82,遠い人 1
「では参りましょう」
「はい」
イライザと数名の騎士に囲まれ、逆らうことなく廊下を歩く。
紅茶でビショビショになった服は着替え、足下にはムチンムチンになったウメボシが寄り添う。
「あの短時間でどうやって太れるわけ?」
「小生は九尾の狐。プリティーダイナマイトボディを取り戻すことなど朝飯前だ」
「九尾関係ないじゃん」
「我々では理解できない魔力の流れが、ウメボシ殿の中で起こっているのかもしれません。九尾だから、という理由は案外当たっているかもしれませんよ」
「ほれみよ!」
イライザのフォローに得意げな顔で見上げてくるが、ただの太った狐。
ダイエット食を考える身にもなってもらいたい。
足下にいたウメボシが、勢いを付けてステラの腕に飛び込んだ。ダンベルかと一瞬脳が誤認する。
フェリシスのおかげでささくれ立った心が落ち着いたように感じるのは、今流行のアニマルセラピーとかいうやつの効果だろうか。
「審問の間? とかいうところまでまだ遠いんですか?」
「まだ少しあります」
「ほら! 自分で歩きな! ちょっと肉付けすぎだよ!」
「む⁉ 小生はステラが不安にならぬように、ガスを抜こうとだな!」
「嘘つけ! 絶対食べ過ぎて身体が重たいから運んでもらおうとしてるじゃん!」
魂胆は見え見えだ。
ギャイギャイ騒ぐ二人を見て、イライザは少し口元を緩めた。
「少し、私も安心しました」
「え?」
「あんな危険な目に遭った後なので、ステラ嬢が落ち込んでいるのではないかと。ゲパルとニーナも心配していたんですよ」
「(落ち込んではいないけど……)」
他のことを喋っていないとギレットが話したことやヒルおじさんが頭を支配してくるから、無理くり違う話をしているだけだ。
「イライザさんやウメボシがいてくれるから、まだ変なことを考えずに済んでいるんです」
「ステラ嬢……」
「じゃあこのまま抱っこするのだ」
「歩け」
それとこれとは別物だ。
強制的に廊下へウメボシを下ろすと、文句を言いながらもノロノロをその身体を重たそうに動かし始めた。
「で、審問の間ではセレスタン王が待っているんでしたっけ」
「はい。セレスタン王だけでなく、前国王のガザン様やエドガー様、あと各大臣も参列されます」
「二人っきりじゃなくて⁉」
「本来審問の間は神聖な決断を下す時に使われる場です」
これは、思っているより大事なのでは。
「審問の間には偉大なるスピカ様の像が祀られています。
政から罪人への裁きまで、何一つ嘘偽り無きよう事を明らかにさせる場でもあります」
「もしそこで嘘をついたらどうなるんですか?」
「ふふっ……この国の民はスピカ様を慕っております。スピカ様の像を前に、不届きを考えようなんて思いませんよ」
「へぇ~……」
嘘をつかなければいいのだ。
ステラはしかと言葉を受け止めた。
「しかし今回は罰せられるどころか、ステラ嬢は被害者です。起こったことをありのまま話せば、スピカ様も納得されるでしょう」
「ありのまま、ですか……」
それは、聞かされた自分の出生についても?
大勢の居る前でアッパーカットをヒルおじさんに繰り出してもいいということか?
磨き上げられた大理石の床に、ステラ達の姿が映る。
きっと審問の間が近いのだろう。ここら一帯の空気がより神聖なように感じる。
「ステラ! 大丈夫カ!」
あの柱一本でいくらするだろうと換算していると、大理石を反響して自分の名前が飛んできた。
「ゲパルさん!」
赤い三つ編みをぶら下げ、駆け寄ってくるのは先日いざこざに巻き込んでくれたゲパルだ。
その後ろには数名の騎士が、扉の前で待ち構えている。
「怪我ハ⁉ もういいのカ⁉」
「ゲパル、うるさいぞ。ここは審問の間の前だ。少しは慎め」
「これが落ち着いていられるカ‼ 顔を殴られてアバラまで折られたと聞いタ! 自分の嫁が他の男に傷つけられテ、黙っていられるカ‼」
「誰があなたの嫁ですか」
まだ諦めていなかったらしい。
「それにしても、国王も急だナ。まだ目が覚めたばっかりだロ? せめてあと数日待ってくれてもいいのにナ」
「しょうがないですよ。
だって、今日帰るんですから」
「あア、今日……ヘ?」
「そういうことだ」
鳩が豆鉄砲を喰らった顔、というのはこういう顔のことを言うのだろう。
ステラとイライザは顔を見合わせ「ねー」と頭を傾ける。
「なんだト⁉ 聞いていないゾ⁉」
「言ってなかったでしたっけ?」
「初耳ダ‼」
「それはすいません。実は休暇が明日で無くなるので、今日の昼過ぎの船で帰ります」
「ステラ嬢の荷物も、すでにまとめてある」
また騒ぎ立てるゲパルの首根っこをイライザが引っ掴む。
ウメボシがステラの足下にやってきて、その尻尾を足に巻き付けた。
「小生のおやつは購入しただろうな」
「気に入ってた奴は一通り買ったし、みんなのお土産も抜かりないよ」
そう、その中にはヒルおじさんに送ろうと思っていた変わった香辛料も入っていた。だがその香辛料は、自分で使うことになりそうだ。
彼には今日までセレスタンにいるつもりだと、イグニスを見かけた夜に手紙を送ってある。
だから目を覚ました直後でも容赦なく、ステラを呼び出したのだろう。
「この部屋の中に、国王は待っておられます」
イライザの声が大理石に吸収されていく。
どんな顔をして入れば良いのだろうか。
無意識に頭に手が伸びた。
森の中で撫でてもらった暖かい掌の感触が残っている。
『心配するな、おじさんが今すぐあんな奴追い払ってやる!』
眉をぐっと寄せ、目を閉じる。
あの時、現れたのは〝セレスタン王〟ではなく〝ヒルおじさん〟。
不意に泣きたくなった。
「やはり体調が優れませんか?」
「いいえ、大丈夫です」
本当は大丈夫じゃない。
逃げ出したい。
一刻も早く、誰とも顔を合わせずにドルネアートへ帰りたい。
でも、ここへ来ると決めたのは自分だ。
「開けてください」
分厚い扉の隙間から差した光が、ステラを照らした。
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