第四十一話 それでも人は、神に祈る


 拓磨たくま達が地図を手に入れる数分前、叢雲むらくもは少女を閉じ込めた部屋の前に来ていた。

 少女は泣き疲れてそのままベッドで眠っていたらしく、扉の開く音に驚いたようにガバリと体を起こした。

 微笑みながら着物姿の優美な男が彼女に歩み寄るが、その足音をかき消すように扉の向こうからの不自然な音が聞こえて来る。


「サイレン? あと、何の音」

「うるさい虫が入りこんでしまいまして。大丈夫、鏡は奪わせませんよ。ついて来て下さい、お見せしたいものがあるのです」


 無理矢理手を引かれても嫌なので、しぶしぶ立ち上がってついて行く。

 新しい場所に連れて行かれるのかと思いきや、先程の絵のある広間であった。しかし先程はいなかった多数の人々の姿。老若男女が床に座りこみ、呪文のような言葉を絵に向かって唱えている様子。

 彼らに向かって叢雲むらくもは声を張り上げる。


「祈り続けよ! 侵入者があれば捕らえよ」


 その言葉に、先程まで目を閉じて祈っていた人々が顔を上げ、そして一糸乱れぬ動きで「承りました」と斉唱し平伏した。ぞっとするような不気味な光景で、機械仕掛けのようである。そしてその様子を男は満足気に眺め、鷹揚に頷く。

 そして絵の隣にある別の大きな扉を開くと、中に進んで行く。躊躇して足が止まりかけるが、振り向く男の冷たい視線に足を進めるしかない。

 その先には武装した自衛隊員が六名いて、前を通ると敬礼をしてきた。


「この後に来る人間は、味方であっても射殺しろ」

「了!」


 恐ろしい命令をさらりと下し、男は更に先に進む。そして次の扉が開かれた。そこは広いが人気のない格納庫。ヘリや航空機が並び、中央には不自然な巨大な箱。草履を擦るように静かにその箱に歩み寄ると、男は少し遠い目をする。

 箱には小さな丸い窓がついていて、中が覗けるようだった。恐る恐る近づいて覗き込むが、内部にあるものを視認した瞬間、少女の気管がヒュッと音を立て、そのまま数歩後ずさってしまった。無音の格納庫に、少女のブーツの踵の音がカツンカツンと響く

 箱の中には醜悪な肉塊。脈動する剥きだしの血管をまとい、ぎょろりとした巨大な目玉を持ち、ところどころを覆う鱗に鳥のような羽毛。

 地球上の生物の一部位を強欲にかき集めてつぎはぎしたような。


「これはね、神の幼虫のようなものなのです。これからなんですよ。蝶の幼虫も女の子は気持ち悪がるでしょう、だから貴女が怯えても私は気にしません」

「神を……あなたが作っていると言うの?」


 男は、人を魅了する輝きのある微笑みを浮かべる。


「神は古来より、人が作り出すんですよ。私が作ってもおかしくはないでしょう?」

「作ってどうすると言うの……これから神粒しんりゅうの事は人々に知られるようになって、皆、自分で望みや願いを叶える時代が来るわ。あなた達でしょ、テレビを使ってそう広めたのは」


「それでも人は、神に祈る」


 一息に言いきり、微笑み続ける男は「そのための神を」と語る。


「そして私の神の伴侶には、最強の付喪神と謳われる美しい貴女が相応しい」


 酔ったように、艶めかしい視線が少女のつま先から頭の先までを舐めるように撫でて行った。


* * *


――誰かいる。


 右も左も、上も下もわからない暗闇を、落ちているのか登っているのかも不明な無重力の中、時折きらめく蛍のようなか弱い光が縦横無尽に舞い散っていて、深海がもしかしたらこんな感じなのかもしれないと、漠然と脱力した体で揺蕩たゆたい続けている拓磨たくまの前に、硬質で透明な板があるように見えた。

 手を伸ばすと、向こう側の人物も手を伸ばして来る。

 同時に動くそれで、鏡があるのだと思い立つ。


――この光景、以前も見たような。


 あれは雨の日、靄に初めて追いかけられて白戸しろとに拾われた時だったか。

 透明な板に触れると、向こうの自分も左右対称に板に触れる。板が溶けて、指と指が触れ合う。すると、向こうの自分が微笑んだ。


――僕、じゃ、ない?


『願いが届く』

「願い?」

『君を助けて欲しいと祈る声』

「祈り?」


 何も聞こえない。しかし周囲を震わす、流れを作るような強いを感じる。


白戸しろとさん? あんなに強い人が一体何に対して祈って」

『それでも人は、神に祈る。己の無力さに気付いた時、人は頼るものを求めてしまうものなんだね』


――もしかして君は、僕のきょうだい?


