅力は何もないし女の子に好かれる要素も感じ取れない……何をしてもぶっちゃけ無駄でしょ」

「……何を……つうか、それなら大河だって同じだろ。あいつだって俺と同じでこの世界のことを知ってるから好き勝手動いて――」

「そうだねぇ。兄さんも自分で言ってたよ。あたしのことを想って、あたしのことがただ好きだから自分に出来ることをするために動いたってね」


 だが、大河と壮馬では明らかに行動の重みが違うのだ。

 大河は確かに血染のことが好きで、彼女のことをどうにかしたい、あわよくば仲良くなりたいという欲望がなかったわけではない。


「兄さんの行動にはそれに伴う強い想いがあった。あなたと同じ? 冗談はそれくらいにしないと喰っちゃうぞ?」

「……っ……うあっ」


 血染もよく我慢したものだ。

 ここで壮馬を喰ったところで物事は都合よく改変されるので痛手は何もない、大河と同じだと言われた瞬間に衝動で喰おうとしたがそうしなかった理由は単純で、大河からアレは食べると腹を壊すと言われたからである。

 血染の本気の殺気に壮馬は視線を逸らそうとするが、血染はそれを許さない。


「よそ見するな羽虫。私のターンはまだ終わってないよ」

「ひょっ?」


 その後、言いたいことは全て言って血染は壮馬を解放した。

 少しばかりやり過ぎかなと思ったし、夢も希望もない現実を無理やりにでも納得させた気はするが、血染の頭には漏らした男の記憶はもう残っていない。


「ただいま……?」


 家に帰った血染は玄関に大河の靴があることに気付く。


「あれ? もしかしてもう帰ってるのかな」


 血染を追い越すように黒血染がびゅーんとリビングへと向かった。

 扉すらもすり抜ける荒業に血染が苦笑していると、リビングの方から大きな声が聞こえてきた。


「なんだああああ!? いきなり出てくるなよお化けかと思ったぞ!?」

「……あの子はもう」


 言葉を発せられるようになってきたは良いが、まだまだ精神的には幼い部分があるので、その辺りも大河と一緒になって黒血染に教育をしないとなと血染は考えた。


「ただいま兄さん」

「お、おかえり血染……」


 黒血染は大河の頭に抱き着くという彼女だから出来る器用なことをやっている。

 微妙に嫉妬心が働いて黒血染を引き離そうとするが彼女は離れず、こうして大河を巡る何度目か分からない兄争奪戦が幕を開けた。


 しかし、そんな風に騒ぐ中でも血染はやっぱり幸せそうだった。


 これこそが彼女が望み続け、大河が齎した幸せの形――彼女が守ろうとする大切な日常なのだ。

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