第3話 逃走

 数日後。

 仕事が終わった後、俺は愛車に乗り込んだ。飲みに行く気にはならないが、自動車の運転くらいならいいだろうという気持ちだった。

 キーを解除し、バケットシートに滑り込む。車に乗り込むと、それまで感じていた気味の悪い視線も感じなくなった。


 俺はエンジンを始動し、三十分ほど行ったところにある峠道へとハンドルを切った。お気に入りのコースだった。

 T字路の信号で赤信号が変わるのを待っていると、後に真っ黒なピックアップトラックが停まった。ミラーで確認するが、運転席が高い位置にあるため、どんな奴が運転席にいるかは分からない。


 すると、

 ガチャリと、音を立て助手席に女の子が滑り込んできた。あのアパートの女の子だった。


「やっと、見つけたわ!」

 女の子は笑顔でそう言って、シートベルトを装着した。

「お、おい!」

 俺が狼狽していると

「青よ」

 女の子に言われ、反射的にアクセルを踏み込む。


「何で、逃げるの? この前も、あの連れのお坊さんの後に隠れてたし」

「み、見えてたのか?」

「うん。あの時は声をかけそびれたけど、それから全然飲み屋街でも見かけないしさ。やっとこの車を見かけて、乗り込んだってわけ」


 俺は女の子から、不吉な視線を感じていないことに気づいた。それどころか、とても居心地がよろしい。


「なあ、なんでお前、俺のことを探してたんだ?」

「隆光さん。私の名前、覚えてないでしょう?」

「いや。あの……」

 俺がもごもご言っていると、


「私の名前は陽菜ひなよ。佐藤陽菜。もう忘れないでよ」

 陽菜が笑いながら言う。

 運転しながら、改めて見るとくりっとした目が可愛らしい。俺はここ数日の緊張を忘れて笑った。


 すると――

 突然、ゴンという音が後から響き、車が蛇行した。


 慌てて逆ハンドルをあて、車の姿勢を戻す。

 ミラーを見ると、真っ黒なトラックが後ろに迫ってきているのが見えた。


「あの車はなに!?」

「分からん。だが、ヤバいな」

 俺はやっとそれだけ言うとアクセルを踏み込み、トラックを引き離しにかかった。


「隆光さん……鼻が腫れてるわ!」

 陽菜に言われて鼻を触ると、熱を持って大きく腫れ上がっていることに気づいた。ズキズキと痛み始め、同時に「これは私のしるしね!」と言った女の声が脳裏に蘇る。


 やはり、あの女なのか? この鼻の痛みは、奴が近づいてきたせいなのか!?

 俺は更にアクセルを踏み込んだ。


 五百七十馬力を超えるV6エンジンが咆哮を上げる。暴力的な加速が俺たちをシートに押さえつけた。

 陽菜が悲鳴を上げるが、無視してアクセルを踏み、ハンドルとブレーキをめまぐるしく操作する。


 みるみるうちに、離されていくトラックの運転席に、あの女が見えた。目の周りが真っ黒に隈取られ、牙のような犬歯を向きだした顔は、まさに悪霊のようだった。


 しばらく行くと、速度の出るストレートからテクニカルなカーブが続くセクションに移行する。トラックの足回りでここを攻略することは出来ないはずだ。俺はこれまで培った全技術をつぎ込んで、GTRを走らせた。


 だが、信じられないことが起こった。ジリジリとトラックが近づいてくるのだ。高速セクションよりも、このカーブの続くセクションの方が近づけるということは、つまり、ドライバーの技術で車の性能差を埋めているということに他ならない。


 俺は顔を真っ赤にして、車を操作した。

 急なカーブでぶつかりそうなくらいにトラックが迫ってくるのが見えた。こちらもギリギリまでブレーキを遅らせ、進入速度を維持してぶつかるのを回避する。


「胸が光ってる!」

  陽菜が叫び、俺は胸ポケットに入っている財布のことを思い出した。

「あ、あのお札だ!」

 俺は急いで財布を陽菜に渡した。財布の内側から溢れるように光が漏れ出てきた。

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