 彼が微笑むと、拓磨たくまの意識は更に暗い海に沈む。なのに現実の少年は瞼を上げた。小柄な体を横抱きにしていた男が驚く表情をした。


「たっくん?」


 少年の視線は男から逸らされ、地面に伏す黒い鳥へ。それにつられて白戸しろとも憐れな鳥を見た。


「鴉はまだ戻ってない。この辺りの神粒しんりゅうは、不安や緊張、怒りや恐怖に染まっている物が多いから、それらを無理にかき集めると精神が影響を受けるから時間がかかる。残念だが彼女と鴉はいったん諦めて引き返そう、いいね?」


 抱き上げようとした男に対し、拓磨たくまは小さく首を振った。


「出血が多い。止血はしたが病院に行かないと」

「*×&$#」

「え?」


 拓磨たくまの口から漏れ出した声は、聞き慣れない音と文字の羅列で言葉としては聞き取れなかった。再度同じ音を少年は紡ぎ、それが鴉への呼びかけであるのだと白戸しろとは気づく。

 ぴくり、と鴉の翼が動く。散ってしまった羽根と血液が細やかに振動し、じりじりと体の方に向かって動く。同時に周辺の神粒が渦を巻くように集まり、鴉に向かって流れを作りはじめた。


「馬鹿な、念に汚染されている神粒しんりゅうを吸収するなんて。やめるんだ鴉、また化け物になるぞ!」


 しかし黒い鳥の周囲に神粒しんりゅうは集まり続ける。祈りに応え、願いを叶える小さな小さな光の粒が、やがて熱を帯びたように赤く。それを取り込んだ黒い体は灼熱の色を帯び、鴉は熾火色に染まる。身体を起こし更に炎と化した神粒しんりゅうをその身にまとい始めた。


「まさか、念に染まった神粒しんりゅうを浄化して取り込んでいるのか!? そんな事が出来るものなのか」


 そこにいるのは炎の鳥で、まるで何度も蘇るフェニックスのように、神々しく猛々しい姿と化す。


火燃鳥ひもすどり……」


 自然と言葉が漏れ出す。周囲の神粒を尾のように従えて、燃ゆる炭火のように姿を変えた鴉はこちらに歩み寄る。導かれるように、男は少年をそっと地面に横たえた。鳥は少年の瞳を覗き込むと、「クア」と懐かしそうに鳴いた。

 そして少年の傷ついた肩に向けて炎を丁寧に纏わせていく。

 光と光が合わさって、新たな光を生み出して、細胞が次々と生まれ変わる。止血のために巻いていた布は今はほどけきり、傷口が露わになっていたが、早送りで見ているように痕跡が失われて行った。

 やがて微かな凹みを残す程度に傷が塞がると、気づけば鴉は燃え尽きた炭のように、白や灰色を含む羽毛をチラホラと残す黒い鳥に戻る。ぶるぶるっと体を震わせると、変色した羽毛は散って元の神粒しんりゅうに戻り、鴉はそれをパクパクと口にして呑み込む。ぶわっと羽毛が膨らんで、元の姿を取り戻した。


「ヤタ……?」


 少年の唇から漏れ出したのは、いつもの呼び名。鴉はぴょこんと背筋を伸ばすと、いつものように少年に頬ずりする。少年も愛おし気に翼を撫でて、一人と一羽の間には何人も入れない絆が見えた。

 ゆっくりと体を起こした少年が左肩を見ると、シャツは鮮血が染み込み重く、傷の深さを物語る。しかし肩を動かしても痛みはなかった。それを確認すると、強く白戸しろとをまっすぐ曇りなき眼で見上げる。


白戸しろとさん、行きましょう」

「あ、ああ」


 あの不思議な言葉を発したのはではなかった。そしていつ、に戻ったのか、無精ひげの男には判断がつかない。だがこれで、白戸しろとは”鏡”の所在と、”鏡姫”が何処にいるのかを知ってしまった。おそらく本人は、それを知らない。あえて、それを伝える気持ちになる事はなく、少年の背中の汚れを軽くはたき落とし、軽く微笑んで頷いて見せただけだった。


* * *


 一見して加賀見かがみは、清楚可憐な見目。しかし意思の強い上がり目が、彼女の精神メンタルの強さを物語る。UMA慣れし、ホラーゲームで培ったグロ耐性があったとしても、こんな”神”の花嫁は御免こうむりたい。この化け物に嫌悪感を感じるのは、生きとし生けるものへのリスペクトを一切感じないからだ。


「私は、こんな神に祈ったりしない!」


 叫ぶと彼女は駆け出した。誰も周囲におらず、着物姿のこの男だけしかいない今こそ逃げ出すチャンス。航空機やヘリがあるなら外に出られる通路がここに必ずある。扉は通常内側から施錠するもの。だから扉さえ、窓さえ見つかればそこから出られると気付いたのだ。

 今はまだ地下のはず、ならば上を目指すのみ。彼女は金属の階段を音高く駆け上がり始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る